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2010年07月28日 | マニフェスト
 本日(7月28日)、草津市のホームページで市長マニフェストを行政の事業計画としてまとめた「ロードマップ」の進捗状況が公開されました。京都新聞の記事へ

 「ロードマップ」について、市長マニフェスでは「当選後、すぐ(3ヵ月以内)に、マニフェスト実現のロードマップ(実行計画)をつくります」と書かれています。

 当ブログの前回、前々回の記事で問題としているのは、市長マニフェストで公約として掲げている「2年後、4年後に、市民のみなさまにマニフェストの進行状況を検証していただき、結果を公表します。」という約束について、市長マニフェスト本体を検証するのか、それとも行政計画となっているロードマップを検証するのかということに関することです。
 

 例えば、次のホームページをご覧ください。 草津市の公式サイトへ

 草津市の公式サイトをご覧いただくと、市長マニフェストの取り扱いが次のとおりになっています。
 橋川わたるマニフェスト「もっと草津」宣言(草津市の公式ホームページではありません)


 お分かりいただけたでしょうか?
 要するに、草津市役所としては橋川わたるマニフェスト「もっと草津」宣言については、橋川渉氏の個人的な政治活動であって、行政としては関与していませんよということが言いたい訳です。

 でも、ちょっと理解しにくいのは、同じページに次のとおり書かれていることです。
 草津市においては、橋川わたるマニフェスト「もっと草津」宣言にもとづき、4年間の工程表としてのロードマップを作成し、これまで全力を傾注してまいりました。 
 

 ・・・何故、政治家個人の主張している政策集がロードマップになっているのか・・・何故、政治家個人の主張を実現するために行政が全力で傾注しているのか・・・
 あまり表現力が豊かではないので上手く書けませんが、どうも論理的にすっきりしないんですよね。

 そして問題は、市長マニフェストについては市民による検証の対象とされていますが、ロードマップは市民による検証の対象とはなっていない点です。だから、もし市民による検証が想定されていないロードマップを検証しようとしたころで、「ご勝手にどうぞ」ということになります。 まぁ、それでもいいんですけど。

 また、ロードマップは市長だけの権限で公表したり評価したりできるものではなくて、必ず議会の承認(報告?)が必要なのだそうです。だから、市長が勝手に自己評価や市民評価の対象とすることはできないということかなぁ。
 ちなみに、市長マニフェストの自己評価はA~Eの5段階ですが、ロードマップは○×△です。
 もし仮にロードマップを検証するとしたら、マニフェストがロードマップにきちんと反映しているかどうか確認する作業を行い、市長の自己評価とロードマップ進捗状況を数値換算し、それとの対比で市民検証する必要があるのかも。
 

 実は、9月20日に開催を予定している「市民によるマニフェスト検証大会」については、随分前から準備をして5月末には市長とも直接協議・調整しながら進めてきたものです。何の解決策も示さずに、市長自らが「市民による検証・評価シートを市民センター等に置くことは難しい」と言われても本当に困ってしまいます。
 また、これとの関係で市民センターへの開催ポスター掲示についても、すぐに返事がいただけない状態になっています。なお、市役所職員に対するアンケートについては、職員課から「前例が無いからできない」と迷惑そうに断られました。


 じゃ、一般市民の立場でどうやって広報したりアンケート(評価シート)を回収したりすれば良いのでしょうか。

 行政としてはロードマップの検証の方がやりやすいということであるならば、方法はいくらでもあります。 例えば、市民による検証を尼崎市のように市民会議で行ったり、パブリックコメントとして実施したりしても良かったのではないでしょうか。

 まぁ、いづれにしても他市の例(八戸市や静岡市など)ではそんな不毛な論理ではなく、公約として掲げて当選した市長マニフェストは、当然、行政として全力で取り組んでいくという素直で一般市民に分かりやすい方法でなされているところもありますので、要はマニフェストに対する市長の考え方次第ということなのかも知れません。

市民によるマニフェストの検証は行政にとって迷惑?

2010年07月27日 | マニフェスト
 前回の記事の続きです。

 行政として市長マニフェストを検証している八戸市の市政評価委員会事務局と静岡市の市経営企画課に電話で確認したところ、やはりこちらが思っていたとおりでした。

 草津市では、市長マニフェストは政治家個人のものであって行政は関与できないそうです。
 だから、市民センター等の公共施設にマニフェストの検証・評価シートを置くことはできないのだとか。

 でも、八戸市と静岡市は市長マニフェスト実現のために行政・市民が一体となって取り組まれています。
 しかも、電話で対応いただいた職員さんから「マニフェストを市民の方々に行政と対等な関係で評価いただくためには、行政が情報をしっかりお出しする責任があります」というコメントをいただきました。

 

ローカルマニフェストの第三者評価の実例

2010年07月25日 | マニフェスト
 市長マニフェストは、誰がどのように検証すれば良いのでしょうか?

 当まちづくり本舗もメンバーとなっている「市民によるマニフェスト検証大会実行委員会」では、全市民の1パーセントを目標に、検証・評価シートを集める準備を進めています。



 しかし、検証・評価シート等の公共施設(市民センター等)への設置について、草津市から許可をいただくことができません。
 
 この件について、選挙管理委員会に問い合わせたところ、設置については法的には問題無いとの回答をいただいています。
理由は、選挙の時期では無いことと、選挙前に候補者が出すマニフェストとは違い当選後に公職となってそのマニフェストが市民との契約として成立しているからです。
マニフェストは市民への約束(契約)であり、市長選が終われば公的性格を帯びるものであり、選挙前のマニフェストと市長就任後のマニフェストは性格や意味が違います。

 では、何故草津市(市長)は検証・評価シート等の公共施設への設置を拒否されるのでしょうか?
 また、市長マニフェストには「2年後、4年後に、市民のみなさまにマニフェストの進行状況を検証していただき、結果を公表します。」と明記されていますが、市長はどのような形で市民評価をされるおつもりなのでしょうか?
 行政(市長)が非協力的な状況では、公明正大に市長マニフェストを検証・評価することは困難です。


 市長マニフェストより
    ↓ 



 そこで、他市ではどのような方法でマニフェストの第三者評価をされているのかについて、参考となる事例を探してみました。※一部の除き実際に視察・聞き取り調査をした訳ではありませんので、ご留意ください。
 

(事例その1)八戸市→パブリックコメント

 八戸市HPへ

 八戸市では、小林まこと市長が平成17年の市長選挙でマニフェストを掲げて当選されました。
 その4年目となった平成21年4月に八戸市市政評価委員会(学識経験者2名、産業界1名、金融界1名、労働団体1名、市民1名の合計6名で構成)が設置されて評価書(案)を作成されました。
 この評価書(案)を市庁本館・別館案内、南郷区役所、各公民館・支所、八戸駅市民サービスセンター、政策推進課などに設置し、市民に広く意見が求められました。


 
 この時の記事が、市ホームページに次のとおり掲載されています。
 



 評価書およびそれに対する意見は、公共施設で閲覧・貸出が可能となっています。
 なお、小林まこと市長は2期目も市長選に立候補し再選を果たされています。また、2期目のマニフェストについては、市の公式サイトから閲覧することもできます。
市公式での市長マニフェスト掲載



(事例その2)尼崎市→市民会議方式 尼崎市HP

 尼崎市では、2期目となる白井市長が平成20年6月に「マニフェスト点検市民会議」を設置。マニフェストの取り組み状況について平成22年12月まで点検や意見交換をされています。

中間報告書(PDF)



(事例その3)仙北市 →市民会議+行政規則での位置づけ

 
 仙北市の門脇光浩市長の手法です。
 まず、次の月刊地域づくりの記事で、マニフェストの達成に向けて市民とともに協働作業として取り組んでいくことが表明されています。
月刊地域づくりの記事へ

 そして、尼崎市と同様にマニフェスト検証市民委員会を設置し、その募集を市広報に掲載されています。


 さらに、次の仙北市処務規則において、重点プロジェクト推進室では「マニフェストの実現に関すること。」を業務として位置付けています。
市の規則へ

 なお、市長の40項目のマニフェストは次のとおりです。
市長マニフェスト(PDF)

参考までに、市長の個人ブログはこちら。ブログ

 

(事例その4)静岡市 → 政策合意と市民評価委員会
 
 静岡市のHP

 静岡市では、平成19年度から、小嶋善吉市長のマニフェストに基づいた市政運営を始めました。
 行政内では、「静岡マニフェスト2007」推進に関する政策合意を庁内の担当局長と交わしています。 静岡マニフェスト2007(PDF)
 更に、学識経験者(2人)と公募市民(8人)の10人で構成された市民評価委員会が評価を行い、その結果を市ホームページへの掲載、報道機関への資料提供等、広く公表し、来年度実施予定の最終評価につなげていくとしています。





(事例その5)千葉市→調査中

 千葉市のHPへ

 千葉市では、市長のマニフェストへの取組みの推進にあたり、総合調整及び進捗状況の管理等を行うために、庁内プロジェクトチームを設置されて、全庁的な取組みを進められています。

 市長の熊谷俊人氏は、昨年6月に全国最年少の31歳で市長となったことでご存知の方も多いと思います。

 千葉市は、市長マニフェストを具現化するために工程表を行政内で取りまとめられている点では、草津市でのロードマップと手法は同じだと思います。
 ただ、少し違うように思うのは、草津市では市長マニフェストは政治家個人のものであって、行政はそれに関与すべきでないと主張されていますが、千葉市はあくまでも「市長マニフェストプロジェクトチーム事務局(総合政策局総合政策部政策企画課 企画班)」という名称からも分かるように、市長マニフェストを具現化するための位置づけだという点です。微妙なんですが、意味が随分違うように思います。
 この点については、現在、千葉市の「市長マニフェストプロジェクトチーム事務局」にメールにて問い合わせをしています。



 以上の事例を見る限りにおいて、行政が市長マニフェスト検証に直接関わることができないということや、市民センター等の公共施設に検証・評価のためのシートを設置できないというのは、どうも腑に落ちません。

 ところで、パブリックアクセス権というのをご存知でしょうか? 参考HP
 一般的な定義(ケーブルテレビの発達と共に確立されたアメリカの場合)としては、「市民が誰もが、公共財である電波を利用し、情報発信できる権利」のことを言います。広義では「公的な資源を活用して情報発信できる権利」のことを指します。また、公的な資源には、テレビやラジオといったメディアだけでなく、公共施設でのチラシ等による情報発信のことも含まれます。
 私は、市民がまちづくり(アドボカシーも含めて)に関して情報発信する権利は最大限保障されるべきであると考えています。
  

 まちづくりの中で一番大切なマニフェストに関して、市民センター等に置く事を拒否されるというのであれば、市民センターというのは一体どういう目的で設置され、何のために運営されているのでしょうか。

 市長マニフェストでは、「市民センター(公民館)の施設改善と機能拡充(専従職員の配置)」が明記されています。
 検証大会では、市長に対して「市民センターの機能や役割とは何か」ということについて詳しくお聞きしてみたいと思います。

(つづく)

第三者評価は市民自身の手で!

2010年07月20日 | マニフェスト
 7月18日付けの「滋賀県議会だより」が新聞折込で届きました。

 議会質問の中で知事のマニフェスト自己評価に関して「第三者評価があって初めて県民の判断材料になる」との質問があり、これに対して知事は、次のように回答されています。

 「自身のマニフェストの自己評価に対してマニフェストの評価に確立された方法はないと理解していますが、まずは、知事選挙の際に県民にマニフェストを提示し、多くの支持を得た当事者である私自身が自己評価を行い、県民に説明責任を果たすことが重要と考えます。
 その上で、客観的な評価を行うという観点から、第三者による評価がされれば、より望ましいと考えます。
 第三者評価は、第三者自身が主体的にかかわっていただくべきことであり、私自身が呼びかけることではないと理解しています。」





 全くそのとおりだと思います。

 来る9月20日にアミカホールで開催する「市民によるマニフェスト検証大会」は、草津市長のマニフェスト自己評価に対して、市民のみなさまに評価いただく機会とするために実施するものです。
 まもなく、評価シートを配布する予定ですので、是非ご協力をお願いします。


 市民によるマニフェスト評価のための取り組みに対して、行政側は情報の提供やチラシ・評価シートの配布等に協力していただけるのか、それとも非協力的なのか・・・。
 これもマニフェスト評価の大きなポイントになります。

地方自治のイノベーション

2010年07月19日 | マニフェスト
 前回からの続きです。

 地方自治体は、区域内の全ての住民が構成員となり、地方公共団体がその自治権を行使するものとして存在しています。
 ここで問題となるのが、自治体の構成員である市民と、地方公共団体(地方政府)との関係です。
 
 この2つの主体の関係は、同列に並べられるものではありません。何故なら、地方公共団体は、市民がいわばオーナーであり執行権者でもあり、かつ最も重要なステークホルダーでもあるからです。

 その制度としては、地方公共団体を市民の意志に基づき(個人ではなく総意に基づき)適正に執行するために、首長や議員の直接選挙によって選出すると共に、条例の制定・改廃の請求、事務監査の請求、議会の解散請求、長や議員等の解職請求(リコール)といった直接請求権が保証されています。

 「主権者市民」は自然人である個人のことを指しますが、地方公共団体の執行権は市民から選ばれた首長が地方自治体を統括・代表し、また、事務を管理し執行します。
 具体的には、予算案の策定や執行、条例の制定・改廃の提案及等の議案提出、更には一定の範囲で専決処分の権限が与えられています。

 また、最近では試行錯誤の状態ではありますがマニフェストを通じて首長がどのように執行権を行使するか市民が選択し決めることができるようになってきました。更に当まちづくり本舗の活動では、マニフェストのPDCAサイクルを形成しそのすべてのプロセスに市民が直接関与するしくみをつくろうとしています。

 では、このような制度的な保証や動きがある中で、今、何故自治基本条例が必要なのでしょうか?
  
 これまで地方自治の原則は謳われていたものの、事実上「官治・集権」で三割自治と言われる状態が続きました。参考HP
 しかし、90年のバブル経済の崩壊とともに高度経済成長の神話が崩れ、また東西冷戦の世界構造が変化し新たなガバナンスが求められるようになりました。
 こうした中で、国と地方のこれまでの上下関係を対等・協力の関係に改め,地方自治の活性化を図ることを目的として2000年4月に地方分権一括法が施行されました。これを契機に分権改革は市民参加を重視した総合計画の策定や独自のローカルルール、自治基本条例策定の動きが活発になってきました。

 一方で、2004年年度からの三位一体改革では、地方の財政的自立にはほど遠い結果になっています。また、鳩山前内閣では地域主権改革が「一丁目一番地の改革」と位置づけられましたが、具体的な取り組みはこれからという段階です。
 現状の市民が直接関与するしくみについても、行政が主体となって実施するアンケートやパブリックコメント、市民会議などといった手法はありますが、実際上は形式的で帳面を消すためのものになりがちです。更に、複雑化する社会状況や少子高齢化をはじめとした課題に対応するために「新たな公共」を誰がどのように担うのかが課題となってきました。

 そこで、自治基本条例は主権者たる市民が様々な方法で関与することを通じて、間接民主主義の限界や官僚的で非効率的なものを是正しより良い市政運営に資することを目的として制定されるものです。

 別の言い方をすれば、自治基本条例(策定過程も含めて)を通じて住民自治の仕組みやその質を変え、ローカルガバナンスのイノベーションを促進することが最も大切な意義だといえるのではないでしょうか。

 だからこそ、自治基本条例では市民が行政に関与するしくみやそれを保証する制度(情報公開等)を明記し、実際に機能させていく方法がしっかりと示されるべきだと思います。

 そうしたことをイメージ図で示すとなると、どういうふうになるのかなぁ? 
 この件と、前回課題として掲げた「協働」については、もう少し考えてみたいと思います。

【追記】
 マニフェストでは21年3月までに制定することになっていましたが、より良いものとするためとの理由?で期限が延びています。
 だとすると、延期となっている説明責任を果たすためにも、策定スケジュールや進捗状況をしっかりと公開することが求められます。
 またより良いものとするためには、広く市民に意見を求める工夫も必要ではないでしょうか。
 具体的には、自治基本条例の専用サイト(コーナー)をつくって、議事の公開や解説、事例紹介、更には、市民とのコラボレーションシステムの構築や大和市のようなキャラバン隊やワークショップ実施など・・・。

 (つづく)
 

信託と住民自治

2010年07月19日 | マニフェスト
 金融広報中央委員会ってご存知ですか?
 実は「信託」という言葉の意味を知るために調べていて初めて知ったのですが、都道府県金融広報委員会、政府、日本銀行、地方公共団体、民間団体等と協力して、中立・公正な立場から、暮らしに身近な金融に関する幅広い広報活動を行っているところです。

 この金融広報中央委員会のホームーページに「信託」の意味について説明されています。参考HPへ

 信託とは、委託者が信託行為(例えば、信託契約、遺言)によってその信頼できる人(受託者)に対してお金や土地、建物などの財産を移転し、受託者は委託者が設定した信託目的に従って受益者のためにその財産(信託財産)の管理・処分などをする制度だそうです。

 「信託」の意味を調べた理由は、7月15日付けの草津市広報に自治体基本条例の記事が掲載されていて、条例のイメージを示した図でこの言葉が出てきたからです。

 

 先ほどの「信託」に関する説明と対比して考えると、委託者(=市民)が信頼できる受託者(=行政や議会)に対してお金や土地、建物などの財産(=税金や資産)を移転し、受託者(=行政や議会)は、委託者(=市民)が設定した信託目的に従って受益者(=市民など)のためにその財産を管理・処分するということを示していると思うのですが、どうも腑に落ちません。



 国政の場合は、憲法前文で「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」と書かれていますので、同じような使われ方をしているのかもしれません。
 しかし、地方自治の場合は憲法92条で「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」と書いてあり、この「地方自治の本旨」とは「団体自治」と「住民自治」のふたつの原理を意味します。
 (「団体自治」は、国から独立した法人格をもつ地域的統治団体がその地域社会の公的事務を自己の責任において処理することで、「住民自治」は、一定の地域社会の公的事務を住民みずからの意思に基づいて自主的に処理することです。)

 特に「住民自治」という自治基本条例で最も大切な要素を、「信託」という言葉から連想することは容易ではありません。

 「信託」は要するに「信用して託す」ことですので、「選挙で選んだらあとは任せる」というふうに理解されると困ります。また「常にチェックして確認し、口を出して修正を求める」ということをしていこうとすると、この言葉では限界がでてきます。(「信託」を監視・監督権まで含めて理解している場合は別ですが・・・)
 
 しかも「ちゃんとやるからあとはまかせてね」という行政の思いがこめられていると邪推する人がいると、きっと本意ではないと思います。


 また、「行政」は憲法でいう「国政」=国家の行う政治のことと対比されている言葉だと思いますが、別の角度から見ると行政とは自治権を行使する地方自治体という法人のことを指しています。
 もし、地方自治体のことを指しているとすると、市民が直接選挙で選出しているのは法人としての自治体の執行権を持った首長と議員(議会)ですから、拡大解釈で行政機関の従業員である行政職員も含めて市民が直接信託しているというイメージとして理解されてしまうと、ちょっとおかしくなってしまう気がします。

 他市の自治基本条例の中で「信託に基づく市政」が原則であることが明記されているものも多いので「信託」という言葉そのものを否定することはできませんが、たとえば「協働」という言葉が理解のされ方によって全く違ったものになってしまうのと同じようなパターンではないかと思います。参考HPへ

 ※次の機会に、「協働」について考えてみたいと思います。


 以上、自治基本条例の議論を深めていくための問題提起とさせていただきます。(つづく)

  草津市の自治基本条例に関する参考記事


政権交代の中間評価

2010年07月14日 | マニフェスト
  政権交代とは「民主主義制度が確立した先進国において、政権をもつ与党とそれをもたない野党の地位の交代」のことです。
 このあたりまえのことが、日本では何故か数十年も起こりませんでした。
 今から思うと、たぶん今の中国とかと同じ位の民主主義の成熟度だったのではないでしょうか?

 ちなみに1993年に誕生した細川連立政権は、衆議院第一党にあったにも関わらず、野党の衆議院多数派工作によって非自民の7党が結集したことによって成立したことから、民意による政権交代とは少し違った意味を持っていたようです。

 
 昨年の9月に民主党が政権与党となった際にはその年の新語・流行語大賞として「政権交代」が選ばれ鳩山由紀夫内閣総理大臣が受賞するなど、「これで成熟した民主主義に向けて政治が変わる」というような期待感をもって迎えられました。・・・・にもかかわらず、わずか10ヶ月後の選挙でこれほど惨敗することを予想できた人はいたでしょうか?
 
 新聞各紙などで分析が進んでいますが、「政治と金」の問題については、選挙の少し前に鳩山さんと小沢さんが退陣されたことで争点にはならなかったように思います。
 (もし、当時の体制が続いていたら、もっと大敗していたかも知れません。)

 では、消費税増税が争点になったのでしょうか?

 この点に関しては世論調査の結果を見ても、今の財政赤字や社会保障費増大、またギリシャの事例もあって、これ以上子や孫にツケを回すわけにはいかないという感覚を持った人の方が圧倒的に多い現状を見ると、消費税増税の言及したことが原因とするのもなんだか不自然で腑に落ちません。 

 一方で仕分け人として超有名になった民主党の蓮舫議員が171万票という史上空前の得票で当選し、また大阪選挙区の尾立議員も2人目候補として擁立されたタレント候補の出現によって自ら「大変苦しい選挙戦」としていましたが、仕分け人としての功績や訴えが評価され当選されました。
 また、民主党や自民党が減らした票が脱官僚や徹底した行財政改革を訴えるみんなの党に流れた状況を見ると、こうした取り組みには高い評価が与えられていることは間違いありません。

 更に、政党を問わず業界や労働組合などの組織票をバックにしていた候補者は票を減らしていることから、相互依存と利益分配の政治は終焉を迎えつつあると考えられます。

 これらを総合的に考え合わせると、民主党は国の財政を健全化させるために「あれか、これか」を公開した場で問い、その合意形成を図る取り組みは評価が高かったけれども、真正面から日本が今どのような状況になっていて今後、どのようにしていかなければならないかという明確なメッセージが届けられず、したがって国民の共感が得られず、また政権に対する満足度が低かったことから政権をこのままの状態でまかせても良いという信頼を得ることができなかったことが惨敗の原因だったのではないでしょうか。


 今後、ねじれ国会をどう乗り切るのか非常に難しい選択が迫られると思います。
 しかし、これを議員の数や打算ではなく、日本の現状(危機的な財政状況、少子高齢化および社会保障費の増大、国際的な経済状況など)において、今なすべき事をそれぞれの政党が全力で取り組むこと、またこの競争や協働の中で信頼や評価を勝ち取り、国民の共感を得て誰もが腑に落ちる政策を実現することによって新たな展望を見出してほしいと思います。

傍聴人

2010年07月13日 | マニフェスト
 今日は、第18回自治体基本条例検討委員会の傍聴をさせていただきました。

 実は前回も参加しましたが、当初は「いづらいんじゃないかなぁ~」と心配していました。
 でも、居心地は案外いいです。
 冷静な目で客観的に議論を見つめることができるからです。

 当然かも知れませんが、傍聴人は議論に関わることはできません。
 また、資料の閲覧はできますが持ち帰りは禁じられていて、賛成や反対の意志を表示すると、退場を命じられる場合もあるようです。
 議長の裁量で時間があれば発言を認められる場合もあります。もちろん、リアルタイムに意見を述べることはできませんが、全体の感想や問題提起はできます。しかし、傍聴人の立場としては内容に踏み込んだ発言は「遠慮すべきかなぁ~」という感じになってしまいます。


 さて、肝心の内容については次のとおりです。

 まず、前々回は「市民参加」について、参画とか協働とか言い方は色々あって、参加から参画、参画から協働という発展レベルで論じられることもありますが、広義でとらえて「市民参加」という言葉を使うことや、前回は情報の共有に関して、「情報公開」や「知る権利」等の議論が交わされたことが説明されました。

 その上で、今回は全体の項目立てやその順序、更には総合計画との関係等について議論されました。

 自治体基本条例の骨子案は、すでにホームページにも公開されており、いよいよ最終の仕上げに入りつつあるのかな、という感じです。

 
 

 ところで、項目立ての議論の中で、少し気になることがありました。
 感覚やイメージの問題として「どれを先に書くのか」というような意見が交わされていました。
 しかし、基本条例は制定の趣旨を明確にして、その趣旨を実現するための基本となる重要事項を先ず示した上で、個別的な項目を合理的に列挙していくべきであると思います。

 たとえば、配布されていた資料の中にニセコ町のまちづくり基本条例の全体構成図がありました。http://www.town.niseko.hokkaido.jp/kihon/

 それを見ると、当たり前のことかも知れませんが、基本条例の目的については明確に「自治を実現すること」と書かれています。
 このことが基本となって、自治の実現のために重要な「情報共有」と「住民参加」が上位に位置づけられているのです。

 これまでの議論で、その当たり前の議論が見えにくいように感じました。
 何故、自治(体)基本条例を策定するのか、という基本的な立脚点です。

 ちなみに日本国憲法では、前文にこのことが次のように示されています。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 ここでは、主権が国民に在ることを宣言し、その行使を選挙によって選ばれた代表を通じて行うというようなことが書かれています。

 自治体の憲法が自治(体)基本条例とするならば、まずこうした基本をしっかり論議し位置づけることが必要なのではないでしょうか。

 自治の主体(権)者は市民であり、二元代表制のもとで、一方で首長を選出してそこに予算編成権や各種執行権を与えると共に、一方で議員を選出し、議会との関係で合議制を形成するというのが基本ベースにあるはずです。また、このことから首長や議員にどのような権限を委譲し、またどのような義務(例えば議会での議論を市民に分かりやすく伝えることなど)を課すのかを示すことも必要だと思います。
 
 一方で、国政とは違って市民の直接関与を想定してこの二元代表制を補完し自治実現を図るという趣旨から考えると、直接関与のための情報(情報公開や知る権利等)や意志決定過程・執行段階での市民の直接参加、更には住民投票などといったことが住民自治を保障するための基本条件とし上位に位置づけられるべきではないでしょうか。

 個別的事項について更に踏み込んで言えば、「情報公開」や「知る権利」といったことに止まらず、公開されたことに対して意見を述べる権利、その意見に対して回答を求める権利、あるいは別の施策を策定し対峙させることができるいわゆる「アドボカシー」に関すること、更には市民が公共的手段や場所を使って情報を発信することができる「パブリックアクセス権」などについても、是非とも議論いただければと思いました。

 また、行政をチェックし機能させるためのしくみとしての市民オンブズマン制度や公益通報(内部告発)制度の確立や市民会議等の設置義務なども必要ではないでしょうか。

 こうしたことについては、次の機会に詳しく書きたいと思います。 (つづく)

選挙速報を見ながら思うこと

2010年07月11日 | マニフェスト
 昨年9月の政権交代によって、「コンクリートから人へ」という「あれか、これか」を問い、何をやめるのかを明確にする“凌ぎの時代”の政治スローガンと、「国民の生活が第一」という分配政治のスローガンが共存し、政治理念も水と油の関係にある政党による連立政権がスタートしました。

 あれから10ヶ月が経過し、菅直人代表が6月17日に発表した「民主党の政権政策Manifesto2010」では、「コンクリートから人へ」の文字は消えて「国民の生活が第一」スローガンだけが残されています。


 無駄を徹底して無くすことによって財政再建を目指す取り組みが道半ばで、また子ども手当てや高速道路無料化の財源問題が課題とされ、一方で消費税増税が持ち出された状況下で参議院選挙が行われました。

 そして、その結果は?

 今、TV各局が報道番組で開票状況を伝えているところですが、国民の審判は厳しいものになりそうです。

 これを踏まえて、きっと連立政権が組まれると思いますが、どういう主張をしている政党と組んで今後の政治のイノベーションに向けて再スタートするのかを注視していきたいと思います。

よりましなマニフェストの選択と検証

2010年07月11日 | マニフェスト
 今日は知事選挙です。
 もう投票はお済みですか?

 各候補者のマニフェストについては、是非ご一読ください。
 http://kadayukiko.net/
 http://www.ueno-k.net/
 http://akaruishiganokai.net/plan.html

 ところで、マニフェストの中には施策全体を網羅しているものや、特に重点的に実施すべき施策だけをピックアップしたものなど、さまざまなタイプがあります。
 また、施策の中で「これは是非とも実現してほしい!」という項目もあれば、「分からないけど、間違いではなさそうだ」というもの、さらには「ちょっと違和感を感じる」という項目などが見つかる場合もあると思います。

 こうした場合は、自分にとって是非とも実現してもらいたい施策を提示している候補者を選ぶのか、平均点数を頭の中で計算して高い点数のマニフェストを選ぶのか、あるいは基本理念やもっとも本質的な課題に切り込んでいる候補者を選ぶのか・・・みなさんは、どういう判断をされるのでしょうか?

 いづれにしても、選挙による投票ですべてを全権委任し「信用するので、どうなってもあとは何も口を出さない」ということにはなりません。これは、自分が選択した候補者が当選しても、そうでは無い人が当選しても同じことだと思います。

 マニフェストを検証する立場からすると、ローカル・マニフェストには地域や行政の課題、その解決の方向性が正しく反映されていること、また重要度の順に施策が提示され、かつその施策を実現するための具体的数値目標や期限・財源・工程表が示されていることが望ましいということは間違いありません。

できばえ評価と中間検証について

2010年07月10日 | マニフェスト
 最近、いろいろなマニフェストを見ていて気がついたことがあります。

 それは、候補者がマニフェストで「あれか、これか」を問い、やるべきことや逆にやめるべきことを確実に実行しようとする意思がはっきりしている場合は、基本的な目標や理念、実現する期限、そのための財源、更には実行計画となる工程表が明記されているということです。更に、市民自治を基本として行政の現状を変えようとする意志を持った候補者は、徹底した情報公開や市民によるマニフェストの検証、PDCAサイクルといったことを書き込んでいます。

 逆に言うと、マニフェストに「あれも、これも」というお手盛りで良いことづくめで書かれている場合は、その実現や検証のための具体的施策や実施期限などの具体的数値が示されておらず、改革に向けての候補者の志が感じられないものが多いのではないでしょうか。

 このことを踏まえて、ローカルマニフェストの検証に際しては、まず対象となるものがどういう性格のマニフェストなのかを見極めることも重要な気がします。

 また検証の際に判断が難しいだろうと思うことは、形式的・表面的には実行されてはいるけれども、実質的な効果が表れていないものや、熱意や努力が不足している場合のマニフェストの評価です。
 この場合、形式上は帳面が消されていても本来の目的が達成されていないのであれば、それに費やした経費や人的労力(労働賃金)が無駄であることから考えると厳しい評価にならざるを得ません。

 次に、着実に実行され効果はあるようだけれども、市民への情報提供が十分でなかったり説明責任が果たされていない場合については、本来マニフェストは政治や行政の領域において品質管理や経営管理を徹底するためにPDCAサイクルを確立すると共に、これによって市民自治や国民主権に基づく健全な民主主義を形成しようとするものであることから考えると、たとえそれが効果をあげたとしても行政主導(トップダウン)方式であり、市民の評価においてはマイナス要因となるでしょう。

 マニフェストに何らかの不備があり実行されると地域にとってマイナスとなるようなものは、実行しない旨をきちんと説明し断念した方が良いと認められる場合は、その決断や説明責任の様子をしっかり検証すべきです。
 逆に、重要な施策が抜け落ちているマニフェストを検証する場合、マニフェストには直接的に書いていなくとも、趣旨や理念上の修正ではなく積極的に実施すべきことがあれば、その実行を求めることも必要でしょうし、またそのこをと市民に説明し説得責任を果たした上で実行することをに対しては歓迎すべきではないかと思います。