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「股関節重心」と「お灸セルフケア」でコリ・痛みの無い身体に

コリと痛みの無い身体へと自身の身体を変えていくプロセスの記録とお灸セルフケアについて

卒業研究について(2・増補)〜正常から異常を視ることの大事性〜

2017-02-27 05:48:57 | 卒業研究(耳鍼,統計学)
卒業研究について、本当は何をなすべきかが次第次第に分かってきた、と思える。

卒業研究について、「要は対象の構造に分け入ること!現象にとらわれるから分からないのだ!」と分かったと思えたのであるが、その分かりかたが、「現象にとらわれている」ということが、分かってきた、と思える。そもそも「対象の構造に分け入る」ということは、無いものを有るとする、出来る方法ではないということである。

確かに、一流レベルの論理能力があれば、残念ながら自身には無いが、データ=事実が不足していても、アプリオリに対象を解くことは出来るかもしれない。しかしながら、それでは観念論である。唯物論的な立場からは、仮にアプリオリに対象の本質が見て取れたと思えても、それで良しとするのではなく、事実の研鑽を持ってその一般論を再度抽き出してくる必要があると思う。

それゆえ、今回の卒業研究で自身のなすべきことは、そんな観念論的な考察では無くして、まずは、本来ならば統計学的には何をなさねばならなかったのか、そして、どうであったら統計学的に証明ができたといえるのか、を明らかにするということだと思える。

端的には、統計学的に正常な研究のありかたと今回の異常な研究のありかたを二重写しにして視て、その足らざるところをまずは明らかにするということであると思う。そして、そのことが、とりも直さず同じ筋道で考えることである。と思う。

これは東洋哲学的には、孔子の説く、「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり」ということであり、西洋哲学的には、ソクラテスの説く「無知の知」であると……。

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