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かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

多民族

2015-09-28 23:00:14 | フィギュアスケート
9月に入り、NHKのBSでは『映像の世紀(デジタルリマスター版)』を放映していた
ドキュメンタリー好きなわたしは、当然全部を見る。
その中で、ハンガリー動乱についての言及があった。
1956年に起こったこの事件は、結局はソ連の介入で鎮圧されたわけだが、ハンガリーから逃れた難民が多数生まれることとなった。
その中のひとりが、ラズロ・キライという若者である。
彼はアメリカに逃れ、アメリカで家庭を持った。
動乱の5年後に生まれた息子は、父と同じようにバレーボールを始め、のちにアメリカナショナルチームの主将になった。
息子の名前は、カーチ・キライ。20世紀のベストプレイヤー(男子)として後に殿堂入りする。
彼は1984年と1988年の五輪でアメリカチームを金メダルに導き、
さらに1985年のワールドカップでは3時間35分の激闘の末、当時無敵と言われたソ連を破った。
(この試合はもちろんテレビ観戦していた)
ソ連が武力鎮圧したハンガリーから逃れた難民の息子が、29年後にスポーツでソ連を破ることになろうとは、
当時の人たちは想像も付かなかっただろう。
なお、この当時のアメリカチームには、チェコ系やラトビア系やドイツ系や日系など、いろいろなルーツを持つ選手がいた。
現在キライ氏は、アメリカ女子チームの監督をしている。
是非とも来年のオリンピックで姿を見たいものである。

話は大きく変わるが、かつてハプスブルク家が支配していた当時の墺国は、まさに多民族国家であった。
国民の3分の1がドイツ人、残りがハンガリー人やチェコ人やその他の民族であった。
この菓子はMade in Austriaと書いてあるのだが、

なぜかパッケージにはイタリア国旗とNo.1 in Italyのシールが貼ってある。
どうしてだろうかと思ったら、この菓子のメーカーの本社はイタリアにあるそうだ。
現在イタリア領になっている南チロルは、もとはオーストリア=ハンガリー帝国の領土だった。
第一次世界大戦のあと、チロルの一部がイタリアに割譲され、
その結果墺国のチロル州が飛び地状態になってしまった。
そのあたりと関係がありそうである。

墺国の男子フィギュア選手たちはゲルマン系(ドイツ系)が多いが、
マヌさんはお母さまの旧姓や本人の顔立ちからして東欧系(おそらくチェコ)だし、
マリオ君は名前だけ見るとイタリアなど南欧っぽい。
隣り合うドイツよりも、墺国の方がより多民族の傾向が強いような気がする。

昨日のブログに名前を挙げたピーター君もまた、中国系アメリカ人である。

この写真だけ見ると、日本人にも見えなくはない。
現在のアメリカのジュニアやその下のカテゴリには、東洋系の選手が実に多い。
後ほど、そのあたりについて言及しようと思う。