持田正祐寺地区に点在する持田古墳群の支群である。閑かな佇まいで良いところである。

やっと一輪咲いてくれた。母が期待していたのだがなかなか咲かなかったものだ。生きているうちに見せたかったのだが残念だ。生ごみを一年通じて小さな庭ではあるが埋めて土にかえしてやった。するとどうだ?花が付き始めたのである。あと四、五日すれば満開になるだろう。白い椿だ。
賢明なる読者諸氏ならば既にご存知かもしれない。椿三十郎の最期に赤い椿を流すシーンを。赤でも白でもどちらでもよかったんだと・・

飯隈1号墳・2号墳(鹿児島県)
遠目では前方後円墳に見える。近くに寄ってみると2基の円墳が近接しているのが判る。恐らくは付近にまだ古墳はあったのであろが・・・うーむ。大崎町の文化遺産として残され後世に伝えられることはいいことである。ただね、案内は無いは古墳自体の説明は無いはでは・・問題じゃないか。当古墳群も横穴式石室を持ったような形跡が無いのは残念である。
当該ブログの記事は平成31年(2019)1月18日から25日までである。

美味そうだろ。八朔と温州ミカンを掛けたものだそうな。形状は八朔より一回り小さいかな。水分が多く甘さは控えめではあるが一度に三個も食べるからあっという間になくなってしまう。春を待てば本物の八朔を食べることが出来るぞ。大好物なんだな。妻は我輩の食べる顔を見て・・・これは食べるのだが・・八朔は食べないな。相当に酸っぱいように見えるんだと。はははは。

主体部を確認できない。所謂日向国で見られる古墳は地下式横穴墓で、この形式の墓は5世紀の中頃には既に存在していたという記録があるようだ。
以前から記述している様に高塚式の古墳も存在しているのでこの地域ではこれら両者の墓の形式が混在していたのである。