東洋医学の理論~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

風邪は薬で治すもの!?(2)〜時代性ということ〜

2017-05-19 17:26:37 | 生活の整え
風邪が治り切らず長引いている。時代性に逆らっての、の二重の困難性痛感する。
先日からの風邪、昼間はすっかりいいのだが夜になると空咳が出て止まらず、の状態が続いている。そのことで、それに対しての「風邪は薬飲まなきゃあ治らないですよ!」との同僚の柔整師氏の言葉の重みが、実感されている。

どういうことかと言えば、自身の思い、信念としては、病気には自然治癒力の範囲内にあるものと範囲外になってしまっているもの、なりつつあるものの二重性があるから、後者に対しての薬の使用はやむを得ない面があるものの、前者には出来る限り薬など使わない方が良い、ということがある。

にもかかわらず……今回の風邪のごとくに、本来は自然治癒力の範囲内の病気であるにもかかわらず、なかなかに治りきらない(理由の最大のものは、日常的なクーラーによる冷えから逃れられないから、と思うが……)場合、理屈で考えれば「薬に頼らなくても治る、どころか、薬など飲まないほうが良い」であっても、どうしても「薬を飲めば、簡単に症状が治まる、軽減する=薬を飲めば治る」との思いが、現在の状態が悪化していって休むことになった時の、同僚の、院長の、患者さんの顔とともに浮かんで来るし、それ以上に、自身の幼少時からの「風邪をひいたら薬を飲んで温かくして寝るべし」との教育の結果としての感情が、「薬を飲んだほうがいいのではないだろうか?」との誘惑?となって、繰り返し受かんでくる、のであるから、薬に頼らなくても治る病気を薬に頼らないで治す、ということが現代ではとても困難である、と思える。

この困難性は、ほとんどの方が「風邪をひいたら薬を飲めば治る、飲まなきゃあ治らない」と思って「風邪をひいたら薬を飲んで、そのことで風邪が治った」と信じているであろうから、なかなかに理解いただけないと思えるので、例え話をすれば、鍼灸国試の試験範囲は教科書だから、過去問などやらなくても教科書をしっかりと理解すれば良いと理屈では分かってはいても、学校で過去問が国試合格の近道であると言われ、日々過去問を解くことが授業であり、周囲の同級生も過去問の学びに血道をあげ、かつ、自身の過去の何度かの受験勉強のありかたも過去問の繰り返しだとすれば、理屈では、教科書さえ学べば大丈夫!と分かっていても、通常は当然に国試勉強=過去問の学びとなるし、感情的にも過去問に手を出さないことが大変に困難であることと同じだと言えば、理解いただけるであろうか?

それだけに、薬に頼らないで治そうと、生活を整え、鍼灸を試し……することは、大仰に言えば、時代性に逆らっての……と思える。

逆に、時代に逆らっての行動であるからこその、何としても生活の整えで、あるいは鍼灸で治さなければ!悪化させて最後に薬に頼るという醜態だけは晒したくない!となるだけに、しっかりと治していくことが出来れば、生活を整えるということの、鍼灸の理解がしっかりと深めていける千載一遇のチャンスとも出来る、と思える。全力を尽くしたい。
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