あるタカムラーの墓碑銘

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Q75 「階段」からイメージする本は?

2005-08-13 22:09:36 | イメージが結ぶ100の言葉と100の本
リヴィエラを撃て (単行本版、文庫版ともに新潮社)

ジャックとケリーの会話から。ジャックの人生観が垣間見えて、小さな針が胸に突き刺さったような感じがした。

これには私の余計な解説・感想は不要だろうから、原文をそのまま味わっていただきたい。かなり長いが、個人的には名文・名台詞・名場面だと思うので、省略しつつ引用させていただく。いつものように単行本版と文庫版ではかなり表現が違うので、今回は文庫版から引用します。

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「僕は小さいころから、ときどき階段の夢を見る……。人はみな生まれたときに、自分の階段を上り始めるんだ。」 (中略)
「その階段て、どこまで続くんだ」
知るか、というふうにジャックは首をすくめた。
「多分、あの世のまだずっと先まで。僕は死んでも階段を上り続けるし、《リヴィエラ》もそうだ。
 (中略) 父もそうだろう。最近、僕の階段というのはそういうものだという気がしている。」 (中略)
シンクレアがジャックに聴かせたそのレクイエムは、死者を招き上げる光明の階段そのままだったが、今ジャックが語る階段は、それよりはもう少し暗い、畏怖に満ちていた。 
懺悔の階段。《伝書鳩》は個人的にそんなことを思ったが、自分にはそんなものはなかった。これまでと同じく、最後の最後までむかつくほどの嫌悪が燃えたぎっているだけだった。
 (中略)
「その階段を上り続けていくと君はやがてどこかで両親や祖父母に会って、デ・ヴァレラや、ダニエル・オコンネルに会って……」
「きっとそうだ。飢饉で死んだ先祖や、戦争で死んだ先祖に会って、オーエン・ロウ・オニールに会って、ノルマンやローマの侵略者に会って、聖パトリックに会って、クーフリンに会って……」
「最後に会うのは、フェニキア人かな」
「いや。階段の最後はきっと、まだ神も人間も住んでいなかったころのアイルランドの大地だ。草と風と空だけがある……」
なんという諦観だろうと《伝書鳩》は思った。何百年も自分の土地で血を流し続けてきたジャックらと違い、他人の土地で、他人の歴史に介入してきた自分たちに、ジャックのような諦観や懺悔が生まれるのは三百年、いや千年早いに違いなかった。
 (文庫下巻p139~140)

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イメージが結ぶ100の言葉と100の本 からお借りした質問に回答しています。


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