最終章の吉川英治の章です。
オレは「上杉謙信」しか読んだことありません。
ここでは「宮本武蔵」「新・平家物語」「神州天馬侠」などが紹介されています。
「神州~」は忍者の果心居士らが出るらしいので、読もうかなと思っている作品です。
<内容>
日本の歴史小説を作ったのは、吉川英治さんだと書かれています。それこそ「宮本武蔵」は当時の大ベストセラーだったそうです。現在はそれほど熱狂的に読まれていないようですが、海外ではいまだにものすごい人気のようです。
会田さんは小さい頃「神州」などを熱狂的に読んだそうですが「宮本武蔵」あたりはダメだったそうです。これは歴史学者の梅原猛さんも言っていますが、説教くさいところがあるからだそうです。
これは苦労人・吉川さんが国民作家となったのと関係があるそうです。つまり「努力すればオレのようになれる」という若い人たちへの激励の意味もこめられていたそうです。
これ、ちょっと分かるな~。
オレも、ちょっとたたき上げのところがあるので、若いやつらにがんばってほしくて何か言うと、それが若い人にはうるさく感じてしまうんですよね。親切心なんだけど。
ただ「新・平家物語」は、ちょっと晩年で説教臭もなくなり、しかも非常に大きな意味のある作品になっていると書かれています。興味にある方は、読んでみてください。
オレ的に面白かったのは、吉川さんの初期は全くフィクション的な作品を書いているということ。「神州~」などもそうだし、武蔵もそうらしいです。
オレは司馬さんの「梟の城」に対して「歴史を勉強しろ」と言った印象が強いので、意外な感じがします。
これなぞは、国民作家・吉川さんが、脅威の新人・司馬さんの才能にジェラシーを感じたということなのでしょうか。
そう考えると、海音寺さんの姿勢というのはどういうことなんでしょうか。海音寺さんは司馬さんのデビュー作「梟の城」を直木賞に選びましたし(海音寺さんが強行に主張しなければ取れなかったはず)、司馬さんの本当のデビュー作「ペルシャの幻術師」を「読売なんとか賞」(失念!)にも選んでいます。そして、その後は司馬さんに激励(激賞?)の手紙も送っています。
面白いことに、天才・司馬さんは海音寺さんがいなければ世に出ることがなかったのかもしれませんね。
これは「コブラ」の寺沢武一と手塚治虫の関係に似ています。
そう考えると、海音寺さんは「いいものはいい」という無私の人だったと思います。普通、人間は新しい才能をねたむものだと思いますが。
だからでしょうか、当時フジテレビの海音寺さんの娘さんが、海音寺さんのことを伏せて、ドラマ化の話を持っていったことがあったそうです。断られるのを覚悟で行ったそうですが、司馬さんはすぐに海音寺さんの娘さんだと気づき、快諾したそうです。何とも、心温まる話ですね。
ま、脱線しまくりですが、いつか「宮本武蔵」は絶対読みたいですね。面白いことに、歴史好きのオヤジの本棚に吉川英治さんの本はなかったんですよね。
だから、なんとなく読まずに来ましたが、人生長い(と思うの)で、いろんな人の本を読んで生きたいと思います。
オレは「上杉謙信」しか読んだことありません。
ここでは「宮本武蔵」「新・平家物語」「神州天馬侠」などが紹介されています。
「神州~」は忍者の果心居士らが出るらしいので、読もうかなと思っている作品です。
<内容>
日本の歴史小説を作ったのは、吉川英治さんだと書かれています。それこそ「宮本武蔵」は当時の大ベストセラーだったそうです。現在はそれほど熱狂的に読まれていないようですが、海外ではいまだにものすごい人気のようです。
会田さんは小さい頃「神州」などを熱狂的に読んだそうですが「宮本武蔵」あたりはダメだったそうです。これは歴史学者の梅原猛さんも言っていますが、説教くさいところがあるからだそうです。
これは苦労人・吉川さんが国民作家となったのと関係があるそうです。つまり「努力すればオレのようになれる」という若い人たちへの激励の意味もこめられていたそうです。
これ、ちょっと分かるな~。
オレも、ちょっとたたき上げのところがあるので、若いやつらにがんばってほしくて何か言うと、それが若い人にはうるさく感じてしまうんですよね。親切心なんだけど。
ただ「新・平家物語」は、ちょっと晩年で説教臭もなくなり、しかも非常に大きな意味のある作品になっていると書かれています。興味にある方は、読んでみてください。
オレ的に面白かったのは、吉川さんの初期は全くフィクション的な作品を書いているということ。「神州~」などもそうだし、武蔵もそうらしいです。
オレは司馬さんの「梟の城」に対して「歴史を勉強しろ」と言った印象が強いので、意外な感じがします。
これなぞは、国民作家・吉川さんが、脅威の新人・司馬さんの才能にジェラシーを感じたということなのでしょうか。
そう考えると、海音寺さんの姿勢というのはどういうことなんでしょうか。海音寺さんは司馬さんのデビュー作「梟の城」を直木賞に選びましたし(海音寺さんが強行に主張しなければ取れなかったはず)、司馬さんの本当のデビュー作「ペルシャの幻術師」を「読売なんとか賞」(失念!)にも選んでいます。そして、その後は司馬さんに激励(激賞?)の手紙も送っています。
面白いことに、天才・司馬さんは海音寺さんがいなければ世に出ることがなかったのかもしれませんね。
これは「コブラ」の寺沢武一と手塚治虫の関係に似ています。
そう考えると、海音寺さんは「いいものはいい」という無私の人だったと思います。普通、人間は新しい才能をねたむものだと思いますが。
だからでしょうか、当時フジテレビの海音寺さんの娘さんが、海音寺さんのことを伏せて、ドラマ化の話を持っていったことがあったそうです。断られるのを覚悟で行ったそうですが、司馬さんはすぐに海音寺さんの娘さんだと気づき、快諾したそうです。何とも、心温まる話ですね。
ま、脱線しまくりですが、いつか「宮本武蔵」は絶対読みたいですね。面白いことに、歴史好きのオヤジの本棚に吉川英治さんの本はなかったんですよね。
だから、なんとなく読まずに来ましたが、人生長い(と思うの)で、いろんな人の本を読んで生きたいと思います。