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マニフェストの背景

2005年02月21日 | マニフェスト
 本日(2月21日)の日本経済新聞に「『地方』という言葉と決別」と題したコラムが掲載されています。このコラムでは、筆者の田勢氏が「ローカル・マニフェスト推進首長連盟」 ▲HPはこちら▲ の結成大会に出席した際、将来の首相候補かと思われていた北川正恭氏が知事選に出た時に非常に驚き、更に知事を二期で辞めたことに対してその意味が今までの固定概念では推し量ることができなかったけれども、ローカル・マニフェスト活動を実際に見てその真意が理解できたと語られています。
 まちづくり本舗でも、昨年3月に行われた草津市長選挙を契機にローカル・マニフェストに関する取り組みを展開してきました。 ・・・というよりも取り組もうとしてきましたが、その意義を一般的に理解されるになるには、まだまだ時間がかかりそうです。
 そこで、12月19日に開催した「まちづくりトーク」でのローカル・マニフェストに関する内容を活用しつつ、私自身が勉強しながらこのコーナーで少しずつ解説していきたいと思います。
 今回は、その第1回目として何故マニフェストの必要性が問われるようになってきたかについての時代背景や政策の意思決定に関する課題について考えてみたいと思います。
 
 1月5日の日本経済新聞「経済教室」コーナーに掲載された「統治機構を再構築」と題した本間正明氏(大阪大学教授)の小論文では、公共的意思決定システムの再構築が必要であるとの観点から、現状や改革の必要性を次のように解説しています。

(以下、論文の主旨を私なりに噛み砕いたもの)
  経済の成長が続きバブル経済が崩壊するまでは、政府は「分配」をどのようにするのかによって動いてきた。国会議員は派閥や族、地域・職域を代表するものとして私益・共益の代理人の役割を果たし、各省庁の官僚はそうしたものに公益という要素をブレンドして積み上げ、財務省が査定を通じて総合調整をする。一方、内閣と与党は二元的に並立し各省庁の官僚は分権的で縦割りの中で大きな裁量権と自立性を保ってきた。
 そうした状況において、政策の意思決定において各議員・官僚の自由度の高い「二元」「分散」「分権型」体制はそのあいまいさが逆に個別利益の反映させるシステムとして機能し、今まで自民党が政権の座に付き続ける背景ともなっている。

 こうしたシステムは、経済が右肩上がりで成長を続ける間は問題が顕在化しにくいが、経済・社会のグローバル化、成長率の低下や少子高齢化、国の財政破綻問題、パブリックな価値の多様化、地球環境問題、テロ・災害・リスクマネジメントなどへの早急な対応が求まられ、大きな構造改革が必要とされている現在では機能不全となっている。これが、失われた10年(15年)の背景にある。

 そこで、政策の意思決定をスムーズに行うと同時に意思決定したことが的確に実施されるようにシステムへと転換する必要がある。橋本行政改革の柱であった1府12省庁制や経済・財政諮問会議などはそうした観点から行われたものであるが問題が多い。今後、内閣府の役割や機能を強化、中長期的展望にリンクした政策決定、諮問会議の役割強化(知恵袋、分析評価、意思決定、説明責任と情報公開)を図る必要がある。



 このように、権限の集中と強化が必要とされている一方で、その権限を主権者である国民がコントロールするしくみを作り上げていくことが不可欠となっています。そこで政策の基本となる指針を事前に承認し、またその活動を監視し評価するしくみやプロセスにおいて、マニフェストが非常に重要なものになっているといえるのではないでしょうか。
 同時に、こうしたプロセスへの参加を通じて問題の本質を見極め、また行動できる主権者が形成され、それが健全な政治を支える基盤となるのです。     (つづく)



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