二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

命のある限り、君を全力で愛そう。

2007年06月14日 07時23分02秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今朝の名古屋は雨です。梅雨入りしたかはわかりませんが、しとしとと降っています。 Yo さんの「翡翠」を思い出しますね。
 昨日は、 Mika Yoshida さん宅へ、電話をしましたが、ちょっとした、告白のようなものをしてしまいましたが、いくら言葉を並べても、足りないくらいの想いがあることを知って欲しいのです。これからは、きっと、熱いラブコールが続くかもしれません。覚悟をしていてください。
  Mika Yoshida さんのお母さんとも仲良くしないと、今後の交際に影響があるかもしれないので、できるかぎり好印象を与えておきたいのですが、ちょっと口下手で、自信がありません。
 今度の作戦は、お中元作戦です。いわゆる、「贈与の一撃」です。 Mika Yoshida さんには、何を与えても、惜しみはしませんが、命をくれといわれたら、寿命が終わるまであげるといいます。その間は全力であなたを守り、そして愛するといいます。
 僕と結婚すると、約一億円の土地が付いてきます。両親が死んだからだけど。なので、それまでは紆余曲折があると思いますが、決して損はさせません。ってたいしたことないけどね。 
 やっぱり自分で稼いだお金で生きていかないとね。
 そういえば昨日また、熱田神宮へと行ってきましたが、きしめんを食べて、お抹茶をいただいてきました。おみくじは、末吉でした。1900年の間、人々の祈りを受けとめてきた歴史を考えると、敬虔な気持ちになりますね。
 僕の部屋に、神棚を作ったので、毎日拝んでいますが、明日は、お供え物を交換する日です。今日中にやっちゃおうかな。
 16日には、YANASEへと行こうと思っているのですが、手紙が書けなくて困っています。
 今、コーラの氷を取りに一階の冷蔵庫から取ってきたのですが、階段を上がりながら、ああ僕は、この骨についている肉やらなにやらからまでが僕で、そこから外には僕ではないんだという事を考えたのですが、生物的な僕はそこまでですが、社会的な僕はいったいなんなんだろうと思います。
 会社経営者だったら、法人格があり、自らの肉体以外にも、社会的に影響を与える事ができ、まさに肥大化した自分を感じる事ができるかもしれませんが、社会的な自分ていったいなんなんだと思っています。
 この文字を入力しているのは僕ですが、この文字自体が僕ではないと思われます。この文字の羅列は、僕の情報の一部を明記しているのであって、僕自身を表現したものだと思います。
 もしこの世にテレパシーがあって、他人と会話をせずにコミュニケーションができたなら、文字はいらないのかなとも思うのですが、僕がもしこのパソコンに向かって入力しなければ、この巨大なネットワークの、ヴァーチャル空間に、この記号の羅列は現れなかったと考えると、ああ、僕は今生きているんだ。そして考え、愛を求め、そして、一人ではないんだという事を感じました。
 社会は、高度情報化社会へと突き進んでいますが、コミュニケーションのあり方が、急速に変化しつつある事を感じます。人間のあり方を、根本から覆しつつある現代の社会において、何が必要で、何が必要で無いかという単純な考え方だけでは、これからの社会を標榜できないかもしれませんが、生きるという事が楽しいと誰もが思えるような、そんな社会になればいいと思います。
 今日も Mika Yoshida さんが、綺麗で、美しく、元気で、幸せである事を祈りつつ、今日は失礼たします。
 それでは。

 雨濡らす人々の影薄くしてしとしと降るは想いと同じ

 電話にて告げし心は臆面も素面のままで愛を語りて

 花弁を濡らす小雨の愛しさよ傘の花咲く都会の隅で

 God bless you!