本日、半月ぶりくらいに、昼休みの鍛錬行った。河原も新緑に包まれ、時の流れの速さを実感した。
そこに自身の諸々の環境の移ろいを重ねて見ることとなり、万物は流転する(Τα Πάντα ῥεῖ )ということ実感された。
とともに、だから古代ギリシャの人類は不変のもの、世界の根源、事物の本質を求めたのか!?と.......そのことの意義を感情レベルで実感出来た、と思えた。
そう思えると、自身の今の思 . . . 本文を読む
鍼灸を学ぶのに何故にその学びかたを問わねばならないのか?
端的には、世界は過程の複合体であるから。
より構造的には、世界のあらゆる事物は(それゆえに鍼灸というものも、それを修得するということも)、過程性、構造性を持っての存在であるから、如何なる過程的構造(あるいは構造的過程)を持って、持たせて学ぶかで、その結果としての習得、修得の在り方が大きく違ってくる、からである。
それに対して、鍼灸学校 . . . 本文を読む