平家の中でも影が薄かったようだ。しかも難しく考えてしまい思いつめるタイプであったようである。
「平家物語」の中でも取りざたされていないのが珍しいと言っていいのかもしれない。
ただしかし、入水の場面における清経の覚悟というものが短い文章にも拘らず閑かに伝わってくるから不思議である。
清経は自分よりも若くして戦場に散った公達、或いはその戦場で自らの命を絶った公達がいたことを当然ながら十分に知っていたであろう。
「青葉の笛(小枝の笛)」でご存知の敦盛は15歳である。しかし、清経は1183年4月4日享年21であった。
一番悲壮なのは 清経の死から僅か二年後の安徳天皇である。7歳か8歳で崩御されているのだからな。
平家滅亡のその後の伝説は日本各地にあるのは嬉しいのではないかな。惨めに死に逝く者達の哀れさを日本人が大事にしていたということであろうか。我輩の住居地にも安徳天皇稜が存在する。天寿を全うしたようである。
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