さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

姐さんの憲法論(29)~政府の憲法草案~

2021-02-01 | 姐さんの憲法論

姐さん、今回は日本政府の憲法草案について、お話します。

お願いします。

敗戦直後に成立したのは、東久邇宮内閣ですよね。東久邇宮稔彦首相なんですけど、皇族でもあり、天皇制の改革には反対していました。「国体護持というのは、理屈や感情を超越した堅い我々の信仰である。」とも言っているんです。例の天皇とマッカーサーとの会見がありましたよね。その時の写真をめぐって、「皇室の尊厳を傷つける。」と内相の山崎巌が新聞を発禁処分にしようとしたんです。その時、GHQが激怒しているんです。結局、東久邇宮内閣は54日という最短記録で総辞職してしまいました。

あら、そうなの。やはり皇族内閣じゃ何も変えられはしないよね。

次に抜擢された総理が幣原喜重郎ですよ。1872年生まれですから、その時は73歳ですね。第一次世界大戦の後に、外務大臣として、軍縮政策を積極的に推進し、幣原外交と呼ばれていたんですよね。しかし、英米に受けは良かったんですが、軍部に反対され、失脚していたんです。戦後になって久しぶりに返り咲いた訳ですね。GHQは幣原内閣に思い切った民主化政策を期待したんです。憲法についても、明治憲法を解体し、非武装化を含めた新憲法の草案作成を求めたんです。

軍縮を積極的に推進した人なら、民主化憲法を作れたんじゃないの?

幣原内閣は「憲法問題調査委員会」というのを設置して、検討に入ったんです。ところが、委員長の国務大臣である松本丞治(68歳)は改正に消極的だったんです。幣原総理はあまり統率力が無かったんでしょう。やはり、問題は天皇の扱いですよ。例えば、明治憲法の第3条、「天皇は神聖にして侵すべからず。」の「神聖にして」を「至尊にして」に改める位で、中々改正は進まなかったんです。GHQが求めたものとは、遠くかけ離れたものしか出来なかったんです。

それ程、日本人には天皇制がしみこんでいたんだよね。幣原外交と謳われた人でも天皇制の変更は出来なかったんだ。

そうなんですよ。GHQにも事情があったんです。GHQは占領軍ですよね。日本の改革には世界が注目していたんですね。具体的にはソ連やイギリス、オーストラリアなどの連合国ですが、日本の占領政策のために、「極東委員会」というのを設置していたんですね。つまり、GHQの上にもっと権限の強い「極東委員会」があるので、GHQは「極東委員会」が納得してくれる民主化の実効を上げなければいけないんですよ。

そうか、GHQだって、極東委員会に文句を言われないためには、憲法改正くらいは成し遂げたいよね。

マッカーサーにしてみれば、何とか天皇をそのまま据え置きたいとは思っているけど、アメリカ本国も、連合国も、天皇を裁判にかけろという空気があったんですよ。何しろ、天皇は元首であるとともに、軍隊の大元帥だったからです。大元帥と言えば軍事の最高責任者ですから、裁判をかけるなら真っ先にかける立場にありますよね。

そうだよね。マッカーサーも間に挟まれて大変だったんだね。

そうなんです。アメリカ陸軍参謀総長のアイゼンハワーから、昭和天皇の戦犯とする証拠収集を求められていたんです。それに対して、「過去10年間、明白確実な証拠は何も発見されていない。もし、天皇を告発するならば、日本国民の間に大騒乱が起こる。占領軍の大幅増強が不可欠となり、100万の軍隊が必要となり、無制限に続くだろう。」と回答を送って、何とか解決策を探っていたんですね。

そうなんだ。GHQの中はどうだったの?

GHQの民政局スタッフの一人エスマンによれば、「私を含む多くのスタッフは天皇は戦争犯罪者であり、戦犯として裁判にかけられるべきだと考えていた。」と言っています。

それじゃあ、天皇は絶体絶命の大ピンチ状態じゃないの。

だから、せめて日本政府には本格的な主権在民の民主的憲法を作って欲しかったんです。ところが、年が明けた1946年の2月1日、毎日新聞のスクープによれば、政府の新憲法の草案は明治憲法とそれ程変わっていなかったことが判明したんです。しかも、極東委員会から、2月26日に委員会を開くと言ってきたんです。もう時間はない。幣原内閣には期待出来ない。追い詰められたマッカーサーは、「こうなれば、自分たちの手で草案を作るしかない。」と大決断をしたんです。

マッカーサーには何か秘策があったんじゃないの。それは次回に聞くことにしようか。

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