今日は、みなさまもご存じ、3・11です。
祈りをもって過ごしたいと思います。
YUKAもYUCOも、何度か東北へボランティアへ行き、
言葉を失いました。
YUCOが初めて東北入りしたのは、半年後。
あまりの厳しい状況に写真さえ撮ることができませんでした。
写真をやっと撮り始めたのは、3回目からです。
3回目は1年2カ月後です。
小渕浜という石巻市の牡鹿半島にある浜へお手伝いにいきました。
そこで、仕事場へ行く途中の浜の様子です。
かつては大きなお家が建っていたと思われます。
津波にのみ込まれて、今は何もかもありません。。。。
お世話になった集会所の傍のお店です。
仕事後に、皆で港まで降りていきました。
なにもありません。道とおぼしきアスファルトがいともたやす壊されていました。
震災の時期は、ワカメの時期で、みなさん、ここでお仕事をされていたそうです。
「助けられたんよぉ」って聞いたと、他のボランティアさんが話して下さいました。
瓦礫の山です。身長162のYUCOが手をあげてもこの高さです。
こちらは、1年3ヶ月後です。
ちょっと分かりにくいのですが、こちらは、石巻市の水産加工場のクジラ缶のオブジェです。
あんなに大きなものが道のまん中に落ちているのを見ると、
どんな力が働いたんだ?!と、思います。
これは、地元の皆さんの多数決で、撤去になりました。
これを見ると思いだして辛いという意見が多かったそうです。
初めてこれを見た時、自然の力の強さに、ただ茫然でした。
石巻駅近くになって一番栄えていたと思われる港です。
大きな製紙工場や、加工工場などがあったそうですが。。。
まだまだ車がそのままになっています。。。
この状況が車で走っても長く見れるような広大な土地に置きっぱなしでした。
もうすぐ石巻駅です。が、街はこんなにもすべて飲み込まれていました。
でも、これらの写真は、1年以上あとのものなので、
本当の苦しさを味わった方のお気持ちを伝えることは出来ないような気がします。
1年以上も過ぎているのに、この状態というのにも驚いたのを覚えています。
あまりにも、被害が大きすぎて、何もできないのだと思いました。
去年行った時は、先程の瓦礫の山も半分くらいになっていたので、
嬉しかったのをおぼえています。
まだ、悲しみの中に、苦しみの中に、
そして希望を持てないでいらっしゃる方に、
また、歯を食いしばって頑張っている方に、
神様の希望の光が見えるよう、
ひたすらお祈りしています。
わたしはあなたがたのために立てている
計画をよく知っているからだ。
-主の御告げ。-
それはわざわいではなくて、
平安を与える計画であり、
あなたに将来と希望を与えるためのものだ。
エレミヤ書29:11