本日、さ~来る「ソバ道楽」の会員等10名が、手打ちソバで地域振興を図っている先進地の大石田町を視察。
様子を寄稿してもらいましたので以下に紹介いたします。
午前9時、公民館前集合、3台の乗用車に便乗し颯爽と出発したものの途中で忘れ物に気づき、1台が取って返すなど先行きに不安をもたせるプロローグとなった。
案の定、約束の時間に約20分遅れて待ち合わせ場所の大石田駅に到着。
新幹線の停車駅として駅周辺を再開発したとの事であったがとても立派な駅でした。
駅で待っていてくれたのは、観光ボランティアガイド虹の町案内人のOさん(女性)とMさん(男性)。
我々がそば打ち愛好者とのことから、特別にそばに造詣の深いMさんの説明を手配してくださいました。(感謝です)
Mさんは第3セクター「あったまりランド深堀」の支配人。
自らも地元のそば打ち愛好会「ソバ道楽」の会員で仲間とともに腕を磨いているとの事。
奇しくも、我々のサークルと同名の会との事を聞き一層親しみが沸いたのでした。
氏の熱い語りの中から印象に残った点を以下に紹介します。
1、大石田町は玄そばの産地として知られ、地種は古く元禄時代に九州から伝わった来迎寺在来種と次年子在来種の2種類がある。
ちなみに山形県では尾花沢、新庄より北部では最上早稲、東根より南部では出羽かおり(県の奨励品種)が多いとの事。
2、大石田は玄そばの成長にとてもマッチした酸性の土壌で、昼夜の気温に寒暖の差が有り、最上川からの霞が立つ地形。
それが蕎麦の豊かな風味を育んでいるのだそうです。
一時は他の種と交配してしまったものを一本1本選別し本来の種に戻した苦労話も披露されました。種の交配に資する蜂の行動範囲は約2.5kmとのことから、この範囲には絶対他の種を植えてはならないそうです。
3、町内には15軒の手打ちそば屋が、平成11年に大石田町そば街道振興会を結成。力を合わせてそばの里づくりに取り組んでいる。
秋にはみんなの力を結集した、そば祭りが行われ多くの客でにぎわうそうです
4、平成13年に環境省の、かおり風景100選に「大石田ソバの里」が認定されたとのことでした。
かおり風景100選とは、その地に住む人々や訪れる人々にとって心地よいと感じる「かおり」であり、自然景観は勿論、文化、生活、歴史などの社会的背景を含め、将来残したい風景を言うそうです。
ああ~我々が今やろうとしている「地域の宝探し」事業が功を奏し、将来輝いてきたらこんな事になるのではないでしょうか?・・などと考えながら話を聞かせてもらいました。
蕎麦談義に花を咲かせてあっという間に昼近くなってしまい、今日の第二の目的地、かの有名な「次年子」に向かう。
曲がりくねった山間の道を進むこと約30分近く走ったでしょうか。道端には段々の田が大分耕作放棄されておりました。
現在では学校もなくなり過疎が進む高齢者の集落と言う感じのところ。
昔、子供が生まれてもあまりにも雪深く役場までは限りなく遠いことから、翌年にならないと出生届が成されなかったそうです。
このようなことから、次年子の地名が付いたとの説もあるそうです。
ようやくOさんが予約してくれた「ソバ切り源四郎」に到着。
民家を改造して蕎麦屋にしたようなご様子です。
こんな隔離されたような中で手打ち蕎麦屋が5軒もあるということは如何に地区外からお客が多く来ているかを容易に想像させることが出来ます。
注文したのは板そば700円ときじずる(雉汁)300円也(格安)
つまみに出てきたのはスイカのオイル煮ときゅうりのビール漬け、蕨の一本漬でした。
地元次年子産のそば粉を使った二八ソバ。
流石に見場と言い、湯で加減と言い素晴らしい出来。・・・とてもうまかったです
ついでに「そばがき」1人前900円也をみんなで突いて試食してきました。
次にMさんが支配人をしている第3セクター「あったまりランド深堀」に廻る。
ハイジアパークに宿泊施設を加えたような立派な施設。
温泉も楽しめる大石田の観光拠点としてにぎわっていました。
そば打ち体験もやっているそうです。
Mさんの案内で体験工房や用具を見せていただき大変勉強になりました。
会場付近廊下にはそば畑の写真が展示され一層雰囲気を盛り上げておりました。
記念にそば粉「来迎寺在来種」1kg、1100円をみんなで購入。
各自、家族に振舞おうと張り切っていましたが果たして実行した方はどの程度かな?
続いてOさんの名ガイドで大石田の見所を案内していただきました。
Oさんは横浜市出身、旦那様がUターンしてからボランティアガイドを始めたそうな。
歴史にも大変詳しく、浜言葉で歯切れのいい説明をしてくださいました。
江戸時代、舟運の中心河岸の町として栄えた大石田。
松尾芭蕉、正岡子規、斎藤茂吉を初めとする文人が時を過ごした所だそうです。
舟運で隆盛を極め当時活躍していた職人が愛用していた道具や作品を展示紹介している クロスカルチャープラザを始め、乗船寺の釈迦涅槃像、斎藤茂吉の墓石や芭蕉の歌碑等を説明していただきました。
写真は往時の舟運文化を偲ばせる白い塀を描いた特殊堤防壁画(最上川河畔)
みなさん、暑い中を本当にお疲れ様でした。
車を出して運転を勤めてくださった方々本当にありがとうございました。
我々も、いつの日か金山のそば祭りの実現を夢見て活動を継続させていきましょう
(Y,T記)
様子を寄稿してもらいましたので以下に紹介いたします。
午前9時、公民館前集合、3台の乗用車に便乗し颯爽と出発したものの途中で忘れ物に気づき、1台が取って返すなど先行きに不安をもたせるプロローグとなった。
案の定、約束の時間に約20分遅れて待ち合わせ場所の大石田駅に到着。
新幹線の停車駅として駅周辺を再開発したとの事であったがとても立派な駅でした。
駅で待っていてくれたのは、観光ボランティアガイド虹の町案内人のOさん(女性)とMさん(男性)。
我々がそば打ち愛好者とのことから、特別にそばに造詣の深いMさんの説明を手配してくださいました。(感謝です)
Mさんは第3セクター「あったまりランド深堀」の支配人。
自らも地元のそば打ち愛好会「ソバ道楽」の会員で仲間とともに腕を磨いているとの事。
奇しくも、我々のサークルと同名の会との事を聞き一層親しみが沸いたのでした。
氏の熱い語りの中から印象に残った点を以下に紹介します。
1、大石田町は玄そばの産地として知られ、地種は古く元禄時代に九州から伝わった来迎寺在来種と次年子在来種の2種類がある。
ちなみに山形県では尾花沢、新庄より北部では最上早稲、東根より南部では出羽かおり(県の奨励品種)が多いとの事。
2、大石田は玄そばの成長にとてもマッチした酸性の土壌で、昼夜の気温に寒暖の差が有り、最上川からの霞が立つ地形。
それが蕎麦の豊かな風味を育んでいるのだそうです。
一時は他の種と交配してしまったものを一本1本選別し本来の種に戻した苦労話も披露されました。種の交配に資する蜂の行動範囲は約2.5kmとのことから、この範囲には絶対他の種を植えてはならないそうです。
3、町内には15軒の手打ちそば屋が、平成11年に大石田町そば街道振興会を結成。力を合わせてそばの里づくりに取り組んでいる。
秋にはみんなの力を結集した、そば祭りが行われ多くの客でにぎわうそうです
4、平成13年に環境省の、かおり風景100選に「大石田ソバの里」が認定されたとのことでした。
かおり風景100選とは、その地に住む人々や訪れる人々にとって心地よいと感じる「かおり」であり、自然景観は勿論、文化、生活、歴史などの社会的背景を含め、将来残したい風景を言うそうです。
ああ~我々が今やろうとしている「地域の宝探し」事業が功を奏し、将来輝いてきたらこんな事になるのではないでしょうか?・・などと考えながら話を聞かせてもらいました。
蕎麦談義に花を咲かせてあっという間に昼近くなってしまい、今日の第二の目的地、かの有名な「次年子」に向かう。
曲がりくねった山間の道を進むこと約30分近く走ったでしょうか。道端には段々の田が大分耕作放棄されておりました。
現在では学校もなくなり過疎が進む高齢者の集落と言う感じのところ。
昔、子供が生まれてもあまりにも雪深く役場までは限りなく遠いことから、翌年にならないと出生届が成されなかったそうです。
このようなことから、次年子の地名が付いたとの説もあるそうです。
ようやくOさんが予約してくれた「ソバ切り源四郎」に到着。
民家を改造して蕎麦屋にしたようなご様子です。
こんな隔離されたような中で手打ち蕎麦屋が5軒もあるということは如何に地区外からお客が多く来ているかを容易に想像させることが出来ます。
注文したのは板そば700円ときじずる(雉汁)300円也(格安)
つまみに出てきたのはスイカのオイル煮ときゅうりのビール漬け、蕨の一本漬でした。
地元次年子産のそば粉を使った二八ソバ。
流石に見場と言い、湯で加減と言い素晴らしい出来。・・・とてもうまかったです
ついでに「そばがき」1人前900円也をみんなで突いて試食してきました。
次にMさんが支配人をしている第3セクター「あったまりランド深堀」に廻る。
ハイジアパークに宿泊施設を加えたような立派な施設。
温泉も楽しめる大石田の観光拠点としてにぎわっていました。
そば打ち体験もやっているそうです。
Mさんの案内で体験工房や用具を見せていただき大変勉強になりました。
会場付近廊下にはそば畑の写真が展示され一層雰囲気を盛り上げておりました。
記念にそば粉「来迎寺在来種」1kg、1100円をみんなで購入。
各自、家族に振舞おうと張り切っていましたが果たして実行した方はどの程度かな?
続いてOさんの名ガイドで大石田の見所を案内していただきました。
Oさんは横浜市出身、旦那様がUターンしてからボランティアガイドを始めたそうな。
歴史にも大変詳しく、浜言葉で歯切れのいい説明をしてくださいました。
江戸時代、舟運の中心河岸の町として栄えた大石田。
松尾芭蕉、正岡子規、斎藤茂吉を初めとする文人が時を過ごした所だそうです。
舟運で隆盛を極め当時活躍していた職人が愛用していた道具や作品を展示紹介している クロスカルチャープラザを始め、乗船寺の釈迦涅槃像、斎藤茂吉の墓石や芭蕉の歌碑等を説明していただきました。
写真は往時の舟運文化を偲ばせる白い塀を描いた特殊堤防壁画(最上川河畔)
みなさん、暑い中を本当にお疲れ様でした。
車を出して運転を勤めてくださった方々本当にありがとうございました。
我々も、いつの日か金山のそば祭りの実現を夢見て活動を継続させていきましょう
(Y,T記)
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