蓄音機&写真 気ままなBlog

気ままに更新してます

完封しました!

2005年06月30日 | コ ラ ム
 今月は、今日で最後です。3月から6月まで、毎日欠かさずブログを書くことができました。
 書くことに意義がある・・・という訳ではないのですが、今後も可能な限り毎日更新していきたいと思います。
 
 ところで、烏丸半島にある蓮群生地で、ぼちぼち蓮の花が咲き始めているそうです。
 見頃は7月中旬から8月上旬ですが、花は早朝に開花し昼頃には閉じてしまうので、思い切って早起きして見に行ってみてはいかがでしょうか。
 
 



これまでのコミュニティ施策

2005年06月29日 | 学習ノート
 本日、新会社法が参院本会議で可決、成立しました。施行は来年からだそうですが、有限責任の出資者だけで構成される「合同会社」が新設され、有限会社を廃止して株式会社に一本化した上で、株式譲渡制限会社」と「公開会社」の2種類に分けるなど、これまでのしくみが大きく変わります。この件については、後日詳しく調べてみたいと思います。 ▲毎日新聞の記事▲


 さて、当ブログではこれまで地縁組織について連載してきましたが、その理由(問題意識)は、次のとおりです。

1.地方分権社会が進展する中で、地縁組織がどのような役割を担いうるのか、また役割を担うためにはどのような課題があるのかを整理する。
2.ローカル・マニフェストを策定し実行していくためには、自治体政策における地縁組織の位置づけを整理するこが不可欠。
3.現在の政治・社会の構造を変えていくためには、最も身近な「自治」というところからのアプローチが必要。
4.地域通貨おうみ委員会の基本活動である地域通貨について、コミュニティでの活用の可能性を探る。
5.職業柄、自治体におけるコミュニティ施策のありようについて考える必要がある。



 ということで、今日はコミュニティ施策という面からその問題点について調べてみました。
 参考図書は、地方自治政策Ⅱ「自治体・住民・地域社会」(編著者:倉沢 進)です。

 コミュニティ施策の出発点となった国民生活審議会の報告「コミュニティ ~生活の場における人間性の回復~」(1969)について、本書は次のように分析しています。

「自治体・住民・地域社会」(第1章「地域生活とコミュニティ」)より引用
 この報告書が示しているのは、日本の伝統的な地域社会の在り方を現代社会に適合的でないとして、一方で伝統回帰を否定し、他方で現状批判にもとづいてコミュニティを推進しようとする立場である。

 ―中略―

 このような認識に関しては、さまざまな評価と批判があり得る。一つには、伝統的な地域社会は本当に崩壊したのか、町内会・自治会が全国的に高い組織率をもっているなど、日本の伝統的な地域社会は健在ではないのか、という見方である。一つには都市社会学者の間にも、人々は多くの人間関係に囲まれて、現在でもそれに満足しており、孤独感をもった人は少数派であるという反論がある。
 さらに、事実に関する認識ではなく、当為、つまりどうあるべきか、どうすべきかにかかわる異論である。もっとも人々は孤独であって良いという見方、人間関係が必要であることは認めるにしても、地域社会の中で求められる必要はないという見方もある。地縁的というよりも、関心縁的な関係の方が、人々が求めるものであるという社会学者のなかに多くの支持者を持つ見方がある。関連するもう一つの異論は、地域生活の在り方のような問題は、人々の自由にまかせるべきであり、審議会提案などによって推進されるべきではないという考え方である。この見方から以後進められたコミュニティ施策を「行政主導」として批判する立場は有力であった。



 伝統的地域社会(農村共同体的地縁組織)が崩壊し、都市型のコミュニティ形成が求められるというのは一般的(特に、草津市のように都市化が著しいまちに住んでいる私たち)には「そうだなぁ」と思えるのですが、実際には伝統的地域社会が健在な地域も多くありますし、町内会の組織率は低下傾向にあるとはいえ、崩壊している状態であるとは言えず、伝統的地域社会では都市化傾向の強い地域よりも活発な取り組みが行われているのも一つの事実です。
 また、現代都市社会では人々は様々な形での相互関係を持っているので、マイナス面として孤独感を持っているというのではなく、あえて孤独(干渉から逃れる)を求めている人が多いようです。特に、マンション住まいの人の中には、地域のしがらみから開放されたいがために一軒家ではなくあえてマンション住まいを選択する方々もいます。さらに、コミュニティの問題に行政が介入すべきでは無いとの意見も妥当な見解です。

 しかしながら、現状が最善であってそれを変えるべき社会環境の変化が無いのであれば別ですが、そうでないとするならば次善の策を講じることが当然です。また、政策そのものを否定することには賛同することはできません。何故ならば、これだけ複雑化した社会状況において、すべてを自然にまかせるだけで問題を放置するならば、例えば地球規模での自然環境保全の問題や人口問題、南北間の経済格差、雇用の問題、少子高齢化問題、多発・凶悪化する犯罪問題等、を解決することはできません。これと同様に、政策をおこなうこと自身を否定することはできないからです。
 また、NPOに対する施策にしても特定非営利活動促進法もその一つですが、それ以上に自治体の適切な施策によって、その可能性を開花させることが求められているのと同様に、そうしたことも含めたより洗練されたコミュニティ施策が求められていると思います。

 では、これまでのコミュニティ施策がどのように行われ、その問題点はどこにあるのかを考えてみることにします。

 本書では、このことについて次のように記述しています。

「自治体・住民・地域社会」より引用
 国民生活審議会のコミュニティ小委員会報告以来、コミュニティ形成を目標とする行政施策が全国各地で展開されるようになった。その中で先導的な役割を果たしたのは、自治省のモデル・コミュニティ施策であった。1971年度から始められたこの施策は、各省の類似の施策の基準ともなり、また全国の市区町村のコミュニティモデルともなった。そしてこの施策が、コミュニティ・センターの建設を中心的な事業としていたことから、コミュニティ・センターの建設は、これをきっかけに全国的に広がった。


 つまり、コミュニティ施策として取られた方策は、コミュニティというソフト面での施策であるはずのものが、ハード整備を中心に行われたことが問題なのです。
 これと同じような事例は、今でも数多くあります。例えば農林水産振興の事業については、農道をつくったり用水工事をしたり、ダムや港を整備したりといったものが中心に行われています。こうしたハード中心のコミュニティ施策になった理由に一つとして、本書では先ほどの引用のあとに続けて次のように記述しています。

「自治体・住民・地域社会」より引用
自治省は1971年「コミュニティ(近隣社会)に関する対策要綱」を公表する。これは自治体施策先導のため、モデル・コミュニティの指定、整備を行うものであった。具体的には小学校区を標準とするモデル地区を選定し、地区の特性に合わせた生活環境整備と、住民の自主的なコミュニティ活動を促進することであった。当初は市町村が物的施設計画を立て、住民がコミュニティ活動に関する計画を策定する事とされたが、この施策への助言のため自治省に設けられたコミュニティ研究会の意見により、コミュニティ計画は住民の自由意思によるべきもので、行政側がこれを取り纏めることは不適当とされ、市町村のまとめるコミュニティ計画からは除かれることになった。

 
 確かに、行政がコミュニティの自由な意思を尊重せずに行政補完組織として利用することは避けなければならないという点では正論だと思うのですが、「コミュニティ計画とは施設計画であるという誤った認識を、市町村に与える結果をもたらした。」という面もあったようです。

 コミュニティ行政の矮小化によって、ハードや形式的な施策を実施すればコミュニティ施策は終わりだというのでは、まさしく「仏つくって魂入れず」です。

 このコミュニティ行政の矮小化について、本書では次のように批判しています。

「自治体・住民・地域社会」より引用
 矮小化の最大の理由は、これまでの行政慣行と、コミュニティの理念との矛盾である。コミュニティ研究会は、センター建設そのものを、コミュニティイシュー(地域社会で、住民・行政が解決すべき問題点)として位置づけ、このイシューを梃子としてコミュニティ活動の活性化を図ることを提案したが、単年度予算の消化に追われる自治体は、住民参加といってもせいぜい1、2回の住民説明会を開いて要望を聞くという程度に終わった。自主管理、自主運営は慣例にない、公の施設を特定の住民が占有物にしては困る、行政がきちんと管理すべきではないか、などの戸惑いが生じた。住民の総意による運営にするためには、町内会始め各種団体の代表からなる協議会方式が無難とされ、原則個人参加の協議会による管理、有給ボランティアによる日常管理などはなかなか実現しなかった。


 このように、かつてのコミュニティ施策には様々な問題点があるようです。しかし、一方で地域住民が地域の問題処理に参加し、意思決定を行う単位としてコミュニティを認知・促進し、その活動を行う上での物的基礎ができたという面では、これを今後活かしていくことができればプラス面として捉えることができるのではないでしょうか。

 ちなみに、コミュニティ施策については時代によって変化してきています。
 そのことについて、日本都市センター自主研究(平成12 年度)報告書『近隣自治とコミュニティ~自治体のコミュニティ政策と「自治的コミュニティ」の展望~』では、過去のコミュニティ施策とその変遷を次のように整理しています。

「近隣自治とコミュニティ」より抜粋
○第1期(包括型コミュニティに重心:1970 年代)
 ・包括的・総合的な地域課題や政策テーマに対応
 ・伝統的な住民自治組織とは異なる開かれたコミュニティ組織を志向
 ・コミュニティ施設整備に重点

○第2期(テーマ型コミュニティの誕生・形成:1980~90 年代)
 ・包括型コミュニティと並行して、まちづくり、地域福祉、防災等、個別のテーマに対応
 ・自治会・町内会中心型、NPO・ボランティア中心型等、構成メンバーは多数

○第3期(自治的コミュニティ:2000 年代~)
 ・再び包括型へ?(第1期と第2期のドッキング)
 ・多種多様な個別の政策テーマを重視しながらも、地域の総合的な視点から、住民自治・近隣自治を確立していくことに重心が置かれる時代
  ・近隣自治機構の仕組みが要請されている。
  ・市民と行政との緊張感あるパートナーシップが重要
  ・自治会・町内会は構成員の一員


  
 今日は、ここまでにします。
 次回は、今後どのようなコミュニティ施策が必要なのか、またその中で地縁組織はどのように位置づけられるのかを考えていきたいと思います。(つづく)

愉快犯?

2005年06月28日 | コ ラ ム
 ものすごい夕立でしたが、その後も蒸し暑かったですね。

 さて、和歌山カレー事件の高裁判決が出ましたが、弁護団のあり方に疑問を持ちました。 ▲産経新聞▲

 真実を明らかにするための公平性を確保するというのではなく、手段を選ばす都合の良い理屈をつけて無罪を主張するというやり方は、どうも一般感覚とは馴染まない感じがします。
 一審では黙秘を続けてきて、今になって都合良く話しをつくっても信用されるはずがないです。そもそも黙秘すれば裁判官の心証を悪くするのは想定されていることなので、判決理由で裁判長が被告の弁明を「到底信用できない」と切り捨てたのも当然だと思います。

熱中症対策

2005年06月26日 | コ ラ ム
本当に暑い1日でしたね。

昨日は、大阪の専修学校生17人が体育祭の後で熱中症にかかって緊急搬送され、今日も鳥取県日南町で開催された「第5回にちなんおろちマラソン大会」で4人の方が倒れたそうです。

実は私も、昨日・今日と仕事で駐車場の整理係をしていたので軽い熱中症?にかかってダウンしています。

熱中症とは、「暑熱環境下にさらされる、あるいは運動などによって体の中でたくさんの熱を作るような条件下にあった者が発症し、体温を維持するための生理的な反応より生じた失調状態から、全身の臓器の機能不全に至るまでの、連続的な病態」なのだそうですが、とにかく31度以上(特に湿度の高い場合)の場所では長時間の作業・スポーツは避けて、水分を十分に補給することをお勧めします。

 なお、お出かけの際には▲日本気象協会▲の熱中症予防情報などの警戒情報を参考にしてはいかがでしょうか。また、スポーツをされている方や指導者の方は、日本体育協会の▲スポーツ活動中の熱中症予防ガイドブック(PDF)▲が役に立つと思います。
 もし熱中症にかかってしまった場合は、▲京丹後市消防本部のHP▲▲熱中症のホームページ「応急手当」▲などを参考に適切な処置を講じてください。

AGIL図式

2005年06月25日 | 学習ノート

 昨日のブログで、町内会の歴史について一部引用させていただいた著書「町内会研究」(御茶の水書房)には、現状や課題等についても非常に詳しく分析されています。
 そこで今回は、この著書の現状分析の部分を紹介したいと思います。
  
 地縁組織の特質は、その大半が世帯単位での加入であり、強制ではないにしても基本的には住民すべてが加入することが原則とされている点です。また、新興住宅地等は別としても地域の歴史や伝統に基づいて活動している場合が多く、会長をはじめ構成員も高齢者が多いことから、どちらかというと保守的要素が強く、新しい課題へのアプローチは得意としない場合が多いようにも感じます。
 こうした地縁組織の問題について、T・パーソンズの考案したAGIL図式に基づき本書では次のとおり問題点を分類しています。 (九都市調査の質問票の自由記入欄に記されたものが分析の素材)


著書「町内会研究」より抜粋

(1)G 「共同生活の環坑・条件の保全」にかんする問題

a 活動内容の問題

 「町会の婦人部副部長を一〇年しましたが、ただ研修と称して旅行や観劇会くらいしかできませんでした。」

 共同生活を守り、発展させるという町内会の目標活動が、一応の水準のもとで充足されると、レクレーション活動
中心のものになってしまう、ということに対する批判的意見がある。

(2)I 「町内社会の統合・調整」にかんする問題

a 伝統主義による拘束や停滞の問題

 「団結が固いのか既成の雰囲気が排他的で新しい芽が出にくく進歩が難しい。」
 「前年と同じことをやらなかったり、何か別のことをやろうとすると上から頭を押さえられた。」

b よそ者意識、排他主義の問題

 「"よそ"から来てその土地の人々の考え方の中になかなか溶け込むことができず、かなりのストレスになっていま
す。」

 「四年前に引っ越して来たが、近隣の十軒程度にタオルを持参し挨拶回りをしたが、何ヵ月かの後、地区長が住んで.
いる隣の筋に住む人々から、"挨拶がない"との声が流れてきて、さらに挨拶回りをしたが、非常に不快であった。」

 「町内会活動については単身でしかもアパート住まいの私共では、どうしても入って行きにくい所です。」

(3)L 「合意形成と共同感仙の衰出」にかんする問題

a 運営の非民主性、ボス的な支配の問題

 「画一的であり、集団支配的であり、封建主義の匂いすら感じることが多々有る。真の自由、個性、民主主義の理想、個人の幸福とは何か、をもう少し考えるべきである。」

 「住民にとって必要な環境保全以外の、催し物(盆踊り、夜店など)に、役員に輸番制でなった時に義務づけられる
のは、行き過ぎと感じる。実行委員という形で参加の要あり。」

b 相互信頼、人間関係の問題

 「人間関係の難しさは常に感じる。派閥ができやすいとか、すぐ感情的になるとか人間として、杜会人として未熟な
人が多い。また、心で思っていることと言うことが違ったりして、ずいぶん悩んだこともあります。」

 「皆一人一人立派なことを言うが、その意見がどのような内容をもち、どのように波及するかなど先のことを考えな
い意見が多く、それらが勝手に交じりあい、とんでもない塗言が飛び交ったりして惑わされることが多かった。」

c 住民の揚力が得にくい、役員のなり手がいないという問題

 「運動会などで参加をお願いしても、休日返上までしてやることはない、というようなことで協力が得られない」

 「マンション管理組合の総会を行っても全四〇戸から出席者は一〇人弱でいつも決まった顔触れです。なかなか役員
を受けたがらない。」

 「役員はみんなが順番を受け持つという風習(ホッペタマワシ一があります。そのようなことだから、一期間名前を
連ねればそれで良しという考えのものが多い。」

 「役員といっても仕事はすべて妻がやることで夫の協力が得られない、または夫が協力することができないような運
営方式はおかしいと感じる。」

 「町内会でもPTAでも役員だけが本気で働いて、町内の人が行事に参加してくれない。自分の趣味であれば対外的
なものにも積極的に参加するのに。」

 この点はどの町内会でももっとも悩みの多い問題であり、上田市では、「役員のなり手がいない」三〇%、「会員の
関心が弱い」二三%(複数回答)であり、同じく、寝屋川市では五四%、三八%、津山市では三七%、二一%である。

d 信教の自由の問題

 「わが町の二五年の歴史のなかで、個人的に役員が持ち込んだ地蔵盆や隣町の氏神にたいしての寄付や奉仕に、ある
程度の強要のようなものがあり、住民の三分の一くらいが反発している。私も役員会において宗教の自由をおかしてはいけないと発言し、それ以後三年余りは宗教的行事は別サイドに役員をつくり別行動をしていたが、役員が改選され再び町内会と宗教的行事がいっしょになったりするので困っている。」

(4)A 「公的・共同的資源醐違」にかんする問題

a 町内会費にかんする問題

 「組長になり、区費などのお金を集めるとき居留守をされたり、何度訪ねても留守、お金を立て替えた後でもらえなかったりで、お金がかかわると大変です。」

 「町内会会費の値上げに苦労した。」

 なお、「十分な予算がない」という会長は、寝屋川市では三二%、津山市では五一%である。

b 寄付の問題

 「寄付金など、自治会長から額を提示される。」

 「赤十字だの赤い羽根など五〇〇円以上とか一〇〇〇円以上とか決められています。個人の自由を無視しています。
けれど、"払わない"という勇気はありません。」

c 行政などからの依頼業務が多すぎる

 この点については、意見の表記がなぜか見られなかった。しかし、これに対する不満は非常に多いと思われる。た
とえば、町内会の全市的体制のある上田市においては五二%の町内会が悩みとして指摘している。また、寝屋川市で
は二四%、津山市では一七%である。

c 特権を私的に利用する役員が生じる

 「自治会長などが市会、府会選挙に関与していることが多々あるように思う。また、市、府発注の土木建築工事などにも一定の業者を推薦し、受注しやすく手伝ってワイロを受け取るなど……」



 本書の書かれたのは1989年ですが、今でもこうした問題に類似することが見受けられる町内会もあるのではないでしょうか。
 しかし、全国にある町内会のすべてを一律的に図式化して語ることは避けるべきです。
 
 NHKの▲「難問解決-ご近所の底力」▲という番組では、地域の様々な問題を町内会などで解決している様子が伝えられています。この番組に出てくる町内会は、地域のために一丸となって創意工夫をし、活動している方々も新しい取り組みへのチャレンジを活き活きとした表情でされています。
 
 また、最近のTVドラマでも(殺人事件というショッキングな事件を通してではありますが)熱血の自治会長が奮闘している姿をテーマにした番組もありますが、実際にこういう雰囲気で活動している町内会もきっとあると思います。
 
 今後、町内会に対して少なからず存在する「できれば避けたい」という感覚(一種の「アレルギー」かも)を払拭するような工夫も必要だと思います。
 

未来指向で!

2005年06月24日 | 学習ノート
町内会の研究の基本スタンス (昨日のつづき)

 これまで、自治会について何度かに分けて資料収集や検討を行ってきました。
その中で感じたことは、地方分権が推進される中で、これが単に国から地方に権限が移譲されるだけでなく、地方自治体の主体者である市民が自己決定と実現のための担い手となるのであって、これにより住民自治がより進んでいくということから考えて、自治会の役割やそれへの期待は益々高まっているということです。
 一方で、自治会は過去に権力に利用されたり保守的傾向の強い政治基盤として存在していたことや、人々の生活スタイルや考え方の多様性によって活動基盤が揺らぎはじめており多くの課題を抱えていることも分かってきました。
 
 また「自治会とは何か」ということについては、一元的にとらえることはできません。というのも時代や地域、その社会状況によってその性格が大きく変化しているからです。
 例えば、京都では当初は自治組織として形成されたものが信長によって統治のための補助組織へと変化しました。

 このことについて著書 ▲町内会の研究▲ (御茶の水書房)では、次のように記述しています。 

 
「町内会の研究」より引用
 京都では応仁の乱(1467年~77年)の廃墟の中から、暴力に対抗し生活の安全を守るために隣保団結の地域団体である『町』が結成されていった。条坊制の『町』とは異なって、交差する街路をもって区切られた、街路をはさむ両側を以って一町を形成していったのであった。戦国の世にあってこれらの町はさらに『町』の結合体たる『組町』を形成し、上京五組、下京三組をなし、それぞれ『上京中』『下京中』として連合体へと発展した。このような町は、十四世紀以来成長してきた封建的自営農民によって結成された相互扶助の自治的な共同体組織=『惣』結合に応ずるものであり、都市に成長してきた商工業者、金融業者たちの座的な組織の前身としていた。土一揆や武士の狼ぜきにたいする防衛の中で商工業者、金融業者と一般住民の連携が進み、地縁的な自治組織たる『町』を形成したのであった。しかし、信長入京によって事態は大きく変貌する。信長の意向に対抗した上京は焼き討ちされ、その圧倒的な武装力の前に屈服させられたのである。信長はかえってこの町組組織を統治の手段として利用した。犯罪人の告発逮捕、地子銭の徴収、労役賦課、御貸米の利米の収納など。ここに、町組は自治・自衛の住民組織から行政機構の補助組織へと大きな変化をこうむったのである。

 
 歴史的に見る、と農村での「惣」や都市部での「町組」などといった自治組織として形成された側面がある反面、時の幕府や戦時下では大政翼賛会の一翼を担ってきたのも歴史的事実です。
 しかし、町内会を過去の時代に引き戻してその是非を語るというスタンスをとることはあまり有益ではありません。
 町内会等の地縁組織は、NPOや諸組織と並んで分権型社会においてコミュニティ再生を担う大きなアクターとして欠くことのできない存在となっているという現実そのものから出発し、また実際の活動実態を詳しく分析することによって本質的側面を理解し、まさしく未来指向で今後の発展方向を模索するという姿勢を持つことが大切だと思います。

偏狭なナショナリズム

2005年06月23日 | コ ラ ム
 今日の朝刊で、A級戦犯をもう罪人ではないと発言した森岡厚生労働政務官が、「東京裁判が本当正しかったかどうか」と国会内の会合で訴えたことが報じられています。
 小泉首相の歴史観を補強する発言が相次ぐ中で、首相を筆頭とした小泉内閣の靖国参拝や歴史認識をめぐる言動に対して、「偏狭なナショナリズム」と評価する声を耳にするようになりました。

 こうした問題に対して、自民党衆院議員の野田毅氏は、昨日(22日)の朝日新聞のインタビュー記事で、次のように述べています。

 
朝日新聞インタビュー記事より一部引用
 歴代首相はときには我慢もし、自己抑制しながら、国際社会でいまの日本の地位を築いてきた。その蓄積を、一首相の信念とやらで全部捨て去ってしまっていいのだろうか。

 靖国神社にA級戦犯がまつられている現状からすれば、参拝を見送るのが対局的な判断だろう
本来、外国から言われる問題ではなく、日本人自身が戦争責任をきちんと総括すべきだ。

 日本は戦後、東京裁判の判決を受け入れて国際社会に復帰した。それを堂々と否定することはできないはずだ。他方、靖国神社がA級戦犯を合祀した経緯を見れば、東京裁判の考え方を否定するために合祀した、と見ることができる。

 遺族会の方々とお話する機会がよくあるが、「赤紙で引っ張っていかれた戦死者と、戦場に引っ張っていった側の戦争指導者が、同じ扱いになるのか」というのが彼らの率直な思いだ。

 次のリーダーは、近隣諸国との関係を粗末にしない人でなければいけない。人気を得ようと独善で偏狭なナショナリズムに乗っかっている人もいるようだが、もっと勉強してもらわないと困る。

 また、同じく22日の衆院決算行政監視委員会で質問に立った民主党代表の岡田氏は、靖国参拝をめぐる小泉首相の「日本には日本の考え方がある」との発言に対して、「そういう言い方をわざとして国民の偏狭なナショナリズムを煽って支持を得ようというやり方は、一国の首相としてやるべきではない」と強く抗議する様子がニュースで放映されていまいした。

 京都新聞では、日韓首脳会談に関連してブッシュ米大統領が韓国の盧武鉉大統領に対して、歴史認識に関してもっと強く申し入れるべきだとし、日本は先の戦争を帝国主義と帝国主の戦争だと考えているようだが実際は民主主義対ファシズムの戦いだ、といった内容の議論をしたと報じられています。

 あまりナショナリズムを煽る言動を繰り返していると、アジアだけでなく世界から異端児として孤立してしまいます。また、ナショナリズムにも色々ありますが、日本のアイデンティティを国家神道への回帰や間違った歴史認識などを繰り返し、閉塞感のある社会状況下での大衆心理を利用するような政治手法は、グローバル時代における責任国家としてとるべき道ではありません。

 口先では未来志向と言いいながら、実際には歴史を逆行させる後ろ向けの論議に付き合うのは本当に疲れます。
 (当ブログで、町内会に関する連載をしたきっかけは、かつての歴史過程において国家統制や戦争遂行の道具として利用された地縁組織を、これからの地方分権を担うファクターとしてより発展させていくためにはどうすれば良いのかということを自分なりに整理していきたいと思ったからです。未来志向とは、過去に遡及して議論を蒸し返すのではなく、その教訓に基づき、今後どう発展させていくのかといくことだと思うのですが・・・。)


 ところで、先に取り上げた野田毅氏のインタビュー記事と同じシリーズ 「靖国問題を聞く(上)」 (21日付け朝日新聞朝刊)では、元経済企画庁長官の堺屋太一氏は小泉首相が神道信者の一人として個人的に公用車ではなくタクシーでも使って私的に参拝することまでは否定されるべきではないとしながらも、もし靖国神社参拝が首相の公務だとすれば、外国との摩擦以前に、日本国憲法に違反していると断言しています。その上で、神道は仏教やキリスト教と違って 「地獄」 という概念が無く良い人も悪い人も死ねばみな 「神」 になり、良い神には恩恵を求めてお祈りし、悪い神には祟りのないように祀るというのが神道の本筋だとも述べています。
私の場合、無宗教ではあるとはいえ悪いことをすれば 「地獄に落ちる」 ということを道徳観や戒めとし、現世で報われないとしても社会的に役に立つ人間になろうと努力しているつもりなので、この概念で分類されるとするならば「神道」派ではなさそうです。
また靖国神社の場合、戦後否定されたとはいえ国家神道の象徴であり、国家の統治や戦略と一体化した時期があるだけに普通の神社と同じように論じるのはどうかと思います。


 さて、靖国参拝などをめぐる内外の論議のなかでクローズアップされ、日本人の多くが持っているとされている宗教観である「神道」についてこれまで一度も真剣に調べたことが無かったので、著書「日本神道のすべて」(著者:瓜生中、渋谷申博)を読んでみました。


 読んでみ改めて分かったことは、まず「神道」というものには信仰の根幹となるような教義や教説が無い(それに代わって祭りがある)ため、それを定義づけること自身が非常に難しいものだということです。
そもそも、日本人の宗教観は異質な宗教を自在に取り入れることに何の違和感も持たないという独特のものです。
元旦には、ほとんどの日本人が神社に初詣するのは「神道」の観点からは説明しやすいことですが、一方で結婚式はキリスト教、葬式は仏式、クリスマスやバレンタインデーなども大衆文化として根付いています。また、広義の「神道」では象徴的な七福神については、仏教の仏も道教の神仙もいます。

 こうした信仰のフレキシビリティは大いに歓迎すべきことではないかと思いますが、その曖昧な概念を日本人の心情と言ったところで、解釈が大きすぎて本質的なものを何も語っていないと同じなのではないでしょうか。
本書でも、「日本人の信仰を神道と呼ぶ」という定義に行き着いています。
「神道」の源流を辿ると、縄文時代の土器や日本の神話などからその端緒を見ることができますが、基本的には「われわれ日本人の祖先たちが持っていた、何か敬虔(けいけん)なものに対する素朴な感情が集積したものと」ということができると思います。
最も原始的な氏神(うじがみ)信仰は、「神社を中心として、族縁関係や地縁関係で結びついて共同体のなかの守護神として崇敬されてきた」 ものですが、こうした 「素朴な氏神信仰から出発した神社神道も、村落共同体に国家の力が及んでくるとしだいに国家的な性格を帯びてくる」 という経過を辿ってきます。そして西暦701年の 「大宝律令」 神祗令(じんぎりょう)制定をもって、 「行政を司る太政官(大政を統轄した最高機関)の上に神事を司る神祗(じんぎ)官がおかれ」「国民のアイデンティティを日本固有の神社信仰に求め、それを国が掌握することで国家を治めようと」 してきたのです。その結末として、 「維新政府は神社神道を国家主義、軍国主義と結び付けて推進し、天皇を現人神(あらひとがみ)として祭りあげた」 結果、国家神道というものに行き着きました。そして、それを象徴するものが靖国神社です。もちろん、国家神道は戦後完全に否定され、憲法上においても国と宗教を関係を持つことが禁止されていますので、靖国参拝を国家神道の復活を狙うものだというのはあまりにも感情的すぎるとは思いますが、もし歴史を過去に戻そうとしているのではなくて個人の心の問題や道徳・信仰心としての「神道」であるとするならば、戦争責任を否定するという政治的思惑を持ったものとは一線を画すべきではないでしょうか。

 ちなみに、私は立木神社がある宮町に生まれ育ち、遊びやカブスカウト・ボーイスカウトといった活動の拠点としてこの神社でお世話になってきました。子どもの遊び場・交流の場としての境内の広場、今や自然環境にとって貴重な存在となっている鎮守の森、文化遺産としての建造物といった感覚で神社を見ていますが、そもそも「神道」とは何かと改めて問わなければならないような状況をつくっている現政権は、本当に日本人が大切にすべき精神や文化、絆といったものを継承しようとしているのか疑問に思います。
 また、国技として人気のスポーツとなっている(最近は、若貴兄弟の問題でイメージダウンしていますが・・・)相撲も、古代においては立派な神事で、現在でも奉納相撲や明治神宮で横綱の土俵入りが行われているのはその名残なのだそうです。でも、「神道」と相撲を結びつけるのは、現代人にとって違和感があります。
 さらに、祭りというのは現代人にとっては伝統文化でありイベントであると思うのですが、「神道」の観点から言えば普段は見たり感じたりすることができない神の顕現を待って、それに奉仕することがマツリなのだそうです。祭を神事だということをことさら強調されたり意識させられたりすると、単純に楽しむことができなくなってしまいます。




 先に触れたように町内会などの地縁組織の今後のありようを考える上でも、かつて大政翼賛会に組み込まれた歴史的教訓に立って、国や行政の下部組織という性格を完全に払拭し住民の自発的な意思によって地方自治を支える独立した主体としての運営のあるべき姿を考える必要があるのと同様に、未来に向けた国民自身のアイデンティティ確立のために靖国参拝問題を語っていくという姿勢が求められているのではないかと思います。

弘法さん

2005年06月21日 | 活動日記
 今日は、リフレッシュのため毎月21日に開催されている東寺(京都)の▲弘法市▲に行ってきました。
 
 

 弘法さんには、骨董屋を営む知り合いが出店しています。
 また、草津からも▲淡海陶芸研究所▲が出店されていました。
 
 
 その帰りに、ジャズドラマーの石田博嗣氏のお店(新宮川町にある中華料理屋)に行きました。
 石田氏が中心となって開催している恒例の▲コルトレーンナイト▲は、今年は7月18日に大津の旅亭紅葉で行われるそうです。
 詳しくは後日当ブログで紹介します。

個人情報は誰も守ってくれない

2005年06月20日 | コ ラ ム
 大阪市で、30万件の個人情報が入ったパソコンが盗難されました。
 花博記念公園鶴見緑地の展望塔建設のため市に寄付するなどした人たちの名前や住所、電話番号などが入っているものです。
 厳選された善意の人たちの名簿は、きっと高く売れるんだろうなぁ。
 自治体がこんな大規模な個人情報を流出してしまう失態は、過去に例を見ないものです。
 大阪市が30万件の個人情報紛失 PCごと盗難 (朝日新聞) - goo ニュース
 
 また、アメリカで史上最大規模のクレジットカード情報が不正に盗まれた事件について、日本のユーザーにも被害が及んでいることが明らかになりました。
 この情報漏洩事件では、なんと4千万人ものデータが流出し、すでに7万枚のデータが不正に利用されたというのですから本当に驚きです。
 4千万件の情報流出の危険 米マスターカード (共同通信) - goo ニュース
 
 世の中、パソコンや情報ネットワークのお陰で便利になったけど、これじゃ駄目だよっ。
 だいたい、ネットショッピングでカード番号と有効期限を入れるだけで買い物ができるというのは、どう考えても安易すぎると思いますがどうなんでしょうか。
 
 ネット関連の契約で、カード決済しか認めていない場合があって仕方なくカード情報を入力することがあるのですが、ちょっと心配になってきました。
 毎月届く明細と通帳の残高は、きっちり確認しなければ・・・。

新しい公の領域

2005年06月19日 | 学習ノート
 午前中に、山口地域まちづくり協議会(愛知県瀬戸市)の視察がありました。
 同協議会は、学区を単位としていますが、各自治会から推薦された方が協議会の委員として活動されていて、現役世代の方々が中心でした。
 こんな雰囲気の活動なら参加してみたいと思えるような朗らかで、かつ溌剌としアクティブな姿勢に、学ぶべきものが多いと感じました。

 さて、今日はこれからの新しい公の領域やその担い手について考えていきたいと思います。

 

 わが国では、国と地方が抱える長期債務残高は2005年度末には774兆円(対GDP比151.2%)を超えます。 ▲国及び地方の長期債務残高(PDF)▲  ▲リアルタイム財政赤字カウンター▲



 また、犯罪・災害被害の増大、ごみ・環境問題や少子高齢化社会の進展、グローバル化に伴う様々な問題への対応やニート問題や社会保障制度の破綻状況の打開など、公共的課題が増大する一方です。
 
 そうした中で、国と地方の役割を再編する地方分権が進んでいますが、このことに伴って地方自治体の業務範囲を根底から見直す必要が出てきています。
 地方自治体は、財政や運営方法を再編成していく上で、新しい公共のありようが根本的に問われると同時に、地域を構成する様々な主体との機能・役割分担が求められています。そういう意味で、地方分権は自治体内における分権をも伴うものです。

 増大するパブリックな領域を誰が担っていくのかということの分析について、三重県総合計画(県民しあわせプラン)では、次のように整理しています。▲県民しあわせプラン▲


「県民しあわせプラン」より抜粋
 私たちが自主的に地域に関わり、地域をつくっていく地域主権の社会においては、地域の課題解決を行政だけに任せておくのではなく、県民自ら取り組むことが重要になってきます。
 これまで「公的領域は行政が担うもの」と考えられてきましたが、これからは、県民も行政と共に「公」を担う主体となるという考え方が、新しい時代の「公」の考え方です。新しい時代の「公」のあり方のもとで、「行政が担う『公』」の内容を見直すとともに、県民、行政など多様な主体が担う領域についても、社会全体で支えるしくみを整えていくことが必要となります。
 「行政が主に担う領域」は、社会基盤整備、制度・しくみ・環境の整備など行政が整備した方が効率的であることや県民では担えないような公共サービスの提供などを県民の付託に基づき、行政が主となり担当する公的領域を表します。「行政が主に担う領域」においては、国、県、市町村が役割分担のもと、個々の取組に応じた県民などの参画・協力を得て、業務に従事します。

 「多様な主体で担う領域」は、行政も含めた地域の多様な主体が、役割分担のもとで、協働しながら共に担う公的領域を表します。具体的には、自然環境を守り育てる活動、子どもたちが健やかに育つための地域での取組など県民が主となって行い、行政が支援する地域のための多様な「公」の活動が考えられます。

多様な主体とは…県民一人ひとり、NPO、地域の団体、企業、市町村、県など地域のために活動する個人、団体などのことを総じて、「多様な主体」と表しています。



 増大するパブリックの領域を、かつてのように行政のみが担っていくことはできません。そこで、多様な主体が相互に連携しながら新たなパブリックな領域を担っていくことが求められているのです。
 
 

行政が主に担う領域の具体例

  行政が主に担う領域には、法制度上必要なものと市場社会において必要とされる処置に関するものなどがあります。


1 法令制度・行政制度 

① 法令等に基づく権限行使に係る事務事業(例:許認可、免許取消し、是正命令、税の賦課等)
② 首長が自らの名において行うのでなければ成立しない事務事業(例:表彰)
③ 住民の生命・身体・財産等の保護に係る事務事業(例:災害危機管理)

2 経済原則の観点から

① 公共財
不特定多数の者に受益があり、価格に換算不可能なもの。市場ベースでは、その費用を回収することが困難なもの(例:道路、公園、文化施設等)

② 外部性
(市場原理の)外部性が存在(市場取引が成立せず、価格付けを行うことができないもの。
(例:環境問題への対応)

③ 市場の不完全性
市場の情報が偏在していることにより、適切な選択が行われないなど、市場のメカニズムが働かないもの
(例:消費者保護のための規制、情報提供)

④ 公平(シビルミニマム)の確保
地域間・産業間・世代間の公平を確保するため、産業の保護育成事業や所得再配分等を行うもの
住民が健康的で文化的な生活を享受するために不可欠な最低限の基準を確保しようとするもの
(社会的弱者への支援等)

⑤ 独占
市場で特定の企業が独占力を持っている場合に、価格や供給量が適正か行政が監視し、規制や指導を行う必要があるもの

3 その他
① 社会生活のルールづくり
条例、規則、要綱等の制定等

② 政策・施策の立案・決定
道路ルート、税の減免等

③ 行政機関の存立のために必要な内部事務等
予算・決算・人事・組織等


 
 行政と市民の役割の区分や協働の領域について、次の図に分かりやすく示されています。
 






 
 以上のとおり、「公(=パブリックな領域)」は行政だけではなく、自治会やNPOなども含めた多様な主体で担うことが求められている中で、実際に誰がどのように担うのか、またその担い手づくりのためにどのような施策が有効なのかということを本格的に論議することが必要となっています。
 
(つづく)


学区コミュニティの運営

2005年06月18日 | 学習ノート
地方自治体内分権を担う主体としての自治会

 自治会等の地縁組織は、居住地によって構成メンバーや活動範囲を区切って、生活全般に関わることを網羅しています。また、これまでの長い歴史や実績から地域の代表性を有している唯一の組織と考えることもできます。一方で、自治会等の地縁組織は行政の補完的役割を果たしてきたことから 「行政の下請け組織」 という側面や、運営面でも非民主的側面を残している部分もあるため、否定的に考える人もいます。そういう中で地縁組織の運営を開かれた民主的運営にする努力を伴いながら、その特性を活かして地方自治体内分権を担う主体として確立してくことが求められています。取り分け、学区コミュニティについては 「地域を包括する組織である町内会・自治会の発展」 として位置づけ 「学区単位の自治活動の充実・発展を基礎にして、地域住民組織の主体的な取り組みと行政との連携の強化によって地域自治を確立していく」 ことによって、地方分権の受け手となることが期待されています。
 
 では、学区コミュニティの運営においてどのようなことを留意しなければならないのでしょうか。
 このことについて、先日紹介した▲「分権時代にふさわしい滋賀ならではの新しい自治の形づくり」(身近な自治研究会)▲では次のように示しています。


「分権時代にふさわしい滋賀ならではの新しい自治の形づくり」より抜粋


(2)学区コミュニティ組織の運営にあたって
学区コミュニティ組織の運営にあたって留意すべきことをまとめます。

① 学区における自治の機能を高める
1) 生活充実型から課題解決型の活動へ
住民自らが、自分たちが地域課題を解決していく担い手として自覚し成長していくことが求められます。
2) 住民の意見集約
学区エリアに住む住民それぞれの意見を反映し、すべての住民が参加できるような体制・仕組みを作っていくことが求められます。
3) 自治会との連携、補完
単位自治会が蓄積してきた活動をベースに学区単位の活動につなげていくこと、また、学区コミュニティの活動と自治会の活動、両方が支え合って厚みのあるコミュニティを形成していくことが重要です。

② 個人やNPOが力を発揮できる環境づくり
自覚を持って活動している個人やNPOがコミュニティで力を発揮できるようにするためには、風通しのよい地域の人間関係づくりが大切です。
地域の中の個人や組織がつながり、また地域外の専門家や活動団体などとも交流、協力し合えるような関係を築くことが、地域に活力を生み出すことにつながっていきます。

③ 多様な主体が参画できる環境づくり
NPOやボランティアも含め、多くの組織、グループが結集できる仕組みが必要です。そのためには、地域全体のことを考え、地域に立脚した立場で、それぞれの団体をつないでいくコーディネーションが行える主体づくりが重要です。
また、意思決定の過程では、なるべくコミュニティを構成する会員の意思が反映される仕組みとしつつ、実行の段階では専門的な部会やグループに思い切って任せるような仕組みも有効と思われます。

④ 行政の関わり方
地域の課題解決を住民自らが担えるようなコミュニティの形成が求められています。
地域の自立心をはぐくむためには、住民側の高い自覚がなくてはなりませんが、行政側もこれまでの自治会依存の行政スタイルから脱却していかなければなりません。
また、地域と行政の関わり方は、地域特性があり一律にはいきませんが、地域の実態や地域資源、住民のニーズを把握し、住民活動を支援していく、そんなパートナーとしての新たな関係づくりが求められています。



 学区単位のコミュニティ推進については、従来から国や自治体がモデル地区をつくったりしながら推進してきたものですが、その基礎的要素である自治会・町内会が古くから地域に住んでいるボス的な人たちによって運営されたり、新しく移り住んできた人たちや従来と違ったスタンスの活動が受け入れられにくかったり、また運営改善に向けて意見が出しにくいといった状況を払拭することが前提にならなければ、非常に窮屈で自発性の強要のような形になる危険もあることを念頭においてとらえるべきだと思います。
 そういう意味では、あくまでも学区内の共通のテーマを解決するための個人の自由意志による活動をベースに運営していくことが必要なのではないでしょうか。(つづく)



 明日は、▲山口地域まちづくり協議会▲より研修においでになりますので、草津宿本陣の案内や地域通貨の説明を行います。

 あっそうそう、大切な事を言い忘れていました。
 当ブログで自治会をテーマにしたシリーズを続けている理由の一つは、地縁組織や新しいスタイルでのコミュニティづくりを行う中での地域通貨活用の可能性を探ることです。
 あともう少し自治会のことを勉強した後、地域通貨に論及していきたいと思います。(本当に、そこまで行き着くのかなぁ~?)


いろいろな学区コミュニティ

2005年06月16日 | 学習ノート
 自治会に関する記事へのトラックバックをいただき、ありがとうございます。
 昨日に引き続いて、学区コミュニティに関して考えていきたいと思います。
 
 本題に入る前に、今日(6/16)の朝日新聞朝刊に掲載されていた 「《私の視点》NPO法人の認証はもっと厳格に」 と題した寄稿について触れたいと思います。
 寄稿されているのは上越市地域協議会委員の佐藤さん。佐藤さんは、新潟県上越市安塚区にできた全住民参加型のNPOについて次のように書かれています。
 
 
朝日新聞(6/16)《私の視点》より引用
 ~NPOは本来、社会的使命を実現したいと思っている個人が、自分の意思で参加していくもので、決して行政側が強いるものではないと考えていた。 しかし、安塚区のNPOの場合は、最初の仕掛けから行政中心。断れない雰囲気の中で、1家庭1人が加入して設立されたものだった。いわば目的地を知らされていない船に、乗せられたようなものだ。幸せ感を伴うようなものでは全くないし、はっきり言って迷惑である。 -中略- こうした全住民参加型のNPOは、-中略-本当のNPOとは言えない。真の民意から出発するという基本から外れて、事業内容も必ずしも住民が求めているものとは違っているNPO-中略-に補助金を与え続けることには大きな疑問を持つ。本当のボランティア精神に心を置いた、住民ニーズに根ざしているNPOだけが認証されるべきだ。~

 
 私は当該NPOの活動については全く知りませんが、NPOの基本原則からいうと半ば行政が設立したことや自発的参加ではないとすると、NPOの要件を充たすものではないように思います。
 
 ちなみに、レスター・サラモン教授らが中心となって行ってきた非営利セクター国際比較プロジェクトJHCNP(The Johns Hopkins Comparative Nonprofit Sector)では、NPOであるための要件として次の5つを挙げています。
 
1.利潤を分配しないこと [not profit distributing]
 非営利で活動し、結果として利潤が発生しても組織本来のミッションのために再投資する。
2.非政府(nongovernmental,private)
 政府機関とは違う
3.フォーマル (formal)
 法人格の有無に関わらず、組織としての体制を備えている。
4.自己統治 していること (self-governing)
 他の組織に支配されず、独立して組織を運営しているということです。
5.自発性の要素があること (voluntary)
 自発的に組織され、ボランティアや寄付によって運営されていること。



 
 ところで、NPOと自治会の関係については、平成12年度の国民生活白書「ボランティアが深める好縁」では下の図のように位置づけられています。


 
 
 
 自治会や学区コミュニティについては、国民生活白書でいうNPOの範囲には含まれていませんが、広義ではNPOとして位置づけることもできることから、自治会や学区コミュニティのありようを考える際には寄稿文で指摘されている問題についても念頭に置くことが必要だと思います。
 
 
 さて、学区コミュニティと一言でいっても、行政主導型のものもあれば市民が自主的に取り組んでいるもの、また自治会連合会が中心となるものや公民館や学校が中心となっているものなど様々な形態があります。このことについて、▲「分権時代にふさわしい滋賀ならではの新しい自治の形づくり」▲(身近な自治研究会)では、次のとおり学区コミュニティの6つのパターンが示されていると共に、それぞれの特徴と課題や留意点などが整理されています。

 
「分権時代にふさわしい滋賀ならではの新しい自治の形づくり」より抜粋


(1)自治の仕組みづくりのイメージ
学区における自治の仕組みづくりは、学区コミュニティにおいて展開される活動内容と、それを動かす主体の形成(地域組織づくり)、さらには地域での社会的な認知を含め、まちづくりの課題解決に向けて継続して取り組むことができる体制づくりまでを視野に入れ、イメージすることが大切です。

(展開パターン)

① 自治連合会が中心となるパターン 

 自治連合会は、多くの場合、行政との連絡調整や単位自治会ではできない活動を担っています。学区を単位とした文化祭や体育祭などは自治連合会が中心になって行われています。さらに、自治連合会が主体となってまちづくりを推進している動きも多く見られます。
このパターンでは、自治会の連合組織である自治連合会が主体となって、取り組みを推進することが考えられます。

-事例省略-

【パターンの特徴と課題】
○ 連合自治会は、地域の包括的な地縁組織である自治会の連合組織であり、また学区内の各種団体とも連携を図っているため、地域全体として総合的に取り組む体制づくりが可能です。
○ 自治会を通じてほとんどの住民が意思形成に関与できます。
○ 担い手が自治会役員と重なり、一部の人の負担が大きくなる可能性があるため、一個人としての参加者を可能な限り開拓していくことが求められます。
○ 将来的に役員の高齢化、固定化等により、柔軟で幅広い分野の活動を行うことに支障をきたさないよう、各種団体や活動グループ、NPO等との連携が求められます。


② 公民館・市民センターが拠点となるパターン 

 地域における生涯学習やコミュニティ活動の拠点となる公民館、あるいは行政の支所機能を持つ市民センターが学区コミュニティにおける活動の中心となるパターンです。実際には、学区内の住民組織である自治連合会や各種団体と連携を図りながら、活動を進めている場合が多いようです。

-一部事例省略-

◇草津市「地域協働学校」
草津市では、「子どもと大人の協働」、「子どもの健やかな成長」、「地域学習社会の形成」を目的とした地域協働学校を推進し、子どもから大人まで、さまざまな年代の人が世代を越えてかかわり、学びあい、その成果を次世代につなげていく地域社会を構築するための事業を展開しています。
平成14 年度から学校が週5日制に移行するのを見越して、まず、学校を開放していこうという立場で、平成10 年度から取り組んでいます。運営は、委員会形式をとり、原則として、学校の教諭と公民館の指導員が事務局を受け持つこととなっています(代表には、学区自治連合会長がつくことが多い)。
たとえば、草津市の志津学区の場合、推進委員会は、教育関係者、福祉関係者、地域活動関係者、学習サークル関係者、学識経験者など20 名以内で構成しています。協力団体は、学区自治連合会、学区社会福祉協議会、地区老人クラブ連合会、小学校PTA、幼稚園、民生児童委員、子ども会指導者連絡協議会、学区体育振興会、公民館自主教室代表、小学校、公民館など学区内のほぼすべての活動組織を網羅する推進体制が形作られています。

【パターンの特徴と課題】
○ 公民館においては、生涯学習や青少年健全育成等の活動がすでに行われており、活動の芽があります。
○ 活動の拠点となる施設や備品が存在し、職員が常駐し、地域でもよく利用されていることから、住民活動のセンター的役割を担うことができます。
○ 社会教育施設としての位置づけに固執すると幅広い分野の活動が阻害される可能性があります。
○ 施設の幅広い活用を可能とするための条件整備を図る必要があります。

③ 学校が拠点となるパターン 

 完全学校週5日制の実施や総合学習の機会を通じて、地域と学校との関わりが深まっています。子どもを中心としたコミュニティ活動では、地域の公民館とともに学校の役割が大切です。

-事例省略-

【パターンの特徴と課題】
○ PTAや学童保育等の活動がすでに行われており、親どうしのつながりがあります。
○ 子育て環境づくり、青少年健全育成など、教育や人づくりと関連のある活動は取り組みやすいと思われます。さらに学区のまちづくりなど、幅広い分野の活動を展開していくためには、より多くの地域団体の連携・協力が必要と思われます。
○ 施設の活用や職員の対応等、学校側の受入態勢の整備を図る必要があります。

④ まちづくり協議会が中心となるパターン 

学区の自治会や各種団体、NPOなどが協議会を組織し、学区コミュニティの諸活動に取り組むパターンです。

-事例省略-

【パターンの特徴と課題】
○ 数多くの地域の諸団体が参画し、協議組織を結成して、地域の課題解決をも視野に入れて、学区全体の包括的なまちづくり活動をめざしていることに特徴があります。
○ 既存団体だけでなく、個人やグループ、NPOの参加も可能であり、多彩な人材や専門的な団体が持つ知識、ノウハウを活用することができます。
○ テーマに応じて多様な組織形態を取ることが可能です。
○ 新たに組織を立ち上げることになり、既存組織との折り合いや住民の理解が必要です。また、立ち上げの初期段階での行政等の支援も重要です。
○ 役員の改選時期等、協議会立ち上げの時期を調整する必要があります。
○ 学区内の一部の人々による取り組みに終わらないよう、自治連合会や社会福祉協議会、青少年育成団体、同和教育推進協議会など既存団体との連携が必要です。
○ 継続した取り組みを行える仕組みづくりが必要です。

⑤ 特定のテーマをもとに新たな学区コミュニティの活動を引き出そうとするパターン 

 福祉や教育、環境など特定のテーマを持った活動が中心になりながら、徐々に学区コミュニティ全体のまちづくりを考えていこうとするパターンです。

-事例省略-

【パターンの特徴と課題】
○ 町並み保全や身近な環境づくりなど、地域の特色を生かしたテ-マや自分たちの関心のあるテーマに取り組むことができ、どの地域でも比較的取り組みやすいと思われます。
○ ①~④に比べて、主体形成や取り組む体制等で不安定さがあるかもしれませんが、住民の主体的な活動が大きく発展していく可能性があります。
○ 地域全体へと広がりあるものにしていくためには、地域の幅広い団体やグループの関わりが必要です。
○ 継続した取り組みが行えるような仕組みづくりが必要です。

⑥ 権限委譲の仕組みづくりを工夫しているパターン

 地域分権を視野に入れ、行財政の権限を地域に委譲する仕組みづくりの工夫をしているパターンです。

-事例省略-




 以上のとおり、学区コミュニティには色々なカタチがあることが分かりました。
 次回は、学区コミュニティの運営上の課題について調べていきたいと思います。(つづく)