「六部定位脈診」の問題を考えるには、その原点に立ち返っての生成発展として視ること、弁証法性で視ることが必要である。
「六部定位脈診」というものも誰かが創り出したものであるから、それには始まりがある。
ただ、これにも二重性がある。古代中国において最初に「六部定位脈診」が誕生させられた時と昭和の始めに経絡治療の診断方法として再び誕生させられた時との二重性である。
古代中国においては、当初は患部の . . . 本文を読む
『素問』(小曽戸丈夫訳 たにぐち書店)を読み返している。
最初の数篇では、健康に生きていくためにの養生=生活過程を整えることの大事性、そしてそれはまず天地の気(四季の変化)に合わせてのでなければならないと、そのことの大事性が説かれる。
一般論としてはこれは全く正しい、先人の知恵の素晴らしさに、二千年以上も前によくぞ!と感心させられる。
これは、病気になればそのまま死んでいくということが珍しく . . . 本文を読む
ゴールデンウィークの間、脈診を弁証法性でとらえ返す、書くということ行った。
自身のアタマの働き、働かせかたが、結局は脈診の事細かな事実とそれに関わる思いに引きずられて、堂々巡りを繰り返し尻切れ蜻蛉になってしまって、迷路に入り込んで迷いに迷って、の感があった。
その中で想起されたのが、「たたらを踏むことの致命的欠陥」として「隙」について南郷先生が説かれていることであった。
端的には、闘うのに必 . . . 本文を読む