東洋医学の実践的理論研究~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論の研究~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

浅田真央選手の「蝶々夫人」に思う〜フィギュアスケートの実体と認識〜

2015-12-27 23:20:50 | 運動・鍛錬・リハビリ
 浅田真央選手の全日本選手権での演目。「どうして!?」と疑問に思う。

 今季、浅田真央選手が一年の休養期間?を経て復帰したので、果たして一年のブランクを克服して見事に復活するのだろうか?と興味津々である。
 テレビ番組では、浅田真央選手も25歳となり「真央ちゃん」から大人の女性へとなっているので、大人の女性のスケートをすべく、復帰直後から「蝶々夫人」という新たな演目に意欲的に取り組んでいる。と紹介していた。
 また一方で、テレビの解説者からは、一年のブランクもさることながら、復帰後の体調を含めての調整が順調にはいっていないというような発言もあった。
 
 その解説者の言のとおりに、昨日、本日の全日本選手権では、ショート、フリーともにジャンプを失敗したが、新たに意欲的に取り組んだ演目での表現力が高く評価され、三位となり、世界選手権の代表枠3名の中に入ったようである。
 これからまだ世界選手権、四大陸選手権等があるので、今後の調整で見事な復活が期待される。とのことであった。

 しかしながら、現在の浅田真央選手の演目、「蝶々夫人」では、今シーズンの見事な復活は難しいのではないかと素人ながらも危惧する。
 どういうことかといえば、「蝶々夫人」という演目は、そこに求められる感情表現は、蝶々夫人の「寂しい、辛い、苦しい、切ない」といったココロであり、それは真剣に表現すればするほどに、気持ちを落ち込ませるものである。と思う。
 そのこと自体は、芸術としては結構なことなのであるが、そういった感情が、そういった感情に真剣に取り組んでいくことが果たして、浅田選手のやろうとしている高度な、世界で何人かしか出来ない3回転半?だかのジャンプにふさわしいものなのだろうか?との疑問がある。認識と実体が大きく乖離しているように思える。

 人間の運動というものは、頭脳が神経を介して行わせるものである以上、筋肉や骨だけの問題では決してあり得ず、その筋肉や骨、そして神経を働かせているところの頭脳の実力ということが大きな問題となるはずである。そして、動物と違って人間の場合は、本能で運動するのではなく、その当人の認識が実体としての神経、筋肉、骨等を働かせるのであるから、その実体の運動に見合った、それにふさわしい認識で行うことが望ましい、自然である。と思う。

 これは、例えばリハビリにおいて、「嫌々」行うのと気分の高揚する音楽をかけて「楽しく意欲的」に行うのとの違いで考えてもらえれば良いと思う。辛い苦しいで嫌々行っては、せっかくのリハビリもたいして効果が無いであろうことは素人でも分かろうというものである。

 浅田選手の演技を見、復帰をかけて真剣に「蝶々夫人」に取り組んでいる浅田真央選手の姿を見て、以上のような論理がアタマに浮かんだので、果たしてこれで大丈夫なのだろうか?との疑問、違和感を持った。ということである。

 これに対して、浅田真央選手は、世界のトップレベルの一流選手であるのだから、一般人のリハビリと同列に考えるべきでは無い!「蝶々夫人」的な、悲しみや辛さを表現する演目でも、見事にジャンプを行う選手は存在する!素人の心配はご無用!との反論があるかもしれ無い。

 確かに、自身の認識とは、あたかも独立なごとくに技を駆使しうるレベル、「動けば即ち技になる。」(植芝盛平)レベルが存在するであろうことは否定しはし無いが、そして自身も、浅田真央選手がシーズン後半には見事に復活してくれることを願うものではあるが、一年のブランクがあり、初の大人の演目に取り組んでいるということを考えると、浅田真央選手が真面目にかつ真剣であるだけに・・・・・・。


 

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