再び灯火を消した軽四輪は、運河を渡って福崎の埋立地へ真っ直ぐに突入して入った。 (『李歐』p260)
福崎への入口の一つ、鈴橋。渡船した尻無川沿いにあります。
尻無川から分流した(・・・これは「分流」と言っていいのか?)のが、三十間堀川。
鈴橋の上から撮影。ですからここが三十間堀川の上流(・・・と言っていいのかどうか)になるわけです。尻無川の防潮水門よりは、かなり小さいですね。
下流の景色は、後ほど。
ここからはひたすら歩くのみ。そろそろ疲れもピークに達する頃。
前方の橋と並んで左隣に貨物線の鉄橋があり、鉄路が延びていく先の右側が福崎二丁目、左側が三丁目だった。 (『李歐』p236)
という描写があるので、「貨物駅を見たい!」と、福崎のど真ん中を歩いたのですが・・・歩いたんですが・・・
さっぱりわかりませんでした。
倉庫や大型トラックの並んだ駐車場がたくさんあったため、全然見えなかったんです。
手持ちの地図でも、道を歩いている時に見つけた地図でも、確かに「臨港貨物線」や「浪速貨物駅」の表示があるのに~。
再び福崎に行く時は、反対側の道を見つけて進んでみる! と決めたのでした。もしかしたら、反対側からなら見えるかもしれませんしね。
でも、ど真ん中の道を歩いて助かったこともありました。それはコンビニがあったこと。ここでトイレ休憩が出来たので、ラッキー♪ でした。
綱渡りのようなバスや渡船の乗り降りを繰り返したので、まさに砂漠の中のオアシスを見つけたような気分。
この福崎はあまり緑の自然がなく、大型トラックも頻繁に行き来しているため、埃っぽいので気をつけて下さいね。
コンビニのトイレでうがいを充分にやって、再び出発。この頃、私の足の指に出来た水脹れが潰れたのでした。
しかしここまで来て引き返すことも出来ません!
福崎二丁目の3と4の間を通って曲がり、三十間堀川に沿って歩いていきます。
あ、福崎三丁目の標識がない・・・。
福崎三丁目はかなり奥のほうにその名のはいったバス停は見つかりましたが、道路の左側は、入れない、見通せないという感じでしたね。福栄橋の左側に鉄さびた橋ともとれるのが架かっていたし、大型輸送車に取って代わられ廃駅になったのでしょうか。ちなみにもうひとつの新しい地図には跡形もありませんでした。
大阪地どり、お疲れ様でした! 大阪は梅雨入りしたばかりなのですが、月曜・火曜は少し寒かったかと思われます。体調崩されませんように・・・。
・・・ごめんなさい、記事、間に合いませんでしたね・・・。次回からアップする記事で、記憶を振り返ってみて下さい(苦笑)
>朝潮橋駅まで地下鉄で行って、ベイシティー大阪のところから
>三十間堀川を渡るというコース
この逆のルートを、私たちは辿りました。
雨の福崎、夜だったらもっと臨場感があったかもしれませんね。李歐と一彰が別れたのは、降りしきる雨の中だったから・・・。
でも三十間堀川には、李歐が見たら歓喜しそうな船が、たくさんありましたでしょ?(笑)
>民家がほとんどなく、ちょっと日常離れしたところでしたね。
会社、倉庫、工場、駐車場が林立してましたね。
大阪の湾岸沿いは「おしゃれな港町」といった感じでは、ないんですよ。アミューズメント施設(海遊館やUSJなど)も、更に北寄りに固まってますし。
>大型輸送車に取って代わられ廃駅になったのでしょうか。
いや、航空写真で見てみれば、駅はないかもしれませんが、ちゃんと線路が写っていますよ。恐らく建物が高いのと、通った道路が悪かったため、見つからなかったのかも。
福崎も平林も、地どり再挑戦したいです。
>夜だったらもっと臨場感があったかもしれませんね
夜は女子供が入れる場所ではないですね。まさに「李歐」の世界。
三十間堀川下流の報告が楽しみです。
>「合田・・・・」のビルが建っていたのもその近辺でしたよね。
直接関係なくても、「合田」の文字にはやっぱり無反応ではいられない(苦笑)
>夜は女子供が入れる場所ではないですね。まさに「李歐」の世界。
本当にそうですね。夜中に裏の世界が繰り広げられてもおかしくないような(苦笑)
先ほど第2弾をアップしました。