カエルに似ている…

主にアート作品のあれこれと虹の橋を渡ったE&F Bulldogのおでじとモンちまの事。

仕入れていた

2007年09月11日 | ユニークな作品達
9月11日
仕入れた品々…でのコメントで「ぴぴちゃんかまんといて」のきるさんから山岸涼子の「鬼」が凄いと言われ、これは買わねばなるまいと決断。


山岸 凉子
潮出版社

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↑この詳細を見て頂くと、アマゾンのカスタマレビューで、「これはすでに個人の許容範囲を超えていて、これを読んで山岸涼子と訣別した。」…とまで書かれていて、これを読んでしまった後、ここまで書かせる作品って…と、益々興味がわいてしまったのです。(※しかも!「訣別」の「訣」が、宮沢賢治の「永訣の朝」の「訣」なのだ!)
という事で、前から欲しかった小畑健さんの画集と一緒に「鬼」も買ってしまいました。
画集は小畑さんのイラストメイキングが見たかったのも理由の一つです。(これもアマゾンのカスタマレビューを読んで即決!)下書きから細かいニュアンス、描いている材料とか制作部屋まで覗けたという感じです♪個人的な好みをいえば…もうちょっと足を短く描いて欲しかったでゅす。ボボボーボ・ボーボボのギャランドゥ~も必見でゅす(?)
小畑健画集「blanc et noir」
小畑 健
集英社

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少女漫画と少年漫画のいいところを折中描きしたような、イラストでゅす。
漫画を読んでいる時に「ここは本当はこう描きたかったんだろうな~。」と、絵のチェックしたりする嫌みなクセがあるので、「黒子」を見えないものとするフィルター回路を設けなくていいという意味で、小畑さんの漫画はすんなり読めて楽しいです。
カラーの画集を買った後の誤算…。
「L」の絵はモノクロの方がカッコいい事に気づきました。

「鬼」の話に戻りますが、
読んだ後も、捨てずに済みました。多分、本多劇場で(だったと思います…)二十数年前に観た、加藤健一さんの演じた一人芝居「審判」を観ていたので免疫が多少なりともついていたからだと思います。
「鬼」と、かなりな部分話が重なります。第二次世界大戦中のとある修道院の地下に閉じ込められ、死んだ仲間の人肉を食べて生き延びた兵士の実話です。芝居が終わった後、友人と無口なまま電車に乗り込んだのを覚えています。
そして、一人生き残った兵士が軍事裁判にかけられ、その法廷で「誰が私達を裁けるのか?」の一言に友人と「裁けないよな~…」と頷き合ったのを覚えています。
極限状態の中で、誰もが生きようともがきはじめる…。
そして、人間世界と隔離された地下の中で、ゆっくりとだが確実に「法」が変わり始めるのだ。その法が変わっていく最中…一人の青年だけは『人間の法』を全うすべく自ら命を絶って、仲間に己の肉を提供する。
当時、若かったかぶだよしは、その青年だけが闇の中に差した一筋の神の光(救い)に感じた。でも、今のかぶだよしが思うに、その青年は心ならずも…後の生き残っていた兵士達に「此処は地獄だ。お前達は獣になるのだ!」と心にどす黒い焼印のような傷を残して自分だけさっさと楽になったようにも感じる。しかも彼の死を目の当たりにした兵士達は、その恐怖で死ぬに死ねない状況に追いやられ、生きる事に執着する。そう、神の身元にもゆけず、人間でもなくなってゆくのだ。

「鬼」で、食い扶持減らしの為に多くの子供を穴に捨てた親達。ストーリーの中でも指摘されていたのだが、親達に罪があるとするなら、『穴に落とした”後”を考えなかった』事にあると思う。殺してあげた方が楽だったからだ。でも、時代背景(当時の死生観)と親としての情をリアルに引き寄せて考えれば…言葉が無くなってくる。

とにかく、食べ物を粗末にしてはいけないという事。
自分の責任において、どんなに苦しくとも「考える」事を止めない事。
極限状態にあった人達を、その場(次元)に居なかった者が裁く事は出来ない。
こんな考えが、最後に骨のように残りました。
それから…、ウンコまで食べて栄養源とする茶蕪を見習わなければいけないな…と、チラと考えました。