私は子どもの頃から、今もですが、
親に心配されるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした
。
先日、久しぶりに姉と話をしていて思い出しました。
私と姉は本当に同じ家庭で育ったのか?と思うほどまったく違います。
何もかも!
ものの考え方もすることなすこと…みんな。
その姉からすると、
私が親や姉の心配を嫌がることが信じられないというか、
「身内なんだから心配して当たり前
。」
と思っています。
私は子どもの頃から苦痛でした
。
というのも、
親の心配によって自分の行動がかなり制限されているとずっと感じてきたからです。
「危ないからやめなさい!」
「親は経験上、やめたほうがいいかどうかわかる。」
と言われて、
自分の経験したい欲求をずいぶん妨げられてきたように思うんです
。
そう言われるたびに
「やってみないとわかんないじゃない
」
と反抗していました
。
それでもやってみたい欲求はなかなか抑えられるものではなく、
親に黙って、勝手にやってたりもしましたが…
。
心配することが愛情 ではないと思うんです。
親や姉に言わせると、
愛情があるから心配するんだ と。
それはそうなのでしょう。
それでは、愛情をかけている人には心配しなくてはいけないのでしょうか?
「心配しないと冷たい
。」
という空気が家庭の中にはあったように思います。
心配すると親や姉は喜んだので、
私自身、心配するような習慣を無理に身につけていったような気がします
。
でもこれって不自然なんです。私の中では
愛情があるなら、私の行動を阻止しないで、
黙って見守っていてほしかった…
これが本音です。
怖いもの知らずで、危なっかしい子どもだったと思いますが、
黙って、とりあえずさせてほしかった…
でもたとえば自分の子どもが
治安の悪い外国に行きたいと言ったら、
それは私も阻止するでしょう。
その境って難しいですよね~。
自分が愛情たっぷりの中で育ったということは強く感じています
。
そのおかげで、自分を肯定して生きられる、安定していられるのだと
感謝しています。
その愛情の表現の仕方が…
「心配」は必要なかったんじゃないかって
。