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ジェラテリア イル・ブリガンテ

 ブログの背景の写真を撮りに衣張山にハイキングに行き、小町通りに戻って来た時には、体が甘いものと冷たい物を望んでおり、最近、気になっていたが寒いので挑戦できないでいた「ジェラテリア イル・ブリガンテ」(なんか舌噛みそう。)に行ってまいりました。
 お店は鎌倉駅から小町通りに入り進んでいきますと、やがて右側に「鎌倉山納豆」さんがありますので、そこを右折したら、すぐの所にあります。


 鎌倉山納豆の先を右折




 そうしたら、すぐ右手にあるお店です。



 ショーウインドー内のジェラートは壮観です!これは美味しいにちがいないと!食べてもいない内から自分は確信しましたぞ。味の種類も「ミルク」、「ヘーゼルナッツ」、「カスタード」、「エスプレッソ」、「アーモンド」、「こけもも」等種類も豊富です。サイズもS・M・Lとあり、今回はSサイズを選択!Sサイズは1~2種類のジェラートを選択できるとのことなので、まずは「こけもも」を選択し、あとは、お店の主人(イタリア人?)に何がお薦めかを聞くと「エスプレッソ・・・、アーモンド・・、あっ、エスプレッソとこけももは相性が良くないね・・・」と正直に話してくれます。結局、もう一つはアーモンドにしました。

 見た目にも楽しませてくれます!



 「こけももとアーモンド(S)500円」・・画像はいまいちですが、味は格別です!


 「こけもも」はさわやかな酸味が心地よく、アーモンドは、とても香ばしく本当に美味しいです!!これはお薦めです^^

 ちなみにお店のご主人(イタリア人?)は、買う時に色々説明(こけももは国内産とフランス産を両方使用していて・・)してくれますが、やや早口なので、途中からよくわかりませんでしたが、商品への自信を伺い知ることができました。甘みが抑えめでありながら、味わいはしっかりとした爽やかな味わいのジェラートでした^^



「ジェラテリア イル・ブリガンテ」
住所:鎌倉市小町2-9-6 1F
電話:0467-55-5085
営業時間:11:00~18:30
定休日:不定

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鶴岡八幡宮

 初詣として、名高い鶴岡八幡宮ですが、とにかく混みあいますので、自分は例年、お正月の夜中に参拝しております。大晦日は別として、それ以外は特に待たずにすいすいといけます。
 今年も2日の夜中(暦的には3日)1時過ぎに参拝しました。鶴岡八幡宮は正月三が日の間(4日の午後9時まで)は24時間、本宮まで参拝できます。
 ただし、午後11寺を過ぎると、本宮の御神体の扉が閉まってしまいます。



 やはり段葛から八幡さまに向かいましょう。提灯のあかりが助かります^^

 段葛より



 2日(暦では3日)の午前1時頃ですが、結構人がいます。



 本宮から怪光線が!・・・なんて、単なるライトの反射です^^




 「夜中では、お守り等買えるのかな?」との心配も無用です。夜中でも営業中です。



「小腹がすいたな~」なんて心配も無用です。こちらも営業中です。




 ちなみに日中の八幡さまは、このような感じです。




 鎌倉中心部は交通規制がありますが、1~3日は午後5時~午前9時までは規制が解除されますので、お車でお越しくださるのも可能です。ただし、警察の方による取締まりも行われていますので、路上駐車ではなく、ちゃんと駐車場にいれましょう^^



 
 
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常楽寺

 常楽寺は、1237年の創建で開基は、北条泰時(鎌倉幕府第3代執権)、開山は蘭渓道隆(建長寺の開山もこの方)。山号は粟船山(ぞくせんさん)。常楽寺の常楽とは北条泰時の法名が常楽観阿と号したことからきています。ちなみに粟船というの地名は大船の地名の由来であり、『新編鎌倉誌』によると、昔、この地は海浜であり、粟を満載した船がこの地に停泊した所、一夕にして山となり、この山が船の形をしていた所から、この寺の裏山を粟船山(あわふねやま)と呼び、当時の村の名(粟船村(あわふねむら))の由来になったそうです。


 大船駅からはバスか徒歩で行くことになります。バスは江ノ電バスとなり、「東口交通バスターミナル」(東口ターミナルとは違いますのでご注意を)の5又は6番乗り場から出る「鎌倉駅」又は「鎌倉湖畔」行きで、「常楽寺」のバス停で下車となります。バスの所要時間は6分程で、料金は170円です。徒歩でも18分程なので、徒歩でもいけますよ。


 徒歩で行く場合、大船駅南口改札を左に行き、階段を下りて、信号を越えたら右折して真っ直ぐに行きます。やがてサンクスが見えますが、その先のゲームソフト屋の所を①左に曲がれば、後は真っ直ぐの道です。途中、「大船行政センター」や「デニーズ」を通過して行きます。
 しばらく歩いていくと、②左手に松の木が見えてきますので、そこが常楽寺の参道の入り口となります。

 ①ここを左折します。      ②松の木の所で到着。お疲れ様で~す^^



 参道の入り口になります。左側の石碑は風化の影響か、ほとんど字が見えませんが、「北条泰時公、木曾義高の墓」と書いてあります。




 常楽寺の山門なります。なかなか風情がありますな~。ちなみにお正月バージョンも載せてみます。こちらもなかなか良いですな~。
 ちなみに、この山門前の左にあるわき道を行くと、常楽寺の裏山(粟船山)につながり、そこに「木曾義高」のお墓がります。

   「ノーマルバージョン」


   「お正月バージョン」(北条家の家紋である「三つ鱗」になっています)



 仏殿となります。本尊は阿弥陀三尊になります。この裏手に「北条泰時公」の墓所があります。          



 文殊堂です。子どもを連れた家族の方が何組か来られていましたね。
 自分ももっと早く来ていれば・・・・



 北条泰時公のお墓
 鎌倉幕府第3代の執権でありながら、このお墓の謙虚さ。鎌倉武士の質素を重んじる気質が伺えます。そういえば、北条家執権でも、官職は「相模守」で、それ以上の官職は貰っていなかったようですしね。『新編鎌倉誌』によると、以前は粟船山上にあったとありますので、移したようですね。


 北条泰時公は、鎌倉幕府第三代執権であり、御成敗式目を制定し、承久の乱に際しては、幕府軍総大将を務め、幕府を勝利に導き、六波羅探題初代長官も務める等、執権政治の最盛期を築いた名執権でありますが、また同時に人格的にも優れ、周囲の人望を集めたそうで、色々なエピソードが残されていますが、ここでは、自分の好きな話を一つ紹介します。なお、この話は吾妻鏡に記載されています。
 「1231年9月に弟の北条(名越)朝時の屋敷に賊が侵入するという事件が起きた時、評定中であったにもかかわらず、事件を聞いた泰時は、直ちに朝時邸に救援に向かったのですが、後日その行動を知った側近に重職の地位にあるもののすべき行動でないと諫言されます。しかし、泰時は、人が世にあるのは親類を思うためであり、今、弟の朝時が敵のために命を落とすかもしれないのを聞いて、他人には小事かもしれないが、兄としては健暦・承久の大敵と同等であると答えます。これを聞く者、皆、感動して涙を流したと。」


 木曾義高のお墓は、山門前の道を左への脇道を進むとあります。所要時間は数分です。

 裏山への入口           義高のお墓は、この手前の道を昇ります。



 姫宮のお墓(北条泰時公の娘)    木曾塚(木曾義高のお墓)
 

 木曾義高は、旭将軍と呼ばれた木曾義仲の嫡男になります。源頼朝と父との確執が生じるなか、和平の一環として、頼朝の娘(大姫)の許婚として鎌倉に迎えられます。父・義仲の戦死後、身の危険を感じた義高は密かに逃れますが、今の埼玉県入間川の河原にて、追っ手に追いつかれ、堀親家の郎党、藤内光澄に討たれます。享年12歳。首実検の後、葬られたのがこの「木曾塚」となります。『新編鎌倉誌』によると、元々は、今の場所より南西に1キロ辺りの田んぼの中にあり木曾免と呼ばれていた場所にあったようですが、17世紀後半に地主の石井某がこの地を掘り起こした所、骨の入った青磁の瓶が見つかったので、洗い清めて、今の場所に移したとのことでした。
 ちなみに、義高が討たれたことを知った大姫は嘆き悲しみ、水も喉に通らない程であったそうで、母の北条政子も、頼朝の命といっても、大姫に対する配慮がないと怒り、結局、藤内光澄は処刑されてしまいます。

常楽寺は、鎌倉駅ではなく大船駅近くの寺という事もあり、そんなにメジャーな寺ではありませんが、鎌倉幕府第3代執権の北条泰時公の墓所や裏山には悲劇の最期を遂げた木曾義高(木曾義仲公の嫡男)の墓所もあったりと、歴史好きな自分には、とても感慨深いお寺となります。
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