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「股関節重心」と「お灸セルフケア」でコリ・痛みの無い身体に

コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

「旧・東概」まとめ(12-4)~病因論、内因(七情)と不内外因~

2015-11-03 21:38:56 | 鍼灸理論・東洋医学
 前回は、病の原因としての外因(外邪)の項をまとめた。
 外因とは、風、寒、熱(暑)、湿、燥、火の六気と疫癘で、六気は本来は天の「正気」として凡ゆる生命を育むものであるが、度が過ぎたり、季節に反して現れた時に病因(六淫)となり、人体を外から侵すものであった。

 今回は、内因と不内外因についてまとめていく。(以下、『』内は、要旨)

 『内因とは、内から生じる病因であり、過度の感情を指す。
 具体的には、「怒」「喜」「思」「悲」「憂」「恐」「驚」である。(意味的には現代日本語と同じ。本当は、違う部分もあるのだとは思えるが・・・・・・。)

 これらの感情は、人間が通常持っているし当然備えているべき精神活動であるが、それらが過度となる時、あまりに激しかったり長期にわたったりする時、神気の統制を乱し、気血の巡りを損なわせ、五臓を傷る。内因による病は、外因による病が体の外部から発病し次第に深く侵すのに対して、体の内部から発病し、緩慢に進行し、陰性の症状(顔面蒼白、悪寒、冷え等)をあらわす。さらに虚に乗じて外邪が侵入すれば、陽性の症状(発熱、疼痛、喘咳等)をあらわす。』

 『不内外因とは、内因にも外因にも属さない病因で、社会生活を営む中での病因である。(おそらく、「黄帝内経」の時代に比べて、約一千年後の宋の時代には社会関係が複雑化し、社会関係による病が多くなってきて、独立して病因として捉えてやる必要が出てきたのでは、と思う。ブログ筆者)
 具体的には、飲食、労倦、外傷があげられる。

 「飲食」飲食の不足は、営気を不足させ、病気に対する抵抗力を失わせる。その過剰は、脾胃に負担をかけ、飲食物が滞り、腹満、腹痛を生じさせる。
 その質の偏りは、五味の偏食と体を冷やすものと温めるものの摂取の不調和にわけられる。五味を程よく食べれば、五行で対応する臓を養う。また、夏にとれる野菜は体を冷やし、冬にとれる野菜は体を温める作用がある。であるから、本来は季節の野菜を適度に食べることで、人間の健康は維持される。が、現代では、人工的に栽培された季節外れの野菜が手に入ることから、これらが病因となる。

 「労倦」労働や房事は、もともと飲食物の消化吸収を助け気血を巡らしたり、新しい生命を生み出すという必要なものである。が、労働と休養の調和が崩れたり、偏った労働が長く続いたり、房事が不摂生となると病因となっていく。

 「外傷」東洋医学では、打撲、捻挫、切傷、骨折等の外傷によって、体内に悪血が生じ、それが原因となって内臓の障害を含む、重大な病を惹き起こすと考える。』

 以上、東洋医学の病因の捉え方を概観すると、非常に弁証法的な、対象の構造に分け入っての把握と思える。

 例えば、病因を何か特別なものと捉えるのではなく、当たり前に存在し、通常は必要とされるものが、過剰になったり、季節に反していたりすることで、対立物(=病因)に転化する。という把握。例えば、外因と内因(自然的と精神的)、そして不内外因(社会的)という把握等々。である。

 にもかかわらず、である。東洋医学は、観念論的な医学体系として完成され?それ以上の発展は無く、という現状であると思える。
 一方、西洋医学は、同じくに対象の構造に分け入ることの不可能であった時代には、例えば古代ギリシャ・ローマの時代には、古代中国と同じように観念論的な医学体系(例えば、ガレノス)を把持していたにも関わらず、現代では、科学的な医学体系を把持するということになっている。

 これは何故か?何が、その分かれ目となっているのか?と問うことが必要と思える。
 おそらくは、中国という社会のあり方とギリシャ、ローマ、フランス、イギリス、ドイツ等々の西洋ヨーロッパの社会のありかたとの違いが影響しているのではと思える。
 例えば、中国という国は上に立つものが絶対権力を持って異論や反論を許さないような、下手なことを言うと残虐な拷問刑にあわされる。そんな伝統があるように思える。秦始皇帝の時代もそうだし、今の中国の体制にいたるも。(このことは詳細は忘れたが、悠季真理先生がどこかで説いておられたと思う。原文を確認していないので、違うことを論じておられたのかもしれないが・・・・・・。)

 余談ではあるが、10年近く前に上海を訪れた時に、あまりの空気の悪さと大気汚染による曇天続きに、中国人ガイドに「空気悪いね〜」(外は薄曇りで、息をすると喉が痛い状態)と言ったら、「そんな事は無いよ。いい天気だよ!」との即座の反論。であった。
 そんな国であるから、権威とされるものに正面から逆らうということが出来ない精神構造を中国人はDNAレベル?で持っているのかも。と思う。

 それは例えば教科書で、外因と内因から宋の時代に外因と内因、不内外因となったのも、発展とするのではなく、「黄帝内経」を理論的に整理した。との消極的な評価となっているが、これは中国での「三因極一病証論」に対する評価の反映であり、中国人の権威主義の現れではと・・・・・・。

 社会についての学びは、全くの勉強不足で、そこを論じる実力は現在皆無であるが、そこを学ばねば東洋医学の実態も本当には分かりようも無いと思える。いずれは論じたいものと思う。

 

 
 

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