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弁証法について〜統計学の学びから視る弁証法〜

2017-04-08 15:03:13 | 哲学(世界観・弁証法・認識論・論理学)
『新・弁証法・認識論への道』を読み返している。統計学の実践的な学びの成果を実感できたと思える。

南郷先生が「受験勉強」について説かれていることを読み返し、そこに学ぼうとの思いから『新・弁証法・認識論への道』(現代社)の「第五章 第五節 受験勉強のなかでまともな認識を創るには」を読み返すなかで、そこに説かれていることの凄さにどうしても最初から全部を読みたいとの思いとなっていって、最初から読み返している。

その中で、弁証法について「世の中の研究者、あるいは研究者レベルであるにもかかわらず学者であると錯覚している人々の誤解、弁証法に関わる誤解について」説かれている箇所で、「研究者レベルの学者先生達が誤解しているごとくに、弁証法というものは事実レベルの運動・発展を直接にいうのではなく、一般性のレベルでの運動・発展を問題にするのだ」(手元に原文が無く記憶で書いているので、正確ではないが……)と説かれている。

この「事実レベルの運動・発展」と「一般性レベルの運動・発展」の違いを説いていただいている箇所。それを何十年も前に最初に読んだ時から、今回、読み返すまでの永い永いあいだ、南郷先生が説かれているのだから、大事なこと意味のあることとの思いはあったものの、具体のイメージが一向に描けず、言葉だけがアタマの中で渦巻いているのみであった。

しかしながら、今回『新・弁証法・認識論への道』を読み返して、そこに説かれていることが実感レベルで読むことが出来た、中身のある像としてイメージすることが出来た、のではと思える。

具体的には、この「事実レベルの運動・発展」と「一般性レベルの運動・発展」との違いというものは、統計学での「サンプル群の描く正規分布」と「サンプル群の描く正規分布から推定される、無限母集団の正規分布あるいは無限母集団の平均値の正規分布」との違いと同じ論理なのでは、と思えたことである。

そしてこの統計学の理解は、今回の卒業研究での実践的な統計学の学びがあればこそだと思える。そういう意味では、自身の学びたかったことでは無しにの卒業研究であったのだが、真面目に取り組んで本当によかったと、その機会をつくっていただけた担当の先生には心からの感謝の気持ちでいっぱいになった。

このことは自身にとっては大発見レベルの出来事であるだけに、改めてしっかりと説きたいと思う。

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