kananagaの日記

音楽したり絵を描いたり紙芝居したりするkananagaの暮らし

久々の絵の具作業

2011-04-08 | 日記
必要な案件があって、実家でおばあちゃん(=kananagaの母)に合歓をみてもらいながら、6枚同時進行で0号とSMサイズの絵を描いた。絵の具使って絵を描くのすっごい久しぶり、もちろん産後初。合歓が時々どうしてもkananagaを要求するし、頑張って急いで描く。最短コースで描こうとしてるんだけど、うーん、意外と時間かかるもんだなあ、今日では完成しなかった。とはいえ、まだ途中だけど中々いい絵だなあ。しかも6枚同時でこのスピードだったら結構能率いいかも。ああ、しかし、疲れたなあ~~~。

新居がようやくほぼ片付いたし、ぼちぼち徐々に仕事するよ。体力とか落ちてるかな、1月にワークショップしたときもすごく息がきれたしなあ、何事もリハビリだ。あ、体力が落ちたんじゃ、ないな。育児という仕事が上乗せされて疲れてるんだ!つまり、体力はアップしてるに違いない!

福島の原発から20km圏内の浪江町のこと

2011-04-07 | 日記
本当は約1ヶ月遅れている日記を追いつかせてからと思っていたけど、さっき見た番組があまりにすごかったので、もうとばして今日の日記を書いてしまうことにした。

NHKのクローズアップ現代で、福島の原発から20km圏内で避難指示の出ている浪江町のひとたちのことが紹介されていた。すごかった。すごい情報量を伝えているVTRだったが、言葉にするのがかなり難しい。でも、忘れないうちにメモしておきたいと思った。町の方々が言っていたことに、kananagaの解釈が多少加わってしまうけど。


この町にとって原発は雇用を生んで経済を活性化させてくれた存在でもある。しかしそれは国や東京電力がとなえてきた「安全」が保障されれてこそ享受できてきたものだった。

今は、原発そのものも含め、恐れや憤りを感じている。

いつになったら浪江町に戻れるのか、それとも当分戻れないのか、とにかく情報をくれないと。恐らく多くの方がこの町に戻りたいと思っている、当然のことだ。でも、ここに住めなくなるひとも絶対出てくるだろう。

ほかの地域ではそれぞれ復興が始まっている。でも浪江町では、いつ戻れるのか=いつになったら放射性物質による汚染が生活できるレベルになるのか⇒1ヶ月?1年か2年?いやいや、一生戻れないかもしれない?それがわからないから何も始められない。

そもそもこの地域、今どのくらい汚染されているのかも「計測不能」状態。

普段クレーンを操縦する仕事をしているひとが、なるべく早く町に戻りたいから⇒元の浪江町として生活したいから、原発に入って瓦礫の撤去などの作業を手伝っている。1日で1.5ミリシーベルトの被曝。でもやらなきゃ、って言ってた。

鉄工所経営者の方は、家も流されてしまった従業員のために何とか助成金を得ようとするが、申請には従業員たちのタイムカードなどの書類が必要だと言われる。今は立ち入り禁止になってて書類をとりにいけない。役所のひとたちも板挟みだろうけど、つらい。こういうところに迅速に国の救済措置が入らなければいけないでしょう。

海辺の地域の安否確認担当の渡邊文星さん(わたなべの字があっているかどうかわからない)の言ってたことや表情が、深く脳裏に刻まれた。地震津波直後から捜索隊が向かう準備はできていたが、原発が爆発して町が立ち入り禁止になり行かれなくなった。今もまだ行かれない。安否不明が(確か)180人くらい。その名簿を見ながら「全員の顔を知っているんですよ。(名簿を)こうやって見てると、全員の顔が浮かんでくるんですよ」と言っていた。その口調や表情を、どう言い表していいかわからない。怒りや悔しさや悲しみがないまぜになっているんだけど、はっきりと前を向いている、地に足のついた、覚悟のできている顔だ。絶対忘れられない顔だ。

捜索隊が行かれなかったの、つらかっただろうな。すぐに行けたら助けられたひともいたかもしれない、と、考えてしまうと思う。

何人かの町民が、長時間被曝を避けるため90分間限定で自衛隊員とともに町に入るが、あっと言う間に時間がたち、安否確認は全く進まない。

現在の浪江町の風景がまた、なんて言葉にしていいかわからない。時が止まってる、なんて言葉ではなんか違う。まるで標本になってしまったかのような。

チェルノブイリ事故による患者の治療にもずっと携わってきた医師の鎌田實さんがコメンテーター。渡邊文星さんが今求めることとして言っていたのが「とにかく今どれくらい空気、水、土壌が汚染されているのか、また農業や漁業ができるようになるのか、など、そういうことの情報が必要。」それを受けて鎌田さんは「そのくらいの調査だったらできるはずだ」と言っていた。


番組のメモはこのくらいで。ああ、全然ダメだ、kananaga。言葉に全然できていない。


kananagaの素朴な疑問なんだけど、何故浪江町を含めた福島の原発近隣の放射性物質量は計測不能なんだ?機械がこわれているから?持ち込めるだろう。隠してるの?隠してどうなるものでもないだろう。都知事選で原発推進派のひとが当選するまでふせてるのか?それともなんなの?

ちなみにkananagaは、引っ越してすぐなので今回の選挙権がない。悔しい、本当に悔しい、行きたかった、この選挙は本当に行きたかった。東京は年配の方に保守が多い多いほんとに多い。だから、たぶん原発推進派が勝ってしまうんだろう、虚しい。今どうこうできることじゃない、これまでやってこれなかった自分たちの責任だ。若い人の投票率をあげることをもっとやっていかないといけない。若い人、必ず選挙に行って!

原発のこと、かなり複雑な構造になっていて、それを突き崩すのはひじょうに大変なこともわかった。でも、それでも世界を変えて行こう。

あ、ちなみに、kananagaには5ヶ月の娘がいるが、今のところ東京に留まっている。数値と状況を見ながらの対処。その判断材料になっている情報源とか、kananagaの考え方とか、また後日にまとめてみるつもりでいる。

首都圏で、被災地のショッキングな映像などを見てるうちに精神的に不安定になってしまうケースが沢山出て来てるらしい、特に子どもとか。それ、たぶんパニック障害だろうと思う。今起きてないのに予期不安でやられてるわけだから。

パニック障害は、認知のゆがみによって現れる予期不安からパニック発作を起こす病気で、感情の病気ではなく思考のゆがみが原因の病気。kananagaは産後2週間でパニック障害を発症した。母乳を続けられる薬をとりつつ、2ヶ月たったところで認知行動療法やら瞑想やらを実践して強いほうの薬を抜き、3ヶ月半くらいでもうひとつの薬もやめて、今ではすっかり発作は起きていない。

地震後の、テレビ、ラジオ、新聞、ネットなどからの情報にさらされているが、もう正体もコントロールの仕方もわかっているので発作は起こらない。図らずもこの大災害の前に発症と治癒を経験させてもらえたことに感謝。

まとまりない日記。日記だからいいか。。

日記を仕上げようとしたそのときに、また地震!3月11日以降で一番大きい!また東北地方が震源、いたたまれない。どんなに不安だろう。新たな被害が心配だ。

あまりにプレートが激しく動いたんで、地球の自転が速くなっちゃったんだってね!「地球」に、何が起きているんだろうね。

今夜の地震のとき合歓は寝てて、起きなかった。よかった。

合歓の寝返りが完成/興奮して寝られない

2011-04-06 | 日記
合歓がちゃんと寝返りした!おめでとう!でもまだ元に戻れないので、しばらくするとしんどくなっちゃうし、助けてあげないといけない。できたことが嬉しいのか面白いのか、今日1日でなんどもやってくれて、すっかり上達。

夜、抱っこして跳ねさせてあげたら大・大興奮!喜ぶからついやり過ぎたようで、そのあと興奮し過ぎて眠れなくなってしまった。眠いのに眠れなくてつらそう、ごめんね。

今度から、日が暮れたら興奮させる遊びはやめよう。

合歓初めての寝返り&起きても泣かない

2011-04-02 | 日記
合歓が初めて寝返りを途中までした。まだ自分で巻き込んだ手を出せない。

これまで、目を覚ましたら必ず一度は「えーん」と言っていた合歓だったが、今日は起きても泣かない、というアプローチを繰り出した。

バリエーションが増えている、成長している。

合歓初めてひとりでおすわり

2011-03-30 | 日記
昨日初めて両足をつかむと書いたばかりだというのに、今日は初めてひとりでおすわりしちゃったよ。まだゆらゆらしてはいるけど。ここ数日、伸び率すごいな。

合歓初めて自分の足をつかむ

2011-03-29 | 日記
昨日初めてマラカスの定期的なリズム打ちができるようになった合歓を動画におさめたいと思い、マラカスを楽しんでいるところを撮り始めたら、あまりやらなくなってしまった。そのうちやってくれるかな~と撮り続けていたら、なんと、初めて自分の足をつかんだ!撮れた!

すごい早さで成長している。kananagaも合歓の成長についていかなくちゃ!

合歓初めてマラカスをリズム演奏

2011-03-28 | 日記
合歓が初めてマラカスを「シャッカシャッカシャッカ」と規則的に演奏した。

これまでは遊んでてたまたまシャカッと鳴る感じだったが、「これは振れば鳴る」ことを認識したんだな。それと同時に育ってきた能力が、リズムをとる、というもの。お正月に会ったとき、いとこが「おっぱい飲みながらリズムとるよね」と言っていたが、その時の合歓はやっていなかった。しかし、1週間くらい前からかなあ、確かに、定期的に手で自分のひざなんかを打ちながらおっぱいを飲むというのを、始めた。

この2つの発達が重なって、マラカスのリズム打ちに至ったんだな。

合歓はきっちり要求する

2011-03-27 | 日記
いつくらいからかな、合歓は無駄に泣かなくなった。たぶん、3ヶ月を過ぎたくらいから徐々にで、東京に引っ越してきてからはますます顕著になった気がする。

泣くときは、母であるkananagaにいてほしいのにどこかに行っててすぐ現れてくれなかったとき。kananagaが慌てて帰ってくると、大粒の涙を流して泣き叫んでいたりする。

それ以外のときは、基本涙は出ない。遊んで欲しいとき、抱っこして欲しいとき、おもちゃをとって欲しいときなど「あ~~~~」とでかい声で要求する。うんちを知らせるときは「あうあ~」ともう少し緩やか。おっぱいが欲しいときは「ひこ~ひこ~」と言う。

合歓初人見知り

2011-03-12 | 日記
震災の翌日でまだ不安だらけだけど外出、実家へ。

ご近所の方が合歓に会いに来てくれた。すると、初めて人見知りをした!独特のしかめっ面をするんだけど、この顔がメチャメチャかわいいな。写真撮りたい。

地震津波原発

2011-03-11 | 日記
更に片付けを進める。キッチンと洋室と和室があって、和室だけは寝るために最初からなんとかあけてある。でも洋室とキッチンはいっぱいで、段ボールタワーがkananagaの背よりも高く立ち並んでて通るのもひと苦労だ。

合歓の首が完全に座ったことだし、抱っこひもエルゴでおんぶしてみた。おお、これで色々作業できるじゃないか!と思ったけど、顔が見えないのはやっぱり嫌みたいで、暫くしたら泣いちゃった。

泣いた、と言っても、実は合歓はあまり泣かない。意味なく泣かないのだ。3ヶ月過ぎたあたりからそういう風になった。泣くというより要求を通そうとして文句を言うというか、「こうしてほしいのー」という感じで涙を流さずに泣く、というか。ママちゃんにいて欲しいのにkananagaがどこかに行っててすぐに来てくれない、ってときだけ、ものすごい叫び声とともに大粒の涙を流す。

さて。

地震が来た。こんな普通の日に。

東京でもかなり大きく揺れて震度5強。一瞬、覚悟したくらいの揺れだった。しかもすごく長く5分くらい揺れてたから、三半規管の弱いkananagaは酔った。ツレも家にいてくれてるときでよかった。窓から見える電線がかなり大きく揺れていた。このひと揺れで、ただごとじゃないと想像するのには充分だった。

最初の揺れでは合歓は泣かなかった。しかし、次の揺れで、ちょっと見たことない感じで、激しく泣いた。kananagaたちの動揺が伝わったのかもしれない。親が冷静でいてあげないと合歓が落ち着けないなと思った。

こんなに荷物が積み上がった状態だったのに幸いひとつの段ボールも落ちてこなかった。引っ越し屋さんの積み方がうまいのだ、ちゃんとちょっとずつずらして積んであったから。唯一片付けてあった和室に3人ともいて、助かった。荷物の間にいるときにあの揺れが来たら、さぞ肝が冷えただろう。

きっと電話はつながらないだろうし、と思い家族にメール。返事が来るのにはだいぶかかったが、みんな無事。kananagaの父は用事で横浜付近にいて結局5時間かけて歩いて帰ってきたそうだ。母は近所に来てたようで、kananagaのメールの到着が遅れてるうちに、うちまで様子を見にきてくれた。上の姉は仕事でみなとみらいにいて、やはり歩いて、途中やっと空いてるファミレスを見つけて入って休んだりしたそうだ。日付が変わる直前くらいに家に着いたとのこと。下の姉は会社に1泊。

テレビをつける。世界最大規模の地震、津波、原発も被災で放射性物質が漏れる可能性がある。まだ全然全貌がつかめない。東京にいる分には、すごい揺れだったけど大した損害は今のところない。でも、テレビやラジオで得られる情報をただただ見守るにつけ、変な感じになってくる。たぶんあの揺れを体感したから余計にそうなんだ。

阪神淡路大震災のときは、東京あたりでは最初「被害は軽微」と報道された。それが、時間がたつに連れどんどん被害が大きいことが伝えられてくるのでぞっとした。そういった落差は精神的にかなり負担になるので、最初から甘くみない。ドキドキする、いや?きゅーっとする。どれだけでかいんだ?

ラゾーナ川崎

2011-03-10 | 日記
大田区からは川崎市が近い。川崎駅にラゾーナ川崎というでっかいショッピングモールのようなものがあるらしいので行ってみた。おお、でかい!きれい!昔はこんなのなかったよ、2006年にできたのか。便利便利、色々ある。無印、ユニクロ、ZARAにGAPにダイソー、ビックカメラ、ホームセンターもあるし本屋もそこそこでかいし、かと思えばカンペールなんかもあったりするし、フードコートにインド料理やタイ料理なんかがあったり!

うん、楽しい。とは言え、こういうところって、一度行くと「もういいかな」って思ったりもする。でもでも、しばらくするとまた行きたくなったりするんだよね。

合歓初ファミレス

2011-03-09 | 日記
引っ越し荷物はまだまだうずたかく積まれていて、家の中はまるで文化祭とかのお化け屋敷か迷路のようになっている。それでもコツコツ荷解きしようとするが、とにかく段ボール箱が多くてどこに何が入っているのやら。せっかく段ボール箱の上にも横にも中身を書いたのに、こんなに積まれてたらその文字が見えない。しかも合歓が「かまって~~」とわめくので、そういう作業がとにかく中断させられる。まだまともに料理が作れない。お昼ご飯はファミレスへ。合歓はファミレスデビューだ。まだ食べられないけどね。

合歓のはとこ

2011-03-06 | 日記
合歓のはとこの太一くん(1歳。この字であってたかな?)に初めて会えた。つまりkananagaの従姉妹の子ども。太一くんはとっても元気!しかも、すでになんでも食べる、もりもり食べる。男の子はすごいなあ、いやー、体力的に大変そうだなー。合歓は女の子で助かったなあ。ん?ほんとか?女の子、、、だけど、すでにかなりやんちゃな感じが出てるなあ、そういえば。元気だし、すごくはっきり要求するし。これからはいはいして、立ち上がって、ってどんどん大きくなったら、大変だなあ~~。

はなちゃんとカスミン

2011-03-05 | 日記
めくるめく紙芝居結成当初からのメンバーのはなちゃんとカスミンが合歓に会いに来てくれた、ありがとー!はなちゃんは新潟から、カスミンは滋賀から、東京観光も兼ねて。

2人は午前中に原宿の用事を済ませててkananagaたちとはランチ集合。もうじき完成のスカイツリーをやっぱ見たいねってことで押上駅待ち合わせ。kananaga実家は都営浅草線の反対側の終点西馬込駅が最寄りなので、「この電車は押上行きです」のアナウンスとかで押上の名前にはひじょーに親しみがあるが、これまで一度も降りたことはなかった。

降りて出てびっくり、スカイツリー、で、でかい~~!駅からすぐのコンビニにはスカイツリーグッズが色々売られていた。そして押上の町並みは新旧入り交じってきてなんだか面白い。大きい通りからすっと一本入ると、すごく懐かしい感じが残っている。

ロングボードカフェと言うロコモコが有名なお店に入った。あ、なるほど、ロングボード=サーフィンボードが天井に沢山並んでいる。なんでもテリー伊藤さんがこのお店がとても好きらしい。合歓もロコモコに興味津々。でもまだ早いねー。

その後徒歩で浅草へ。途中アサヒビール本社の前を通ってなんだか不思議な気分になる。本社ビルのロビーコンサートとかスクエアAでパフォーマンスとか色々お世話になってる場所だけど、東側から歩いて来たことはなかったので。街って、訪れる方法とか方向で全然印象変わるなあ。電車で、車で、自転車で、徒歩で。それぞれスピードとかも違うし、発見するものが変わるからだなあ、きっと。

隅田川の橋の上からアサヒビール本社ビルとスカイツリーが同時に見える。遊覧船がすごく混んでた、こんなに混んでるとこ見たないよ!

神谷バーで電気ブランを買ったり。その目の前でお店を広げてる色々屋さんで箸を買ったり(引っ越し荷物からまだ箸を見つけられないので)。雷門から仲見世通りを楽しんであげまんぢゅうも食べて浅草寺にお参りした。それから銀座線で銀座へ。ここで、はなちゃんとカスミンは銀ブラ。あまり長時間だと合歓が厳しいかなということで、kananagaたちはここで帰路へ。と思ったが、帰り道にMacintoshの店につい寄ってしまう。うー、速いなあ、軽いなあ、欲しいなあ~~。

すごく久しぶりに東京観光で満喫。たぶん、お友達が来てくれたりしないと、なかなかいかないだろう。お友達がたずねてきてくれるのを心待ちにするとしよう。

合歓初節句

2011-03-03 | 日記
小倉の合歓のおばあちゃんが合歓のために、小さい家でも場所をあまりとらずに済む素敵なお雛様を送ってくれた。嬉しいので、なんとかして段ボールをどかして飾る。うーん、かわいい。こけしタイプの顔立ちの小ぶりのお雛様フルセット。

kananaga実家では、kananagaが小さい時に買ってくれたお雛様を飾ってくれた。「このお雛様は今年で最後にするね」とkananaga母。昔のお雛様、出すのすごい大変だもんね。今までありがとう、実家お雛様。