あるタカムラーの墓碑銘

高村薫さんの作品とキャラクターたちをとことん愛し、こよなく愛してくっちゃべります
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「ひらべったい魚、きのう食べた」 「あれは、アジの開きよ、加奈ちゃん」 (文庫版下巻p83)

2007-05-04 21:32:16 | 神の火(新版) 再読日記
2007年2月15日(木)の新版『神の火』 (新潮文庫) は、下巻p58からp127まで読了。

今回は微笑ましい川端さん親子の会話をタイトルに選びました。

【今回のツボ】

・日野の大将の狂気と執着。 徐々に明かされていく大将の内面。上巻では島田先生は気づいてませんでしたが、ここでやっと原因が「島田浩二」にあると自覚。

・コース3とコース4。 新版『神の火』で、ある意味で最大の謎と目されているこれをはずすわけにはいきません。全6コースあるのですが、公にされているのは、コース3とコース4。

コース3・・・シャワーを浴びた後、素っ裸でベッドに入り、シャンパンで乾杯し、特上の葉巻を味わい、ブリニ(蕎麦粉で作ったパンケーキのようなもの、らしい)の上にキャビアとサワークリームをのせて食べる。

コース4・・・風呂に入った後、お酒を飲みながら(今回はマーテルのXO)、マッサージ師に身体をほぐしてもらう。
当初、私が付き合ってもいいと公言したのは、このコース4。マッサージ、気持ちよさそうなんだもん。お酒は飲めないので、お茶で和む(笑)

残りの1、2、5、6コースはどんなものなのか、考えても答えはないし、想像もつかないのですが、知りたいと思うのも致し方なし。しかし江口さんと島田先生だからなあ・・・。この二人の「何がどうした状態」が最もリラックスできるのかが、さっぱり分かりません。

・八〇ホン氏。 木村商会を辞める島田先生の後任の人。本名不明。声が大きいという川端さんの嘆きを聞いて、先生が名付けた。 

・ハロルドさんの変装。 灰色のカツラ、作業着の上下にジャンパーまではいいとしても、雪駄って! 天下のCIA職員が、そこまでやらなきゃならんとは・・・。

【今回の書籍】

船舶運行の教習書・・・父・誠二郎さんの形見のクルーザーを貰うので、木村商会の倉庫から探し出した本。出版社名・題名、ともに不明。


【『神の火』 スパイ講座】

「何かを実行するとき、一〇〇パーセント成功するという保証がない限り、私たちは呼びの策を講じておくのが普通です」 (文庫版下巻p104)・・・CIAに属するハロルドさんの、スパイとしては当然過ぎる発言。

スパイは、兵士のように一つの体制に縛られる義務や献身という観念はもたない (文庫版下巻p126)・・・かつてはそんなスパイだった島田先生。良ちゃんに出会い、関わってからは「義務や献身」に目覚め、そういう点ではスパイ失格。人間としては合格。


【今回の名文・名台詞・名場面】

★先祖か。自分の場合、母清子のご先祖は何だったのか。名も知らぬロシア人の父の先祖は何だったのか。それぞれの、それなりに人並みだったはずの三十億個の遺伝子が、卵子と精子の一瞬の結合でかけ合わさった結果がこれだと思えば、生まれてこなくてもよかったという長年の思いに輪をかけるだけのことだった。一方、無数の偶然の一つで生まれてきたこの人生の一つを、こんなふうにしか使えなかったのは唯、己の責任だと思えば、それは死ぬまで逃れられない問題なのだった。なぜ、手を染めたのか。なぜ、手を退かなかったのか。なぜ、告白しなかったのか。なぜ、自首しなかったのか。 (文庫版下巻p63~64)

★島田は待ち続けた。それは、一刻一刻近づいてくる希望の時間でもあったし、諦めへの準備の時間でもあったが、そのうち、自分自身の心臓が生きて心拍を刻むのを味わう時間になった。愛しいと思ったこともない自分の心臓が、そうして無神経なまでに刻々と脈打つのを聞いていると、それがいつか止まるというのは、自分にとって受けいれがたい不条理なことのように思え、恐怖を感じた。たしかほんの一日前、いろいろな覚悟が出来たと思ったはずだが、あれはただ希望のなさのすり替えだったか。この心臓が止まるという不条理を受け入れるためにはまだ、通り過ぎなければならない段階がいくつもあるに違いなかった。短絡することなく、自暴自棄になることなく、理解し、納得し、克服し、感謝する、という過程を経るために人は八十年もの寿命を与えられているのなら、それを半分の長さでやるというのは生半可なことではなかった。
どのくらいの時間があれば、自分にはそういうことが可能なのだろう。そして、何をどのように考えていけば、可能なのだろう。懺悔? 告解? 祈り?
 (文庫版下巻p65~66)

島田浩二という男・その26と27。どちらも長い引用になりましたが、ここははずせないと思ったので。

★良が手紙に書いていた五冊の本が、この中のどこかに入っているに違いない。そのバックパックの布地を、島田はしばらく自分の指先で撫で続けた。一つの命に対する責任というより愛しさ、決意というより懇願の塊が、どことも言えない自分の身体じゅうから噴き出してくると、ほとんど押し潰されるような思いで畳にひれ伏すしかなかった。 (文庫版下巻p69)

新版『神の火』で、島田浩二さんの最も好きな場面はどこか?」と問われたら、私は迷わずここを挙げる。
「ひれ伏す」という表現で、まずやられた。それに先生にとっては「バックパック=良ちゃん」、つまりこれが手元に残った良ちゃんの命そのものだから・・・。「命は地球より重い」と言われますが(最近はそれを軽んじる事件が多々発生してますが)、良ちゃんの命を背負った先生が、その重さに比例して地球にのめりこむように「ひれ伏す」姿に心打たれ、胸が締めつけられるのです。
そんな島田先生が、私は大好きだ~! (雄叫び)

★「代理というのはなんです」 (中略)
「戦後、この国で政治をやってきた者は、みな、何者かの代理ですやろ。天照大御神の代理の代理、GHQの代理、農家や業界の代理、道路が欲しい市町村の代理、ワシントンの代理、モスクワの代理、北京の代理。代理でない日本国の政治家は、ひとりもおらしまへん。敗戦の負債を払う代わりに代理国家になり下がったんやさかい、仕方おまへんな」 (文庫版下巻p76)

島田先生と山村さんの会話。『晴子情歌』 『新リア王』 (ともに新潮社) を読んだら、こういう部分を素通り出来なくなりますね。

★Дорогой друг Павел (親愛なるパーヴェル)
君の顔がぼくの頭から消える日はない。君に会えるという思いがゆらぐ日もない。
君に会えたら、ぼくは原子力の話をしよう。
ぼくは必ず君を迎えに行くから、君はそのとき、ぼくにこの小説の話をしてくれ。
君のことを考えたら、ぼくは眠れなくなる。
 (文庫版下巻p78~79)

島田先生はこれを「伝言」と言いましたが、これを「伝言」というのか!? そう思っているのが先生だけというのが・・・言葉なくしますわ。ホンマに、ホンマに、あなたって人は~!

★二人で断崖のてっぺんから下を眺めながら、日野が島田を見、島田が日野を見た目はともに、虚空への誘惑に効しがたいといった異様なものだったのだ。その虚空は、子供には名付ける言葉がなかったが、今はそれが、虚無の中の虚無というべきものだったと島田は感じるのだった。互いにそれぞれのレベルで抱えていた子供なりの虚無が、断崖の上で奇妙に呼応したというところだ、と。 (文庫版下巻p87)

ネタバレ。 この二人の歴史って、「断崖で始まり、断崖で終わった」のですね・・・。 

★江口は「虚礼廃止でいこう」と応えた。「私たちはこれから、自分の望むように生き、望むように振る舞うんだ。そうすれば、もっと楽になる」
「望むものが食い違ったら?」
「私の教育が至らなかったと諦めるさ」
 (文庫版下巻p97)

コース3終了後(・・・)の江口さんと島田先生の会話。この時点では、未だに江口さんは先生が変化しつつあると、気づいていないような・・・。でも、気づいているんだろうなあ。それをおくびにも出さない、相手に気づかせないのが、江口さんなんだからなあ。そして父親のようであり、母親のようでもある江口さん。

★一つ何かが決まると、一つ道が開けたように、少し気分が軽くなる。 (文庫版下巻p109)

本当ですね。私も一つ記事を完成させるたびに、少し気分が軽くなりますよ(笑)

★「それにしても何やなあ……。島田先生というダシがのうなったら、わしとあんたも並んで歩きにくうなるな、川端さん」「何でですの」「わし、変態やと思われる」「熱々よりましですわ」 (文庫版下巻p114)

堀田さんと川端さんのこの会話、好きなもので挙げてみました。

それではまとめて、日野の大将と島田先生の場面のピックアップ。かなり多いです。

★「アホや、お前は」
「どこが、どうアホなんだ」
「小さい頃から、お前はいつも森羅万象について考えとったやないか。その結果がこれかい。何も残さないで消えてしまうことが出来へんのが物質やて言うたん、お前やぞ。お前は消えたつもりでも、同量の残骸が周りに残っとるわ、このやろう」
「スルメ噛みながら、何を言うか」
「お前がどこへ消えても、たとえば俺の中にお前があけた穴はそのままや」
「俺があけた穴って、何だ……」
「穴は穴や。今でも分からん穴……」
 (文庫版下巻p121)

★「一緒にいても、ちっともおもろいことない。話も合わへん。どこまでも感覚が違う。そやのに俺は、年がら年中お前につきまとってた。お前のその目がきれいできれいで、それ見てたかっただけや。小学校になったら、今度はその目、いっぺん突き刺したいと思うようになって、その一心や。中学になったら、今度は食うてみたいと思うようになってよ。ほんまの話やぞ。で、俺は自分の頭がおかしいんやと悟った。これが俺の穴。手に入らんもんを目の前にしている、いう解決不可能な穴や。……分かるか?」
「そうか、そういえばお前は魚の目玉が好きだったな」
「おかげで頭がようなった」
「盆の祭りの日に会ったときも、そんなことを考えたのか?」
「ちらりとな。……そやそや、俺はこいつの目玉が食いたかったんやてな」
 (文庫版下巻p121~122)

★「死んだらやるよ、二つとも」
「ほんまか」
今まであらぬ方向を向いてスルメを齧っていた日野が、いつの間にかこちらを見つめていた。ベランダから差し込む戸外の薄明かりを浴びたその眼球は、ただ黒御影石のようで、とくに感情もない虚ろな穴だった。しかし、口先と頭の中身に断絶があることは分かったが、日野が何を考えているのかは島田には分からなかったし、読み取る忍耐もなかった。
 (文庫版下巻p122)

★「何じゃい!」と日野は振り向いた。今しがたと打って変わった目の色は、名付けようもない感情の海で、島田には受け止めることの出来ない異様なうごめきに満ちていた。それを見ながら、島田は一瞬のうちにさまざまなことを考えたが、続いて出てきた日野の言葉はしかし、島田の感慨も寄せつけない鉛の響きになっていた。
「お前の目玉二つは俺のもんや」
 (文庫版下巻p123)

★酔っているから、考えられる。つい数分前、得体の知れない日野の目を眺めながら一瞬のうちに考えたのは、かつて自分が日野の喜びにまるで関心を払わなかったこと、山も海も輝いてはいたがその輝きを人と共有したことは一度もなかったこと、いつも一緒だった日野が自分の目を見ていたのすら気づかなかったこと、などだった。そして、そうした自分の無関心が日野の繊細な神経を逆撫でしてきたのかも知れないということも、今ごろようやく考えたのだった。 (文庫版下巻p124~125)

★しかし、かつては日野が見入ったのが、カレイの脊椎の数を一つ二つと数える子供そのものではなく、その目だったというのなら、日野はその目の空疎さにも気づいたことだろう。それがきれいであろうが何だろうが、空疎に魅せられた者の胸には空疎の穴があく。空疎は手に入れるものではなく、阻まれるものであり、どんなに望んでも近づけないのは人の目玉と同じなのだ。 (文庫版下巻p125)

★一度も人の目など見てこなかった自分に、日野の人格の内側など見えるはずがない。今ごろほんの少し目が開かれたとしても、もう何もならない。
俺は空っぽ。お前は狂ってる。どちらも他人の目には見えない形で、三十数年そんなふうだったのか。すり合わせるすべがないと直観で察した故の穴なら、俺にもあいている。
 (文庫版下巻p125)

日野草介と島田浩二。かつては「幼なじみ」と呼ばれた関係も、大人の男になった今、初めて見えてくることがたくさんあって、先生は消化しきれないようです。すり合わない部分にも気づいていながら、奥底では同じようなものを見、同じような想いを抱き、それでも同じように相容れない、二人の複雑で不可解な関係。

★スパイをやめた自分が、生まれた初めて望んだ義務の味はわずかに甘美だった。一切の疑いも迷いを入らず、一切の対価もない、この薄ぼんやりとした美味が自由の味なのか。 (文庫版下巻p126)

日野の大将が嵐のように島田先生の心をかき乱したとしても、既に先生の心は、良ちゃんを想う気持ちでいっぱい。大将、報われません(苦笑)



4 コメント

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「神の火」映画でという妄想 (野鍛冶屋)
2007-05-05 00:16:52
こんばんは、野鍛冶屋です。

「神の火」は「映画化」したら成功するのではないかな~と思ってしまいました。

島田先生と言い、日野の大将と言い、キャラクターが掴みやすいし、ビジュアルとしては表現しやすいのではと思ってます。

島田先生の瞳の色は、「絵」として「立場」が出ますし、ラストへの駆け上がりは、そのまま映像に直結するような緊迫感があります。

ただ、予算面、内容からして、日本映画では実現不可能でしょうか?

徹底的にこだわったディテールで描かなければ、面白くないでしょうから、世界的規模ということで、ハリウッドでの映画化を期待しましょうか。

Based on Novel By Kaoru Takamura ということで。

監督は是非ともクリント・イーストウッド氏で。

きっと、ヒットしますよ(^o^)
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映画化は無理では・・・ (からな)
2007-05-05 23:14:08
野鍛冶屋さん、こんばんは。

私は、『黄金~』と『神の火』の映像化が最も難しいのではないか、と思っていました。
クライマックスは、前者は○○襲撃ですし、後者は×××襲撃ですし。
国家や政治やテロも絡んできますし、そういう部分は、特にハリウッドは過敏になりすぎてひっかかるのではないか、と思われるのです。

キャラクターも、「日本人とロシア人のハーフ」の島田先生・・・そんな俳優さん、おられます?(苦笑)
江口さんは、西村晃さんが生き返ってくれるなら、ぜひお願いしたいのですけど(笑)

最大の問題として、高村さんが心を砕いて表現しているキャラクターの心理を、映像化できるのか? ということ。
そういう「心理劇」というものは、映像では表現しづらいのでは・・・と心配になってしまいます。

映画についてはあまり明るくないのに、生意気なことを綴ってしまい、申し訳ございません。

ただ、イギリス映画でなら、『リヴィエラを撃て』を映像化してほしいなあ・・・と思ったことはあります。

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うーんやっぱり無理か(笑) (野鍛冶屋)
2007-05-06 12:41:37
こんにちは、野鍛冶屋です。

う~ん。やっぱり無理な妄想でしたか。(笑)

そうですね、島田先生。誰が演じるのか。極めてむずかしいですね。。(良く考えると、かなり文学的キャラクターと言えるかも。)

良さんとの関係を表現するのも、なかなかそこまでできるかどうか。
アクションを主体にすると、割愛されてしまう危険性もありますね。。

個人的には江口さんがシンフォニーホールで島田先生と会話しているところを映像で見たいなと思いました。シチュエーションがとても美しくて。

こういう劇場やオペラハウスを舞台にした心理劇が好きなもので。。。(これはそういう話ではないのですが、そういう趣味的要素もありますね。)
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創造する者 (からな)
2007-05-06 23:12:30
野鍛冶屋さん、こんばんは。
せっかくのご提案ですのに、申し訳ございませんでした。

恐らく高村さんは、「簡単に映像化されるような小説は書かない」というご意見の持ち主でもいらっしゃいます。(どこかで見たか聞いたかしました)
「映像化されやすいものを」という意図で小説を作り上げる作家さんとは、対極に位置しておりますね。

だけど小説だろうと映像だろうと、同じ「創造する者」としての気持ちは否定なさらない。だから、映画化もドラマ化も許可されているのでは・・・と思っています。

もちろん、映像化されることによって、良い点もあることは否めません。
さんざん酷評している(苦笑)映画「レディ・ジョーカー」でも、文章で表現されている青森の風景も、映像を見て「そのまんまやん!」と感嘆しました。

>江口さんがシンフォニーホールで島田先生と会話しているところを
>映像で見たいなと思いました。
>シチュエーションがとても美しくて。

ああ、それはいいですよね~♪ シンフォニーホールも、とてもいい設備ですし。

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