案内の右に法面が見える。これが3号墳である。向うにも番号は割り振られてはあるのだが未発掘の古墳である。ここに所在する殆どの古墳同じ形態であり、地域の首長たる同族の奥津城であろう。小ぶりの腰石を基礎にして板石を積んで石室を形成している。玄室が狭いのも共通である。
この説明を見ると1号墳と3号墳の副葬品がほぼ同じようなものであることが判る。どちらも男性で、この集落(国単位ではないのだろうが)で力を持ち、海運に秀でたものであったろう。航海術を身に着け眼前の有明海から東シナ海を渡り、中国中央部から南部にかけて駆け回っていたのではなかろうか。
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