あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
関連アイテムや書籍の読書記録も紹介中

「和洋折衷」(略)「へえ、あんパンみたいなもんやな」「そんなに甘くない」 (文庫版下巻p48)

2007-04-21 23:10:00 | 神の火(新版) 再読日記
2007年2月14日(水)の新版『神の火』 (新潮文庫) は、下巻の最初からp58まで読了。

今回のタイトルは迷ったんですが、こちらに決めました。カムフラージュでパチンコやっている島田先生が、隣のおっちゃんに声をかけられ「どこの人や」と訊ねられた後の会話。
・・・確かに先生は自身で言っているように「甘くない」けれど、「おいしい」のですよ? それに気づいてますか、先生?

ちなみに迷ったのは、島田先生がカムフラージュで観に行ったポ×ノ映画の三本立てのタイトル(爆) しかも先生、わざわざ声に出してるし~。声に出すのだけはやめて!
タイトルに選ばなかった理由は、迷惑TBがいっぱい来そうだったから(苦笑) ところでこんなタイトルのポ×ノ映画、本当にあったんだろうか?


【今回のツボ】

・江口さんの「手」の表現・その2。コンサートホールという公衆の面前、並びに外事警察の目の前で、あんなことするのが江口さんらしい。

・世間知らずな島田先生。 ぼんぼん育ちもここまでいくと、ツッコミどころ満載ですな。【今回の名文・名台詞・名場面】で挙げるわけにもいかないので、ここで箇条書き。恥ずかしいので(←意味不明)、色も変えず太字にもしてません。

 ソープランドというのは、風呂に入ったついでに女性にマッサージをしてもらうところだという自分の認識が間違っていたと知り、へえと思う。 (下巻p19)

・・・今どきこんなウブな男性がいるんだろうかと思いたくなるが、島田先生ならしょうがないよなあ、とも思えるのですよね。おまけに「洞察力の欠如」と反省しているし(苦笑)

 (ソープランドの<天使>サユリちゃんについて、隣に座ったおっちゃんと先生の会話)
「そんなかわいこちゃん、宣伝用のモデルやさかい」
「そうだと思った」 
「ひどいのになったら、風呂三十分、着替え十分、本番五分や」
「五分じゃ、ちょっとな……」 (下巻p20)

「そうなのか・・・」と私が感心してどうするの(爆) いや、こんな業界の習慣(?)は知らないから・・・。私も先生と同様にウブですし・・・(←嘘つけ!)

 ソープランドは清潔そうだし、得体の知れない女を拾うよりよほどいいなと思ったりした。 (下巻p20)

先生ってば何を思ってるんですか~!? 「得体の知れない女」だけはやめてー! 男ならいいから!(爆) ・・・いいの?(自問) いいの!(自答) 但し「得体の知れない男」はダメ!
・・・自分で何を入力してるのか、分からなくなってきた・・・。

・島田先生のカムフラージュ行動とその代償。スリ・痴漢に遭遇するわ、近づいてきたダミーの女に欲情するわ、白髪が増えてパニック状態になり、白髪染めをする羽目になるわ、ハロルドさんと取っ組み合いするわと、ちっともいいことありません。


【今回の音楽】

モーツァルトのアリア集・・・ザ・シンフォニー・ホールで江口さんと島田先生が鑑賞した演目。
「Vorrei spiegarvi,oh Dio」は決定的な曲名はないようなので、ここではそのまま「おお主よ、わたしは告白したい」のタイトルでいきましょう。「Ah,conte,partite,correte~」も、同じ曲の歌詞らしい。
デスピーナは「コシ・ファン・トゥッテ(またはコジ・ファン・トゥッテ。日本語表記がこの2種類あります)」のヒロイン。
ドンナ・アンナは「ドン・ジョヴァンニ」で、主人公に父親の騎士長を殺され、復讐を誓うヒロイン。「Non mi dir,bell'idol mio」のタイトルも、「言わないで、愛しいあなた」とここではしておきます。
ツェルリーナは同じく「ドン・ジョヴァンニ」で、婚約者がいるにもかかわらず、主人公の毒牙にかかりそうになった若い娘。そして小悪魔だ(笑)
スザンナは「フィガロの結婚」のヒロイン。


【今回の書籍】

ロシア語の勉強のためにチェーホフやゴーゴリを読み、ドイツ語でゲーテを、フランス語でデカルトを・・・島田先生が学生時代で自主的に学んだと思われる語学の勉強に選んだ本。あのデカルトを原文で読むという時点で、次元とスケールが違うわ(苦笑)


【『神の火』 スパイ講座】
カムフラージュ行動に入った島田先生の「スパイ」としての姿が見られるので、なかなか面白い。江口さんの教育も素晴らしい(・・・と褒めていいのかどうか)

偽装という意味では、酒の飲めない人間に酒の色をした水を飲ませるより、本物の酒を飲ませて死ぬ思いをさせる方が完璧だ (文庫版下巻p17)・・・「酒」でたとえるのが、酒豪の高村さんらしいなあ、と(笑)

《スパイを作るのも、殺すのも金と女》 (文庫版下巻p22)・・・と、島田先生は江口さんは厳しく躾られました。ぼんぼん育ちの先生はお金に不自由してないし、欲もないから大丈夫。イリーナのことはまだ引きずってますね。これは仕方ないですね。

ほとんど自然に働いた制御機能のようなもので、長年の勘が、《ミスはするな》《いざというときに備えろ》と信号を発しているのだった。すでにカムフラージュの工作に入っている今、どんなミスも出来ないし、もしもの場合に備えて、一瞬の判断力や行動力を損なわないよう、精神的な余裕と安定を保っておくことが第一だった。 (文庫版下巻p23)・・・カムフラージュ行動の難しさと心構えが現れている部分。カムフラージュと悟られないようにしないといけないし、それだけに普通に自然体でいないとダメだということですね。

体調の変化は、ちょっとしたものでも不安につながる。不安は、予想外の発想や行動を生む。 (文庫版下巻p30)・・・これは「スパイ」に限ったことではなくて、世間一般でもその通りなんですけどね。

科学技術の時代に生きているスパイが実は、縁起担ぎや、虫の知らせといった非科学的な気分に驚くほどの打撃を受け、パニックに陥る。江口はそれを『良心の呵責の代償行為だ』と一蹴し、ボリスは『アルコールで補える程度の、初歩的課題だ』と笑った。 (文庫版下巻p32)・・・良ちゃんに渡すヘミングウェイの本を、わずかな時間であっても置き忘れてしまった島田先生が狼狽した時のこと。こんなにもうろたえた先生は、人間らしくてとてもいい。

そうした旅で歴史の感覚を身につけ、時代の動きを肌で知り、語学に磨きをかけ、未来のスパイは育ったのだ。
ついでに、東西の枠組が主義の対立ではなく、国家という体制の対立でしかないこと、民族主義や貧困の火種も、大量破壊兵器の危険も、人権の抑圧もすべて封じ込めて、大国がそれぞれ臭いものに蓋をしたのが鉄のカーテンだ、といった与太話を吹き込まれながら。
 (文庫版下巻p35)・・・江口さんの施した、島田先生へへのスパイ教育。「スパイを育てよう」というよりは、「自分好みの男に育てよう」という一面の方が強く感じられるのは、私だけではあるまい。だから「光源氏(=江口さん)と紫の上(=先生)」と揶揄されてしまうんですわ。


【今回の名文・名台詞・名場面】
念のため、( )カッコ付は原文ロシア語です。

★江口は、頬杖をついた左手の指先で軽やかにとんとんと拍子を取りながら、空疎な笑みを舞台に投げ続けていた。その間、珍しいことに、いつの間にか空気のように、空いている右手を伸ばしてきたかと思うと、それを島田の手に重ね、軽く握った。
「(私たちはイタリアへ行くのさ、絶対に)」
 (文庫版下巻p9)

一瞬の隙をついての江口さんのこの行動! 何て官能的なんだろう。下品で無意味なラヴシーンやベッドシーンより、よっほど官能を刺激する。

★ウィングに立って拍手を送る江口の優雅な手つきに優るものはなかった。ほとんど聴いていなかったくせに、いつでも、どんな演技でも出来る男だ。タマネギの皮を剥いても剥いても出てくるのはダンディズムの極致で、誰もが文句なしに魅了される。 (文庫版下巻p10)

上巻p309で「謀略というのは、それ自体タマネギみたいなものだ」と教え込んだ江口さん自身が、「タマネギ」だったというお話。・・・違う? というのは、「タマネギ」は最初の皮を剥けば真っ白い。そのまま剥いていこうとすると、ツーンとした匂いで目や鼻に刺激を与えられ、素直に剥かせてくれない。厚みのある皮もあれば、薄くまとわりつくような皮もある。またそのまま食べても辛味がおいしいという人もいるし、調理次第・味付け次第で甘さも出るし、美味しさも異なる。一筋縄ではいかないところが、江口彰彦という人物とそっくりだなあ、と感じたわけです。
島田先生が江口さんと手が切れないのも、その変幻自在の食材を味わいたいからなのかなあ・・・なんて思ったりも。

★「この国では、己の選挙と利権のために政治家は存在するのだと納得するのに、三十年かかっただけだよ。政治がここまで無力に堕するとは、さすがに想像出来なかった。もうたくさんだ」 (文庫版下巻p12)

外事警察に問われた江口さんの返答。これをそのまま受け止めていいものか、聞き流すべきか。発言者が江口さんだから、余計に判断に苦しみます。嘘は言ってないが、本当のことも言ってない・・・ってとこでしょうか。

★『世界じゅうの悲しい歌がみんな美しい旋律をもっているのは不思議なことです』と手紙に書いていた良のことを、いや、パーヴェル・アレクセーイェヴィッチのことを思い出し、「そうだね。そして、美しい歌がみな悲しいのは、なぜだろう」と独りごちながら、島田はタクシーを拾えるホテルの車寄せへ歩いた。 (文庫版下巻p16)

ほんとですね・・・。「悲しい歌は美しい旋律をもっている」 「美しい歌は悲しい」 どちらも真実。

★たんに自分という男が、子供のころから肉体を含めた他者に真の興味をもたなかったということだ。しかし、今は違う。
きっと少し違うはずだ、と島田は自分に呟いてみた。スクリーンの中で痩せた腰を揺すっている女だろうが、ソープランドの女だろうが、人間だったら誰でも抱けるような気がし、抱きたいような気もした。
 (文庫版下巻p22)

島田浩二という男・その23。「少し違う」どころか、「大幅に違う」でしょうが! 「人間だったら誰でも」って! あなたって人は、あなたって人は、あなたって人は~! でも、好きなの。不潔な感じがしないから。

★ここにあるのはいったい何だ、と島田は考えてみる。精神の疲労。希望のなさ。若さという空疎。中年という疲労。女という絶望。男という堕落。主義も体制もない、生活する人間という現実。その中に座っている自分はしかし、唾棄し続けたはずの体制の幻にひそかに手足をつながれて、隣で反吐を吐くサラリーマンをはじめ、ここにたたずむ全員から疎外された何者かだった。 (文庫版下巻p37)

島田浩二という男・その24。
ここは高村さんはどうしても書きたかった部分だろうと思う。そして、三角公園でたむろしている人たちを、これほど的確・見事に描写しきっている点は、脱帽するしかない。だって当時も今も、そんな感じなんだもん。役者は違えど、同じお芝居を繰り返し上演しているかのよう。




コメントを投稿