明治国際医療大学での学びについて2〜3回書く予定、先ずは診断について。
臨床見学に先だって、臨床を行なっている、患者を見て治療を行なっている先生がたのアタマの中はどうなっているのか、を知った上で臨床見学に臨んでいただきたい、と、診断の一般的な過程を解説いただいた。(術者のアタマの中身を見て実際の施術を見るという見学実習のカリキュラムは、さすが大学の臨床見学実習、と感心させられた)
そこで、診察によって得られた事実から、なるべく多くの疾患名をあげて、そこから追加の検査等の事実をもとに絞り込んでいく、その場合、どれだけ多くの疾患名を想起できるかが、診断の実力を左右する大事なことである、と説かれた。
しかしながら、例えば、『医学教育 概論』 (現代社白鳳選書)では、そのような知識的診断が誤診、医療過誤を生むとして、病気の生成発展をしっかりと把握しての論理的診断の必要性が説かれる。
それゆえ、知識的診断を説く講師の先生のアタマの中身はいかなるものなのか、『医学教育 概論』で説かれているダメな西洋医学の診断のありかたをそのまま東洋医学、鍼灸に横滑りさせたものなのだろうか、それとも一般的には同じ言語表現とはなっていても、その実態は異なるのだろうか、との興味から、「実際の患者を前にして、疾患名をなるべく多く想起することが大切である、そのことが診断の第一歩である、と説かれましたが、もし患者の事実から妥当な疾患名が何も思い浮かばなかったら、どうすればいいのでしょうか?自身の経験上もその様な場面があるのですが……そしてその場合、患者を前にして知らない、と逃げるわけにはいかないのですが……」と質問した。
それに対する答えは、要約すれば、「それは実際の問題として、あること。そういう場合は、筋肉等の組織に対しての施術、対症療法を行なって、次回までに調べる、と対処するしかない。」ということであった。
それでは、(自身の)未知の病気に対しての治療は、場合によっては長期にわたって組織に対しての施術、対症療法となるということではないのか?その場合、病気によっては手遅れになったり、それ以前の問題として、病気自体が何なのかがわからないのだから、その組織に対しての施術、対症療法すらが、良いのかの否かの判断がつかないのではないのか?との思いもあったが……。
実際には、現代日本社会の鍼灸の一般性としての鍼灸のありかたからすれば、つまり西洋医学プラスαとしての東洋医学=鍼灸である場合がほとんどであるということから、鍼灸の診断の問題と考えれば……また、説かれた診断のありかたを初心者向けと考えると、病気を論理的に診断出来る実力を身につけるまでの間は、いきなり論理的診断の実力が身につくわけは無いのであるから、正常から異常への過程的構造を見て取って診断することが可能となる実力を培う過程を同時並行的に持つという条件では、正しいのでは……と。
臨床見学に先だって、臨床を行なっている、患者を見て治療を行なっている先生がたのアタマの中はどうなっているのか、を知った上で臨床見学に臨んでいただきたい、と、診断の一般的な過程を解説いただいた。(術者のアタマの中身を見て実際の施術を見るという見学実習のカリキュラムは、さすが大学の臨床見学実習、と感心させられた)
そこで、診察によって得られた事実から、なるべく多くの疾患名をあげて、そこから追加の検査等の事実をもとに絞り込んでいく、その場合、どれだけ多くの疾患名を想起できるかが、診断の実力を左右する大事なことである、と説かれた。
しかしながら、例えば、『医学教育 概論』 (現代社白鳳選書)では、そのような知識的診断が誤診、医療過誤を生むとして、病気の生成発展をしっかりと把握しての論理的診断の必要性が説かれる。
それゆえ、知識的診断を説く講師の先生のアタマの中身はいかなるものなのか、『医学教育 概論』で説かれているダメな西洋医学の診断のありかたをそのまま東洋医学、鍼灸に横滑りさせたものなのだろうか、それとも一般的には同じ言語表現とはなっていても、その実態は異なるのだろうか、との興味から、「実際の患者を前にして、疾患名をなるべく多く想起することが大切である、そのことが診断の第一歩である、と説かれましたが、もし患者の事実から妥当な疾患名が何も思い浮かばなかったら、どうすればいいのでしょうか?自身の経験上もその様な場面があるのですが……そしてその場合、患者を前にして知らない、と逃げるわけにはいかないのですが……」と質問した。
それに対する答えは、要約すれば、「それは実際の問題として、あること。そういう場合は、筋肉等の組織に対しての施術、対症療法を行なって、次回までに調べる、と対処するしかない。」ということであった。
それでは、(自身の)未知の病気に対しての治療は、場合によっては長期にわたって組織に対しての施術、対症療法となるということではないのか?その場合、病気によっては手遅れになったり、それ以前の問題として、病気自体が何なのかがわからないのだから、その組織に対しての施術、対症療法すらが、良いのかの否かの判断がつかないのではないのか?との思いもあったが……。
実際には、現代日本社会の鍼灸の一般性としての鍼灸のありかたからすれば、つまり西洋医学プラスαとしての東洋医学=鍼灸である場合がほとんどであるということから、鍼灸の診断の問題と考えれば……また、説かれた診断のありかたを初心者向けと考えると、病気を論理的に診断出来る実力を身につけるまでの間は、いきなり論理的診断の実力が身につくわけは無いのであるから、正常から異常への過程的構造を見て取って診断することが可能となる実力を培う過程を同時並行的に持つという条件では、正しいのでは……と。