中の山古墳の西側から見ている 画面左が後円部である 陽もだいぶ傾いた
埼玉古墳群に所在する前方後円墳は総て前方部が後円部より1m程高い 5世紀中頃から後半にかけて大和政権関係が築造する前方後円墳は前方部が後円部より少し高いのが殆どである
その流行を取り入れているのかもしれん ただ周堀を形成する形は盾形ではなく 内堀 中堤 外堀 で墳丘を方形で巡らせている 奥の山古墳は盾形ではあるが
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