★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

生きる力…問題解決能力

2013-11-01 10:41:03 | ◆現代教育考◆
子ども達に大人は何を伝え、教えなければいけないのか…?

勉強?スポーツ?
勇気?愛?思いやり?正義?協調性?


色々な考え方があると思います。

が、大切なのは
生きる力。

生きていると様々な問題に遭遇します。その時に解決策を練り、選択し、行動していく力が必要です。

投げ出したり、解決を先送りにしていては更なる問題がどんどん押し寄せ、山積みになっていくだけです。


以前、こんな方がカウンセリングに来られました。
40歳を過ぎた男性…遭遇する問題からいつも逃げ出してこの歳まで生きて来たようです。毎晩、山積みの問題に押し潰される夢に苦しんでいました。

解決方法はただ一つ。一つ一つ問題にちゃんと向き合って解決していくしかないのです。


生きるために必要な問題解決能力、
具体的なやり方を書いてみます。


私がカウンセリングする時の方法です。

1.まず相手(相談者)の話をとことん聞きます。

…相談に来られる方はかなり頭で色々考えて、感情も絡めながら悩みぬいて来られます。なので

2.色々出てくる不満や不安、恐怖…その中の核になっている問題をみつけます。

…たいていの場合、色々出てくる不満などは一つの大きな問題から派生して出てきているからです。

3.その核になっている問題にどう取り組むか?考えられる選択肢を全てあげます。

…カウンセリングの多くはほとんど口を出さずに相談者に考えさせ、決めさせていくというものですが、
問題を解決していく方法を知らない子どもや学生さん達には、本人が思いつかない方法をできるだけ沢山こちらから提示するようにしています。

4.いっぱい出て来た様々な方法の中から、コレをやってみたい、コレならできそうだというものを選択します。

…これは必ず本人が決めます。

5.最後は実行です。

…今の状況を変えたいと思うなら、やってみてください と促します。

そうするとたいていの人はやってみます。中にはやってみない人もいます。
やってみない人はあーでもない、こーでもない、それはちょっと、と再び1~4の作業を繰り返し、言い訳を繰り返し、実行しない理由を並べます。
そういう人は、
今はまだ解決する意思がないので、一旦そこまでのご縁、ということになります。
当たり前ですが、自分の問題を解決できるのは自分しかいないのです。


この問題解決能力が子どものうちから身についていれば、一つの方法しかないと思いこんで、行き詰まる(息詰まる、生き詰まる)こともなく、前に進むことができます。


子ども達にはぜひ、問題解決能力を身につけて、自殺なんかすることなく、生き詰まらないでもらいたい、
そう思います。

「ほめて育てる」

2013-03-17 11:41:31 | ◆現代教育考◆
テレビを見ていると、
福岡女子大学の先生、和栗百恵さんがこんなことをおっしゃっていました。

・・・『ほめて育てる』というのは真髄の部分ではその通りだと思う。
   しかし現代では努力もしていないのにほめてばかりいる・・
   成功体験が重要だというけれど、今の時代むしろ失敗体験の方が必要だと思う。・・・

こんな内容でした。

なるほど・・・

その通りだと思いました。


努力もしていないことをほめられても何にも育たないなと。 
努力していないのに、「よくやったね~。」「がんばったね~。」と言われると
子どもは「この程度でいいんだ!」と思います。
そしてちょっとがんばったふりをすればちやほやしてくれると学びます。
そしてちやほやほめてくれない人に腹を立てます。
和栗先生がおっしゃるように現代の子どもたちはほめられることに慣れすぎているのかもしれません。


会社などでも上司にチョッと叱られるとプイと会社に出てこなくなったり、
サッサと会社を辞めていったり、
そんな若者が増えているという話はよく耳にします。


ほめるタイミングってとても大切だということですね。
その人にとったらワンステップ、アップした瞬間、ここぞというタイミングでほめてあげられる大人になりたいなと思います。

そしてもう一つ大事なのは
本人が気づいていない「良いところ」を思いっきりほめてあげること、
これはとても大切だと思います。
「注目したものは増大する」という宇宙の法則があるそうです。
フリースクール、フリースペースをしていた頃、
「子どもたちの良いところに注目すると、不思議と子どもたちは育つ。」
ということを存分に体験させてもらいました。
良いところが増大して、悪いところが気にならなくなってくるんです。
もっというと、悪いところが消えていくんです。
注目したものが増大するなら、注目しなかったものは消えていくしかない
これもまた宇宙の法則のようです。


ほめて育てることは大事。
だけど、そのタイミングを間違えないように。

子どもの智慧

2011-11-21 08:14:38 | ◆現代教育考◆
子どもの智慧って凄いです

大人より純粋な分、大人より真理が見えていることも多いようです。


     

あるお母さんがAさんと喧嘩をしました。
それまで、子どもたちもAさんによくなついていました。
もう喧嘩をしてずいぶんと月日が経っていました。
子どもたちは心を痛めていました
お母さんの前でAさんと仲良くするといけない…
そうお母さんに気を使いながら
それまで仲の良かったAさんと
会っても口をきいてはいけないような状態を
子どもたちはおかしいと感じていました

さあ、そこで子どもたちはどうしたと思いますか

たまたまお母さんがいないときにAさんと会う機会がありました。
その時に子どものうちの一人(小学低学年)が
「お母さんが『ごめんなさい。』って言ってた。だから仲直りして。」
そう言ったのです

お母さんはまだAさんにご立腹なので、
そう言っていないのは明らかでした。
子どもは「嘘も方便。」を知っていたんですね~。

そこまで子どもたちは心を痛めていた…。

どっちが正しいとか、
お母さんが謝る気がないとか
そんなことどうでもいいことで、
嘘でもいいから「ごめん。」と謝れば
仲良くできる…

そう子どもは知っていたんですね。
実際、これが真理だと思います


子どもはみんなで仲良く楽しく過ごす方法を
大人よりもよく知っているんですね。


純粋は子どもの宝
子どもに教えられます…。

「スパイラルスペースひなたぼっこ」の目指すところ♪

2011-08-05 11:05:44 | ◆現代教育考◆
子どもたちに
優しい人になってほしいと願うなら
私たち大人自らが
優しさの中で生きること。

互いを思いやる
愛あふれる社会を願うなら
私たちひとりひとりが
相手を思いやり
愛あふれる気持ちで生きること。

そんな大人と子どもの育ちあいを目指します。




これは独身の頃に開いていたフリースペース兼塾、
「スパイラルスペースひなたぼっこ」の指針でした。
今もこの思いに全く変わりありません。

子どもにだけ「思いやりのある子になってほしい」と願っても
大人がそういう生き方をしていなかったら
子どもはどう学んでいけばいいのでしょうか。
そういう環境の中に身を置くから学べるんです。
口先だけで「こうしなさい。」「こんな子になりなさい。」って
どれだけ言っても伝わりません。

   
   ある民族の人は「喧嘩」というものを知らない・・
   そんな民族がいるそうなんです。
   喧嘩をしている場面を見たことのない子どもたちは
   「喧嘩」を知らずに育つのだとか。
   「喧嘩」がどういうものなのか知らないんですね。
   なぜ喧嘩をするのかもわからなければ、喧嘩の仕方も知らないんですね。


喧嘩を知らずに育つことが、今この国で生きるのに幸せかと言われると必ずしもそうとは言えないのかもしれません。
免疫や耐性がなく育つと怖い…そんな声が聞こえてきそうです。

が、あたたかい、優しい場所を知っているということが大切なのだと思います。
子どもたちは見たもの、自分が置かれた空間の雰囲気を身に染み込ませて育ちます。


大人が自分の生き方に手を抜いていてはいけないってことですね。

「適材適所」

2011-02-23 09:41:22 | ◆現代教育考◆
「適材適所」… 人の能力、特性などを正しく評価して、ふさわしい地位、仕事につけること。

この言葉、元々は建築の現場で使われていたようです。
「適した木材を建物の適した所に使う」そういう意味で使われていたようです。

木にも様々な種類があります。
建物の土台に適した木
内装に適した木
屋根に適した木…。

また同じ種類の木でも
日当たりのいい南で育った木
日当たりのよくない北で育った木

南で育ったから いい とか
北で育ったから 悪い とか
いうものではないようなんです。
建物の南側には南で育った木が、
建物の北側には北で育った木が、
向いていたりするそうです。

また切り出した木は数年置いて乾燥させるそうです。
乾燥すると右に反るか、左に反るか、まっすぐなままか…。
反ったからよくないというものではなく、
右に反った木と左に反った木を上手く組み合わせてバランスをとることで
いい建物が建つのだそうです。

つまり、必要とされない木はない ということ。
どんな木にも、その木にしかできない役割があるということです。

宮大工で法隆寺の解体修理や再建の棟梁をされた
西岡常一さんの著書で読んだ記憶があります。

木も花も人も同じじゃないかなって思います。
シロツメクサはどう頑張ってもヒマワリにはなれません。
それをヒマワリを望む親がシロツメクサの子どもに
どれだけ尻を叩いてヤイヤイ言っても、
シロツメクサはシロツメクサ。
シロツメクサの可憐さ、強さを持っているのです。
親はその子どもの特性を理解して伸ばせる手助けをするのが仕事ではないでしょうか?
親だけでなく、その子どもと関わる大人にできること。
子どもの適性に合わないことを期待したり望んでしまっているかも、と思った時には
「適材適所」の言葉を思い出してみてください。


幼稚園のクラスにいるいじめっ子ちゃん。。。

2011-02-18 09:54:36 | ◆現代教育考◆
先日、姉から受けた幼稚園に通う姪っ子の相談です。
同じクラスのMちゃんは
いろんな人に意地悪を言ったり、したりして
泣かせてまわる困ったちゃん。
相手が傷付いて泣いたり、うろたえるとニヤッと笑う…。
ある日姪っ子がMちゃんに叩かれて怪我をして帰って来たそうで、
見るに見兼ねた姉は連絡帳に
「娘とMちゃんの様子を気をつけて見守って欲しい。」と書いたそうです。
そう書くことで、幼稚園の先生からMちゃんのお母さんにうまいこと
Mちゃんの問題行動について伝えてもらって、親子で考えてもらえたらと
期待していたようなんです。
が、幼稚園の先生は姉に謝るばかりで何の手も打ってくれないとのこと。

全く同じでないにしても、同様な悩みを抱えている親御さんも多いのではないでしょうか。

私がまず思ったのは Mちゃんがどれだけ辛い思いをしているのか…ということ。
五歳の子が故意に相手を傷つけて喜ぶなんて、
家の中で毎日どんな思いでいるんだろう。
友達を傷つける口調はきっと親にいつもMちゃん自身が言われてる事。
Mちゃんに言われただけで、姪っ子も姉もカッカきたり落ち込んだりしてるのに。
Mちゃんは自分の親に、しかも密閉された家という空間で、誰にも話せずに、
小さな胸にしまいこんで…。

で、どうすればいいか?!
一番いいのはMちゃんの親御さんがMちゃんをいっぱい抱き締めてあげる!
人と比べる必要はないのよ、あなたがいてくれるだけでいいのよ、って。
それができるまでは幼稚園の先生方で悪いことは悪いと教えつつ、
目一杯ムギュームギューってしてあげる!

でも姉からするとどちらも人任せですよね。
じゃあ、クラスにこういうお子さんがいる時どうすればいいか。
★まず担任の先生と連絡を密にとって日々の様子の情報交換をまめにする。
そうすることで、先生の 謝ってやり過ごそうとか波風立てずになんとかやり過ごそう…
という意識を変えて、クラスみんなでMちゃんの問題を考えようという態勢にもっていきます。
MちゃんやMちゃんのお母さんをチマツリにあげるのではなくて、
みんなが成長していけるように。
みんなが育児や子育ての相談者になれたらいいですよね。

「うちの子に被害がなくなればそれでいい」とか
「うちからの苦情だってわからないようにうまいこと…。」とか
当たり障りなくなんて、誰のためにもなりません。

みんなが育つような方法でないと、解決とは言わないですよね。

劣等感と罪悪感

2010-09-21 08:36:37 | ◆現代教育考◆
義母のリハビリの先生がおっしゃっていました。


「これから意識がどんどんはっきりしてくると、
動かない手や足を情けなく思い始めるでしょう。 
動かない手足を一生懸命動かそうとすると『できない…』と落ち込んでしまいます
そうではなくて、
使える方の手で『こんなことができた』『あんなこともできた』という喜びを引き出すようにしていきましょう。
そのためには嫌なリハビリを苦痛に感じながらするよりも
興味のある好きなこと、夢中になれることを楽しくやる方が回復が早いです。」

一つ一つごもっとも
子育て、部下育て、社員育て、自分育ても皆共通して言えることだと思いました。

 できない部分を意識させるのではなく、得意分野を伸ばそう
 苦痛を感じることを嫌々するより、興味あるものを楽しんですると伸びる

「そんな甘いことは言ってられない 
とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。
子育て、部下育て、社員育てに行き詰ったとき、
ふとこの基本に立ち返って見られてはいかがでしょうか?


劣等感と罪悪感は本人の成長を止めるかゆがめてしまうものです。
ぜひぜひ、劣等感と罪悪感を取り除く教育を

自分育ても同じです。自分自身で劣等感と罪悪感を取り除いていく考え方をしてみてください。
驚くほど楽しくて楽~になるはず


もっとハモる喜びを♪

2010-05-16 16:17:28 | ◆現代教育考◆
子どもの頃から合奏、合唱大好きでした
うまくピタッとハモれたときのあの快感。あの喜び。あの感動。

小さい頃からピアノを習っていました。
今思い出すと、ピアノの練習、面白くなかったなぁ。
決められた教本、バイエルに始まり→ソナチネ→ソナタ・・・を一曲ずつ○をもらうまで練習して。

今思うと、他の人とハーモニーを共に奏でる楽しさをもっと味わいたかったなぁ。

ピアノ教室の練習は楽しくなかったけど、
休日などに学校で習った曲を姉と一緒に歌でハモったり、
ピアノ伴奏と歌に分かれて遊んでたとき、楽しかったなぁ 
あと大学の音楽の授業でやった友達とのピアノの連弾、
曲も自分たちで選んで、
楽しかったなぁ 


ピアノ教室もあんなふうに共にハーモニーを寄り添わせて新しいハーモニーを生み出す、
そんな練習があったら、とっても楽しかっただろうなぁと思います。

そしてそれが音楽だけではなくて、
他の誰かとリズムを持ち寄って波長を合わせる
とってもいい練習になるだろうなと思います。

「魂は永遠と思うとしんどい」と言う引きこもりの男の子

2010-02-08 09:52:26 | ◆現代教育考◆
10年ほど前、関わっていた当時17~18歳の引きこもりの男の子。
彼とのこんな会話を思い出しました。

私は焦る必要はない…そういうつもりで
「人生長いし、死んでもまた生まれ変わる・・魂は永遠だから。」
という話をしたと思います。

すると彼から返ってきた言葉は
「今生、一度きりだと思うからこの苦しみも我慢できるけど、
魂が永遠に続くと思うとしんどくなる。」って。

なるほど。
しんどい、苦しいときにはこの状態が永遠に続くと思ってしまうんですよね。

今の状態が永遠に続くなんてことはありえません。
必ず、形あるものは形を変えながら、形は壊れながら新しい形に生まれ変わっていきます。
逆に言うと、今の形を変えたくないとしがみついていても、必ずその形は形態を変えていきます。

実際、当時引きこもっていた彼も、今では働きに出ているようです。


彼の言葉からとても大切なポイントが見えてきます。
ポイントは二つ。
★今の状態が永遠に続くということはありえない。
★今、苦しいからと言って死んで幕を閉じたとしても、
 魂は永遠なのだから、また生まれ変わって同様の苦しみと対面することになる。


引きこもると、どうしても頭ばかりを使って
余計なことを妄想し始めます。
そして誰かへの恨みつらみを増幅させていきがちです。
そんな時は、家の中ででも部屋の中ででもいいので、
体を動かして、体を疲れさせること。
体を動かすと自然と心も健康的に動き始めます。



親の心配が苦痛だった子ども時代・・・

2010-02-06 10:04:36 | ◆現代教育考◆
私は子どもの頃から、今もですが、
親に心配されるのが嫌で嫌で仕方がありませんでした 

先日、久しぶりに姉と話をしていて思い出しました。
私と姉は本当に同じ家庭で育ったのか?と思うほどまったく違います。
何もかも!
ものの考え方もすることなすこと…みんな。
その姉からすると、
私が親や姉の心配を嫌がることが信じられないというか、
「身内なんだから心配して当たり前 。」
と思っています。

私は子どもの頃から苦痛でした 
というのも、
親の心配によって自分の行動がかなり制限されているとずっと感じてきたからです。
「危ないからやめなさい!」
「親は経験上、やめたほうがいいかどうかわかる。」
と言われて、
自分の経験したい欲求をずいぶん妨げられてきたように思うんです 
そう言われるたびに
「やってみないとわかんないじゃない 
と反抗していました 

それでもやってみたい欲求はなかなか抑えられるものではなく、
親に黙って、勝手にやってたりもしましたが…


  心配することが愛情  ではないと思うんです。
親や姉に言わせると、
  愛情があるから心配するんだ と。
それはそうなのでしょう。
それでは、愛情をかけている人には心配しなくてはいけないのでしょうか?
「心配しないと冷たい 。」
という空気が家庭の中にはあったように思います。
心配すると親や姉は喜んだので、
私自身、心配するような習慣を無理に身につけていったような気がします 

でもこれって不自然なんです。私の中では 

愛情があるなら、私の行動を阻止しないで、
黙って見守っていてほしかった…

これが本音です。

怖いもの知らずで、危なっかしい子どもだったと思いますが、
黙って、とりあえずさせてほしかった…



  でもたとえば自分の子どもが
  治安の悪い外国に行きたいと言ったら、
  それは私も阻止するでしょう。
  その境って難しいですよね~。


自分が愛情たっぷりの中で育ったということは強く感じています 
そのおかげで、自分を肯定して生きられる、安定していられるのだと
感謝しています。
その愛情の表現の仕方が…
「心配」は必要なかったんじゃないかって