FBI最終日。写真は、今日のプログラム。4日間、知っているひと、ずっと観たかったけど観たことなかったひと、初めて知ったひと、様々なひとの演奏を観て、たっぷり吸収、おなかいっぱい。ブリッジという場所にいた、若手からベテランから中堅から、色々なミュージシャンが、ずらーと並ぶ最後の日。お客さんやスタッフの中にも、アーティストがいっぱい。こういう音楽がほんとに好きでいてくれるお客さんは、ずっと最前列付近にかぶりつきだ。ブリッジで育った若手も多くいるようで、中には「おれ、ブリッジなくなったら、どこでやったらいいんだ」と言ってるひともいるくらい。この場所が作ってきた、固まりというか、うねりというか、そういうものに、こころより敬意を。ここに集まっていたひとたちが、今後、それぞれどんな動きをしていくのかが、またとても興味深い。
途中、ぬけて、ジャズのライブをしになんばへ。道々、履いてきたベトナム製のぺったんこサンダルが壊れたので、なんばウォークで1000円のサンダルを購入、結構かわいい、めずらしくヒールがある、ちょっとキツイ。世の中の多くの女性は、こういう履物を、日常的に履いていたりするのだなあ。ああ、こういう気分も大事かも。
ジャズのビックバンド。今回は衣装を、上は白でかわいいネクタイをつける、下は黒、女性は髪に花、と、統一。衣装とか、こういうの、大事ですからー。前回を思えば、ずいぶんたくさんお客さんが来てくれた。でも、まだ、出演者のほうが多いけどー、徐々にねー。リピーターがいてくれるのが、嬉しいです。
ビックバンドで鍵ハモ、というのは、音がうずもれて難しい。マイクを通してるけど、今日はかえしなしだし、他のひとと音が重なると、自分がなにをやってるんだかわからなくなってしまうなあ(おちても、間違えても、よくわからないじゃないか。。。)。ソロのところなら、問題はない。音色的には、鍵ハモは結構目立つのだ。あー、でも、ソロ、もっと色々できるだろう、もっと遊びたいな。
今回は、ほんと、練習にかなり参加できずに本番で、みなさんに申し訳なく。それでも楽しんでやれー!という部分も大事だし魅力的な側面でもあるけどね。実際、kananaga、本番をとっても楽しんだ。
ライブ後、ブリッジに戻る。ちょうど、内橋和久さんセレクトの組み合わせでの即興コーナーが、始まるところだった。今日だけでなく、4日間、たくさん即興を観た。その印象としては、やさしいひとが多い、ということだった。ひとの音を聴いて、ひとに合わせようとする、そういうタイプの即興が主流のひとが、殆どなのだ。これは、ブリッジのカラーなのかな。kananagaは、そういう即興も、やるのも、観るのも、好きだ。でも、そればっかりだと、飽きてきてしまう。だって、人間も、地球も、やさしいだけではない。やさしいだけ、というバランスは、kananagaにとって、かなり不自然な、人為的なことだ。何人かのひとが、そのやさしい場を、空間を荒らすことに、挑んでいた。それは、それぞれとっても、ある種、美しく見えた。
やさしくしていたい、という気持ちは、すごくすごくわかる。それ、すごく大事で、大きな挑戦なんだ。でも、ひとも地球も、嫌なところ、ダメなところがいっぱいあって、それは、どんなに頑張っても、やっぱりぬぐいされなくて。人間や地球の中の恐ろしい部分を、もし受け入れてもらえないとしたら、そういう面が見破られないようにしなくちゃいけないとしたら、表に見えてるところは嘘だらけになってしう。嘘も、いいよ。でも、嘘だけにしなくちゃいけないとしたら、しんどい。平和な世界に生きていくために、滅亡しないために、水面下では、常に、戦争を起こさないための、静かな戦争が起きている。それを、実行しているひとが、いる。
即興について。一期一会のやりとりだから、面白い。ひとの関係そのものだなあ。誰かと誰かの関係は、ひとつとして同じものがない。会ったことのなかったひととはもちろん、何回か会ってるひととの関係も、会うたびに変化するからね。関係の中に、発見することの、連続だ。
初めて会うひとだったら、ちょっと気まずいとか、どんなひとなんだろうとドキドキワクワクする感じとか、別にすぐに関心が持てないひとだったら、流してみるとか無視してみるとか、あるかもしれない。自分はすごく関心があるのに相手が全然興味を持ってくれないのであれば、なんとかこちらに興味を持ってもらえるよう、あれこれ働きかけるだろうな。今まで生きて来た経験やもっている常識や文化がかなり違ったりすると、共通言語を探そうとしてみたり。お互い違うことを認めようとしたり。会ってすぐ意気投合しちゃうこともあるし、そこはじっくりゆっくりなこともあるし。
何回か以上会っていて、知っているひとなら、もっとよく知りたい、とか、そんなこと思ってなくても、あ、このひとこんなとこあるんだ、とかに、ほっといてもいくらでも気付いたり。もしそのひとが落ち込んでいるなら、なぐさめるかもしれないし、ある程度以上の信頼関係ができてるなら、きびしくざっぱり突き放すかもしれない。相手がすごく楽しそうなら、一緒に楽しんじゃおう、と思うかも。お互いの関係をより楽しむために、色々しかけるんじゃないかな、なんか誘ってみたり、裏切ってみたり、けしかけてみたり、イタズラしてみたり、やさしくしてみたり、怒ってみたり、許してみたり、無視してみたり、いじけてみせたり、甘えてみせたり、愛してみたり。こちらがやってみたいことがあるなら、協力を求めるかも、こちらも、相手を手伝えるかも。そういうのを、もっと強引にやってみると、そこにはすごいドキドキ感があったり。相手が絶望してるとき、ただ一緒に絶望することだって、関係のうちのひとつだ。殆どなにもおこらないように見える日常を共有してみたりすることもできる。
色々な関係性を、遊びたい。「意味」を殆ど介さないコミュニケーション。見るからに成立してるコミュニケーションが、ほんとはどれほど充実した、どれほどの深さのものであるかなんて、定かではないし、一見全くもしくはたいしてコミュニケーションが成立していないように見える関係が、どれだけ親密だったり、あとからきいてくるものだったりするかは、計りしれない。それに、深いものにだけ価値があるとか意味があるとかいうものでもないし、価値や意味を求める理由も、特にない。だから、そこにこだわる必要は、ないのだと思う。ただ、ずっと、知りたい、という欲求や、出会い続けたい、という気分があるのは、確か。
FBIで、新しい出会いもたくさんあって、そういうひとたちとも、またどんな関係ができていくのか、とてもとても楽しみなのだ。ブリッジが終わるというのに、ブリッジから、始まる気分、を、もらった。
途中、ぬけて、ジャズのライブをしになんばへ。道々、履いてきたベトナム製のぺったんこサンダルが壊れたので、なんばウォークで1000円のサンダルを購入、結構かわいい、めずらしくヒールがある、ちょっとキツイ。世の中の多くの女性は、こういう履物を、日常的に履いていたりするのだなあ。ああ、こういう気分も大事かも。
ジャズのビックバンド。今回は衣装を、上は白でかわいいネクタイをつける、下は黒、女性は髪に花、と、統一。衣装とか、こういうの、大事ですからー。前回を思えば、ずいぶんたくさんお客さんが来てくれた。でも、まだ、出演者のほうが多いけどー、徐々にねー。リピーターがいてくれるのが、嬉しいです。
ビックバンドで鍵ハモ、というのは、音がうずもれて難しい。マイクを通してるけど、今日はかえしなしだし、他のひとと音が重なると、自分がなにをやってるんだかわからなくなってしまうなあ(おちても、間違えても、よくわからないじゃないか。。。)。ソロのところなら、問題はない。音色的には、鍵ハモは結構目立つのだ。あー、でも、ソロ、もっと色々できるだろう、もっと遊びたいな。
今回は、ほんと、練習にかなり参加できずに本番で、みなさんに申し訳なく。それでも楽しんでやれー!という部分も大事だし魅力的な側面でもあるけどね。実際、kananaga、本番をとっても楽しんだ。
ライブ後、ブリッジに戻る。ちょうど、内橋和久さんセレクトの組み合わせでの即興コーナーが、始まるところだった。今日だけでなく、4日間、たくさん即興を観た。その印象としては、やさしいひとが多い、ということだった。ひとの音を聴いて、ひとに合わせようとする、そういうタイプの即興が主流のひとが、殆どなのだ。これは、ブリッジのカラーなのかな。kananagaは、そういう即興も、やるのも、観るのも、好きだ。でも、そればっかりだと、飽きてきてしまう。だって、人間も、地球も、やさしいだけではない。やさしいだけ、というバランスは、kananagaにとって、かなり不自然な、人為的なことだ。何人かのひとが、そのやさしい場を、空間を荒らすことに、挑んでいた。それは、それぞれとっても、ある種、美しく見えた。
やさしくしていたい、という気持ちは、すごくすごくわかる。それ、すごく大事で、大きな挑戦なんだ。でも、ひとも地球も、嫌なところ、ダメなところがいっぱいあって、それは、どんなに頑張っても、やっぱりぬぐいされなくて。人間や地球の中の恐ろしい部分を、もし受け入れてもらえないとしたら、そういう面が見破られないようにしなくちゃいけないとしたら、表に見えてるところは嘘だらけになってしう。嘘も、いいよ。でも、嘘だけにしなくちゃいけないとしたら、しんどい。平和な世界に生きていくために、滅亡しないために、水面下では、常に、戦争を起こさないための、静かな戦争が起きている。それを、実行しているひとが、いる。
即興について。一期一会のやりとりだから、面白い。ひとの関係そのものだなあ。誰かと誰かの関係は、ひとつとして同じものがない。会ったことのなかったひととはもちろん、何回か会ってるひととの関係も、会うたびに変化するからね。関係の中に、発見することの、連続だ。
初めて会うひとだったら、ちょっと気まずいとか、どんなひとなんだろうとドキドキワクワクする感じとか、別にすぐに関心が持てないひとだったら、流してみるとか無視してみるとか、あるかもしれない。自分はすごく関心があるのに相手が全然興味を持ってくれないのであれば、なんとかこちらに興味を持ってもらえるよう、あれこれ働きかけるだろうな。今まで生きて来た経験やもっている常識や文化がかなり違ったりすると、共通言語を探そうとしてみたり。お互い違うことを認めようとしたり。会ってすぐ意気投合しちゃうこともあるし、そこはじっくりゆっくりなこともあるし。
何回か以上会っていて、知っているひとなら、もっとよく知りたい、とか、そんなこと思ってなくても、あ、このひとこんなとこあるんだ、とかに、ほっといてもいくらでも気付いたり。もしそのひとが落ち込んでいるなら、なぐさめるかもしれないし、ある程度以上の信頼関係ができてるなら、きびしくざっぱり突き放すかもしれない。相手がすごく楽しそうなら、一緒に楽しんじゃおう、と思うかも。お互いの関係をより楽しむために、色々しかけるんじゃないかな、なんか誘ってみたり、裏切ってみたり、けしかけてみたり、イタズラしてみたり、やさしくしてみたり、怒ってみたり、許してみたり、無視してみたり、いじけてみせたり、甘えてみせたり、愛してみたり。こちらがやってみたいことがあるなら、協力を求めるかも、こちらも、相手を手伝えるかも。そういうのを、もっと強引にやってみると、そこにはすごいドキドキ感があったり。相手が絶望してるとき、ただ一緒に絶望することだって、関係のうちのひとつだ。殆どなにもおこらないように見える日常を共有してみたりすることもできる。
色々な関係性を、遊びたい。「意味」を殆ど介さないコミュニケーション。見るからに成立してるコミュニケーションが、ほんとはどれほど充実した、どれほどの深さのものであるかなんて、定かではないし、一見全くもしくはたいしてコミュニケーションが成立していないように見える関係が、どれだけ親密だったり、あとからきいてくるものだったりするかは、計りしれない。それに、深いものにだけ価値があるとか意味があるとかいうものでもないし、価値や意味を求める理由も、特にない。だから、そこにこだわる必要は、ないのだと思う。ただ、ずっと、知りたい、という欲求や、出会い続けたい、という気分があるのは、確か。
FBIで、新しい出会いもたくさんあって、そういうひとたちとも、またどんな関係ができていくのか、とてもとても楽しみなのだ。ブリッジが終わるというのに、ブリッジから、始まる気分、を、もらった。
もし受け入れてもらえないとしたら、、、 。
を 始めとして、
はっ と思うもの
たくさん でした。
私は
自分を含めて、色々なものの、
恐ろしい部分を
きっと まだまだ
受入れられて いません 。
まだまだ ですが、
でも
少しづつ 出来るように
なってきた気がします。(自惚れかもです…、)
そうしたら
少しづつ少しづつ
生きやすく
なってきました。 …ほんと少しづつで、のろいんですが … 。
やさしさは、
深ければ深い程、
表面上では、
ものすごく冷たくなったり、しますもんね。
泥臭いものを、
出せないのは、
しんどくて、哀しいです もんね。
とか、
動きの悪い脳みそで、
思ったのでした(v v)
新世界ブリッジ、
行ったこと ないのですが、
ステキな場所なのだ と
ひしひし 伝わってきました◎
長々と すみません(v v)
でわでわ
失礼します◎◎
「やさしさは、
深ければ深い程、
表面上では、
ものすごく冷たくなったり、しますもんね。」
この言葉、リアリティあります~