さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

赤狩りと東西冷戦

2017-10-04 | 20世紀からの世界史
 
トルーマン(1884~1972)
 
アメリカという国は20世紀に君臨する超大国であることは間違いはない。しかし、アメリカ国民にとって20世紀は繁栄と破たん、右と左に大きく揺れた一世紀だった。資本主義の中心にありながら、一時期は共産主義者が政権の中心にいた時代もあった。1929年に大恐慌が起り悲惨な失業時代を体験したアメリカは民主党のF・ルーズベルトの「ニューディール政策」という共産主義に習った政策により立ち直ることが出来た。共産主義のソ連と協調して第二次世界大戦を戦った。
 
F・ルーズベルトはソ連のスターリンには一目置いて接し、戦後体制を決定する「ヤルタ会談」ではソ連の拡大を容認した。F・ルーズベルトの死後はトルーマン大統領も基本的にはF・ルーズベルトの路線を継続したのでソ連や中国には寛容だった。国民党と共産党が争った国共内戦にも共産党を許容する「マーシャルプラン」で解決を図った。しかし大戦後にソ連が世界を二分するライバル国に拡大したことや、中国が毛沢東のもとで第二の共産主義大国に成長し始めると共和党を中心に激しい政府批判が起る。
 
 
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マッカーシー(1908~1957)
 
1953年から大統領についたアイゼンハワー(1890~1969)は国民からアイクの愛称で親しまれ、「物事は優雅に、行動は力強く」をモットーにする大統領だったが、共和党議員のマッカーシーは徹底的な反共主義者だった。20年間、民主党主導の共産主義路線により我が国は汚染されたとの「赤狩り」キャンペーンを行った。とくに対日戦において中国共産党軍を支援し、中国国民党を敗北させたとして、国務省・東アジア局の対中国専門家を一掃した。
 
その後、対中国外交の穴を埋めたのは欧州専門の外交官達で、彼らは日本や東南アジア諸国、中国大陸の事情を知らなかった。このアジア専門家の空白が、後にアメリカをしてアジア外交を誤らせ、泥沼のベトナム戦争に引きずり込む遠因になったとも言われる。「ソ連のスパイ」「共産主義者」の追放という大義名分を笠に着たマッカーシーたちは政府や陸軍だけでなく、ハリウッドの芸能関係者や映画監督、作家。さらにはカナダ人、イギリス人、日本人にまで及び、「赤狩り」の影響は西側諸国全体に行き渡ることになる。
 
 
 
James Dean in East of Eden trailer 2.jpg
エデンの東
 
「欲望という名の電車」、「エデンの東」などの監督で知られるエリア・カザン(1909~2003)は若い時に共産主義を勉強し一時共産党員だったという理由で「赤」のレッテルを張られた。赤狩りの先鋒・下院非米活動委員会はカザンへの執拗な取り調べから共産主義を学んだ映画人11人の名を聞き出し、監督、俳優たちを次々と糾弾した。多くの芸術家が非難の対象となり、創作活動の中断を余儀なくされたりとハリウッド中がその嵐に巻き込まれた。現在に至るもハリウッドでは共和党への人気がない理由となっているという。
 
共産主義者ではないチャップリンの作品「モダン・タイムス」なども容共的と非難された。1947年公開の「殺人狂時代」は反政府的であると「赤狩り」の対象になり、チャップリンは国外追放命令を受ける。アメリカ国民はチャップリン追放劇に激しく抗議、決定した国務長官のもとに数万通に及ぶ抗議の手紙が届いたという。「赤狩り」は容疑者への自白強要、告発、密告などの強引な手法が問題になり、マスコミや民主党から大きな反感を買うことになった。
 
 
 
ベルリンの壁
 
こうしてアメリカを中心とする資本主義陣営とソ連を中心とする共産主義陣営は完全に対立する関係になっていく。対立の境界線は二つに割れたドイツで、それより東ヨーロッパを東側、西ヨーロッパを西側と呼んで対峙した。ヨーロッパのみならず、アジア、中東、南アメリカなどでもそれぞれの機構や同盟関係が生まれ世界を二分していった。その対立は軍事、外交、経済だけでなく、宇宙開発、文化、スポーツ、全てにわたり対立することになった。
 
1945年の「ヤルタ会談」から始まり、1989年の「マルタ会談」まで44年間続いた。「ヤルタからマルタまで」とも言われる。軍事力で直接戦う「熱い戦争」に対して「冷たい戦争」という。この対立は東西冷戦とも言われ、冷戦勃発当時のイギリス首相・チャーチルは「鉄のカーテン」と表現した。東西両陣営にも属さない非同盟主義を主張したインドなどの「第三世界」もあり、両陣営の対立を逆手にとって援助を引き出す「援助外交」も行われた。
 
~~さわやか易の見方~~
 
******** 上卦は天
******** 陽、剛、
********
***   *** 下卦は地
***   *** 陰、柔、小
***   ***
 
「天地否」の卦。上に天、下に地は自然に思えるが、易では天は上を目指し、地は下を目指すもので、上下が交わらないものと見る。上下が和合せず、意思の疎通がない、閉塞状態である。国家にしろ、会社、学校、家庭でも上にあるものと下にあるものが交わらず、しっくりしないことは良くない。小人の道が横行し、君子の道は閉ざされる。
 
西側も東側も自分を天、相手を地とした。共産革命を行ったソ連では、少しでも豊かなものはブルジョアジー、人民の敵として糾弾し財産を取り上げた。赤狩りはそれと逆な状態で、少しでも反政府的なことを言えば、共産主義者だと非難する。右も左もどちらも極端に偏り過ぎる所からきている。相手の立場も尊重する考えを持たなければならない。「和を以て貴しとなす」 日本人の知恵に学んで欲しいものである。
 
チャップリンは大の日本びいきだった。きっかけは運転手として雇った日本人が大変優秀で、運転から経理までこなし、マネージャーとして大活躍してくれたことによる。10人の使用人を全て日本人にしたという。日本にも度々訪れ、相撲、歌舞伎、茶道などの日本文化に魅せられ、寿司や天ぷらの日本料理が大好きだった。「殺人狂時代」は大好きだった日本に原爆を落としたアメリカ政府に抗議する目的で制作されたものである。

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