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インテグラな日々

本、音楽、そしてスポーツ…!

佐竹義宣

2009-09-29 01:57:52 | そのほか



近衛龍春さんの「佐竹義宣」を読みました。といっても、けっこう前ですけど。

「佐竹義重」の続編です。副題は相変わらず、内容とは関係ない、大げさなものです(笑)

戦国大名、佐竹義重の息子の義宣の話です。

出だしを我慢すればけっこう面白かったです。あと、最後もちょっと…という感じでしたが…。たぶん、義重で感じた作者の思い入れが強いところがダメだったのかな。

でも☆☆★で、なかなか面白かったです。

佐竹義重

2009-07-14 23:28:41 | そのほか

近衛龍春さんの「佐竹義重」を読みました。常陸の戦国大名で、伊達政宗や北条家と渡り合った武将です。ビッグネームではないものの、その実力は高く評価されている人です。

<感想>☆☆★
政宗好きの自分としては興味深く読ませていただきました。佐竹家から見た伊達家、芦名家、政宗を取り巻く戦国大名など。意外と注意していなかったのは、義重の妻は伊達家の姫君で、義重も伊達家と縁が深かったということ。

政宗に興味がない人にはお薦めできない感じです。聞いたことがないような名前がいっぱいでてきて、誰が誰だが分からなかったりしました。よく分からない個所もありましたし。

<佐竹義重>
政宗の好敵手としては最上義光や蒲生氏郷が有名ですが、芦名盛氏や佐竹義重らも重要なライバルでした。義重は関東では北条家の圧迫に耐え、奥州では有力大名の一人という感じだったと思います。しかも、常陸一国を所有していたかなり大きな大名でした。


<感想2>
「最上義光」の時も感じましたが、ちょっと作者が肩入れしすぎかなと思いました。義重を必要以上に大きく見せようとしている感じが…。上杉謙信や伊達政宗より優れているような描き方をされても説得力がない感じがしました。

特に人取橋の戦いですね。

政宗が数に勝る佐竹ら連合軍を相手に引き分けに持ち込んだ戦いで、彼の武名が大いに上がったことで有名です。

作者の言うとおり、政宗勝利の原因の一つとして佐竹軍の突然の撤退が挙げられます。


作者は、この戦いにしろ、次の久保田の戦いにしろ、義重は政宗を破ることはできたが、伊達家から来た妻が止めるので助けてやった(撤退した)としています。同じ作者の「佐竹義宣」にもその個所はあります。

義重と義宣は勝利宣言をする政宗を何も知らないとあざ笑い、一方で政宗を助けてくれと訴えた妻を心の中で非難します。

その後の久保田の戦いもそう。政宗は江戸時代、人生で一番会心の戦いは義宣を破った久保田の戦いだと時の将軍に自慢したそうです。その場にいた義宣は反論もせず、家に帰ってから一人癇癪を起こす個所があります。いわく、政宗に勝たなかったのは母親に勝つなと言われたからだと。佐竹家編纂の歴史書に記述があるようです。

実際、義重の妻が政宗を助けてほしいと言ったことは史実のようです。

でも、これってどうなんでしょう。

政宗が聞いたら、親子して甘いやつらだと高笑いしそうですね。政宗は勝つ見込みのない人取橋の戦いで勝つために、万策を尽くして義重を撤退せしめた。政宗にしたら思惑通り。

一方、佐竹親子は妻(母親)が勝たないでくれと言ったから、勝たなかった(負けた)と言っており、そんな人たちが英雄、豪傑なわけがない。

政宗だったら、泣き言を言わずに、だれに懇願されようが滅ぼす時に滅ぼしたでしょう。

義重が泣き言を言わずに、妻の頼みを聞くなど自分の情け深いところが弱点だなどと語る場面があれば、人間的にも魅力のある描かれ方になったのかなと(えらそうですが)思ってしまいます。

作者はこの一連のエピソードで佐竹の優位を描こうとしたのでしょうが、読む人が読むと、佐竹親子は戦国大名としてはイマイチだと感じるのではないでしょうか。

また、本書を読んでて義重の人生のハイライトがどこなのかがよく分からず、漫然とした感じもありました。

そのへんが本書を読んでて残念に感じました。

非常に辛口でごめんなさい。

歴史街道2

2009-01-06 23:46:58 | そのほか


久しぶりに歴史街道を買っちゃいました。世の流行が嫌いなへそ曲がりの自分にとって、直江兼続ものには手を出したくなかったのですが、マイ謙信ブームが来ているのでちょっと買ってしまった次第です。

<直江兼続>
正直、戦国時代の人間で一番嫌いな人です。なので、彼が大河ドラマの主人公になったという話を聞いた時、耳を疑っちゃいました。彼のハイライトって、家康を怒らせた手紙を書いただけじゃんと。

<伊達政宗>
ま、嫌いな理由は大きく分けて2つあります。1つは政宗に対する嫌味な態度。自分は政宗が好きなのでいろいろな本を読んできましたが、そこで有名な兼続のエピソードが2つあります。

1つは、秀吉の時代。

政宗が諸大名の肝をつぶそうと、砂金を持参して諸大名に見せびらかすというやつです。有名な話ですね。それに対して兼続は扇子で砂金を受け取ると、すぐに放り投げ、憎まれ口をたたきます。かわいげがないですね。兼続にしたら、政宗の魂胆が分かったのかも知れませんが、例えば片倉小十郎が福島正則に嫌味を言われた時、正則が分からないような返答を笑顔でして、後で正則を悔しがらせたエピソードがあります。まさに大人な知恵者・小十郎と器の小さい子供の兼続といった感じです。

もう1つは家康の時代。

江戸城で兼続を見かけた政宗が声をかけると、無視する兼続。さすがに政宗が怒ると、兼続は政宗が戦場ではいつも背中を見せていたから分からなかったと言ったとか。こんなことを言う人間が名宰相で名参謀というのは納得いかないですね。兼続にしてみれば虫の好かない人物だったのでしょうが、大人物ほど嫌なやつに嫌味な態度を取らないと思います。このへんは彼が仲良かった石田三成にそっくりですね。

<直江状>
そして有名な直江状です。

あれだけ家康を怒らせる手紙を書いて、結局は家康と戦わずに降参。景勝に諭されたと言われても自分が言ったことの責任を取ってほしいと思います。取らなくてもいいですが、そんな人物を大河ドラマの主人公にするってどうなの?と思います。

この雑誌はそのへんはお茶を濁し、三成の出兵が早すぎたから兼続は戦えなかったとありますが、説得力がないですね。

予定通りにいかないのが戦です。すべては家康の思惑通り、三成と兼続が踊らされた感じがします。やはり兼続は最後まで家康と戦うべきだったし、戦わないなら責任を取って切腹すべきではないでしょうか。それが義に生きた謙信の教えだと思います。120万石もあった領土が結果的に30万石に減ってしまったのは、兼続の不徳のいたすところではないでしょうか。

兼続のことがあまり好きではないので、この本を読んでて変な意味で興奮してしまいました。

<真田幸村>
そういえば、真田幸村が義の人・兼続に強く影響を受けたような文章もありました。それだったら、なぜ幸村は兼続にではなく、伊達家の片倉小十郎に自分の娘を預けたのでしょうか。なんか、強引に兼続を持ち上げている文章ばかりと感じたのは自分だけですかね。大河ドラマとタイアップしている影響もあるでしょうが。

原作を読んでいないので分からないですが、大河ドラマになるぐらいですからきっと面白いのでしょうね。ただ、これほど有名な人物を、多くの大家が書こうと思わなかった(書く気が起こらなかった)のはなぜでしょうか。

歴史小説は都合の良い個所を残し、都合の悪い個所を省けばいかようにも作者の意図通りに話を変えられると読んだことがあります。原作は読んでいないので、この本がそうだとは言っていませんが…。

兼続が並の人物ではなかったことも認めます。ただ…。何か、兜の愛の字が一人歩きして、後からイメージが付いてきている気がします。

<最後>
ちなみに自分は兼続の話より、後藤新平と児玉源太郎の話のほうがめちゃめちゃ面白かったです。

おろしや国酔夢譚

2008-09-04 01:07:50 | そのほか


井上靖さんの「おろしや国酔夢譚」を読みました。

いや~面白かったですね。「ジョン万次郎漂流記」にしろ「菜の花の沖」にしろ、江戸時代の漂流物は外れがないですね。

<内容>
これは江戸時代に実在した大黒屋光太夫の話です。

彼は船の船頭で、台風に遭ってアリューシャン列島まで流されます。

光太夫ら16人は何とか日本に戻ろうとしますが、ロシア人にオホーツクに連れて行かれ、さらにはイルクーツク、ヤクーツク、そして当時の首都であるペテルブルグ(モスクワより西)まで行くハメになり、最終的に光太夫ともう一人が日本に戻ってくるという実話を基に描いた小説です。

緒形拳主演で映画にもなっています。いつか、見たいですね。

<感想>
☆☆☆の満点です。

とにかく、すごい話です。

鎖国時代の日本の船乗りが、初めて経験する異国人とその文化。ロシア語をしゃべれない彼らを襲う想像を絶する寒さ。

一人、また一人、アリューシャン列島で、オホーツクで、イルクーツクで仲間が死んでいきます。

ジョン万次郎のように人間力ではいかんともできないロシアの寒さと閉鎖的な国柄が立ちふさがります。

読んでで何度絶望的な思いを抱いたことやら。本当に光太夫は日本に帰ってきたのかと。

ま、ジョン万にしろ、高田屋嘉兵衛にしろ、この光太夫にしろ、当時の船乗りは稀有な人間力を持った人間が多かったようですね。

光太夫がロシアの女帝エカチェリーナに謁見しただけでもすごいことですね。

<感想2>
この本を読んで参考になったのは、与えられた不幸を楽しめるかということです。

この中の登場人物は、年齢に関係なく、自分の不幸を悲観する人間はあっけなく死んでいきます。

ところが、不幸を不幸と思わず、楽しむ人間には未来が開けていきます。

深いっすね。

<余談>
吉村昭さんも「大黒屋光太夫」の小説を発表していますね。この人の小説は読んだことがありませんが、面白いらしいので、ぜひ読んでみたいです。

<余談2>
ま、どうでもいいことですが、

本書のタイトルは
「おろしや」と「国酔夢譚」と分かれると思ってましたが、

「おろしや国」と「酔夢譚」ですね。

読み終わった後に気づきました。

おろしや国はロシア国のことでした。

歴史街道9

2008-08-11 14:34:51 | そのほか



「伊達政宗と片倉小十郎」の文字に引かれて買っちゃいました。

普通に面白く、ふつふつと政宗熱がよみがえってきました。

本書はどちらかというと、政宗を政宗にしたのは小十郎だ的な話が多い感じがしました。

でも、面白かったす。

今月末の休みに、人取橋と摺上原、輝宗が命を落とした川に行きたい気持ちが…。う~ん、どうしよう

最上義光

2008-02-09 03:21:11 | そのほか
中村晃さんの「最上義光 伊達・上杉と死闘を演じた出羽の勇将」を紹介します。

PHP文庫の本で、伊達政宗が大好きな自分としては思わず手が出た本ですね。

ほか、佐竹親子、蒲生氏郷、片倉景綱の本も出てて、全部買いました。

タイトルに「伊達・上杉と戦った」とありますが、そういうシーンはほとんど出てきません。

<内容>
義光が父・義守と骨肉の争いを始めたころから、出羽57万石の太守になるまでの半生が描かれていきます。

甥の伊達政宗との因縁や東北の関が原の戦いといわれた上杉軍の直江兼続との戦い、義光の徳川家康への接近、そして義光とは切っても切れない数々の陰謀が描かれています。

<感想>☆☆★
普通に面白かったですね。

もともと義光に興味を持っていて、彼の小説を読むのも初めてだったので。

いつもは政宗を主人公にした話の中の義光でしたが、今回はその逆で新鮮でした。

個人的には、もっと政宗や義姫との絡みがほしかったかなと。

<感想2>
気になったのは、義光の人間像ですね。作者が山形出身というのもあるのかもしれませんが、義光が人格者で英雄として描かれているところ。

義光の一般的イメージは、陰謀家だと思います。戦国時代では、松永久秀や竜造寺隆信、宇喜多直家らと並んで有名です。

本書では悪謀家ではないとあります。

多くの歴史書は伊達家側の資料のため、負のイメージが付けられたと。

ウィキペディアを見ると、まさに作者と同じことが書かれています。

ただ…、どうなんでしょうか。

本書では最初から最後まで陰謀、だまし討ちのオンパレードですが…。

家臣がかってにだまし討ちしたとか出てきてもね。

何か、義光が人格者で英雄として描こうとしているのは無理がある気がします。

そこは読んでて気になりました。

<義光の人物像>
僕は謀略家だったような気がします。

本書やウィキペディアには奥羽永慶軍記に義光は謀略家ではないようなことが書かれているそうです。

この書物は出羽の人が書いたそうですし、信憑性が疑われる内容も多いそうです。

義光は父と対立し、弟を殺し、周辺地域を謀略で併呑し、最後は息子も謀殺。
この事実だけで十分、謀略家だと思います。

もちろん政宗も弟を殺してます。戦国時代はそういう時代でしょうけど、戦いでの痛快な勝利や颯爽とした行動などがあれば謀略をしてても負のイメージはつかなかったのではないでしょうか。

義光は秀吉や家康が統一した後も、息子を殺していますし、彼の死後、家来や息子たちが謀殺や謀略をしすぎてお家取り潰しにあったわけで、最上家(義光)にそういう家風があったといえるんじゃないでしょうか。

<政宗と義光>
二人の跡取り選びは性格が出てて面白いですね。

政宗の長男は秀宗で、次男は忠宗。

義光の長男は義康で、次男は家親。

政宗の長男の秀宗は秀吉のそばで成長。「秀」は秀吉の秀です。政宗は家康の世になると、秀宗を退け、次男の忠宗を跡取りにします。「忠」は秀忠の忠。

家康は政宗が忠宗に跡を継がせたことを評価し、宙に浮いた秀宗を分家として宇和島に土地を与えるわけです。

一方の義光。

長男・義康を跡取りにしようとしたものの、家康は次男・家親を跡取りにすることを望んだそうです。

家親の「家」は家康の家で、義光が家康に接近するため、家親を家康に預けていたそうです。

義光は家康の意にかなうため、家親に家督を譲ることにします。それも長男・義康を謀略で殺すという方法で。

ここが政宗と義光の違いだと思います。

政宗は堂々と次男を継がせ、家康に恩を売る。義光は姑息な方法で次男に継がせる。

英雄・政宗と謀将・義光の差ではないでしょうか。

とはいえ、政宗の長男の秀宗は妾腹の子で、忠宗は正妻の子で、代えやすかったとは思いますが。

<次は…>
最上義光を描いた、松本清張さんの短編「武将不信」を紹介したいと思います。

信長を撃いた男

2008-01-18 01:28:21 | そのほか


南原幹雄さんの「信長を撃いた男」を紹介します。

南原さんの小説は初めて読みました。主人公は織田信長を狙撃した鉄砲の名人・杉谷善住坊です。彼は甲賀忍者です。

<内容>
甲賀随一の名人で、鉄砲の名手・善住坊は、甲賀の頭領ともいえる六角承禎に呼ばれた。

そこで、織田信長暗殺を命じられる。

善住坊は3度、信長を狙撃するが失敗。

激怒した信長は、蒲生典膳に善住坊生け捕りを命じる…。

<感想>☆☆★
池波さんの「蝶の戦記」を読んで善住坊に興味を抱いていたので、ハードカバーの時から興味を持ってました。

個人的には文庫版まで待ってよかった…と思っております。

ちょっと話にメリハリがなく、漫然と進んでいく感じがしました。

あと、偶然も3回続くと、実力かな、なんて。

一番印象に残っているのは、エロですね。これはものすごい描写です。興味のある方は読んでください(笑)。

ま、おや~とか、あれ~とか思う場面は(けっこう)ありましたが、善住坊が主人公というのがいいですね。

<南原幹雄>
南原さんは独特な文体ですね。まずは会話が現代語というのが多かったです。あと、一文が長いですね。

それと、池波さんともまた違いますが、二人の会話で話が進んでいく場面が多いですね。

<ヒーロー>
仕事がら有名人に話を聞くことがあります。

この本を読んでて二人の人物のことが頭に浮かびました。

(1)某有名高の野球部監督
オレ「初戦はやっぱり緊張しますよね~」

監督「緊張? オレがするわけないだろ!」

オレ「すいません…」

(2)某競技の大物金メダリスト
オレ「決勝で怪我されてましたよね。負けること考えましたか」

メダリスト「負ける? 怪我はあったけど、負けること考えなかったね。だって、オレが一番世界で強いんだから」

※もう一つ。

イチローや野茂、中田英といった一流(だった)選手たちは共通しているところがありますね

3人とも黙して語らず、といったイメージがあります。

凡人のオレなんぞは逆ですね。大したことでもないのに、失敗談でも、成功したかのようにいろんな人にしゃべってしまいます。酔っ払うと、なおさらですね(苦笑)。

え~、何を言おうとしてるか興味を持たれた方は本書を読んでみてください。

なんのこっちゃ!

龍馬 最後の真実

2008-01-12 01:30:52 | そのほか


菊地明さんの「龍馬 最後の真実」を紹介します。これは坂本龍馬にまつわる史実を検証する本です。

1 龍馬誕生
2 土佐脱藩
3 薩長同盟
4 船中八策
5 龍馬暗殺

の5章から成っています。

<感想>☆☆
やはり、こういう本は面白いですね。それほど龍馬について知っているわではありませんが、先月、長崎で亀山社中跡や龍馬像を見てきたので非常に興味をそそられました。

<感想2>
いわゆる史実というものを、いろいろ検証しています。

たとえば…

※龍馬が脱藩するとき、刀を与えたのは誰か。

昔は乙女さん。「竜馬がゆく」からお栄さん。

※竜馬暗殺者は誰だ…
新撰組なのか、見廻組なのか…。

<龍馬暗殺>
やはり、ここには引き付けられました。というのも、見廻組の人間がやったと言っているのに、いまだに誰がやったか判然としない…といわれる。これって不思議だと思っていました。

菊地さんは、やはり自供している見廻組の犯行と言っています。で、なぜいまだに新撰組の犯行とも言われるのかを検証されています。非常に説得力のある説でした。

簡単に言うと、最初から新撰組と決め付け、さまざまな証拠を強引に結びつけたと言っています。本書を読む限り、菊地さんの説に納得です。興味のある方は読んでみてください。

<感想3>
歴史って面白いですね。たかだか、何百年前の出来事なのに真実が分からない…。しかも、当事者たちが違う事実を書面に書き残す…。そこには、それぞれの思惑や記憶違いがある…。う~ん、深いですね~。

<あとがき>
龍馬は、いつしか虚飾に包まれたとあります。これは、司馬さんの「竜馬がゆく」の前のことを言っています。

龍馬が明治政府の役職を断ったという話や、日露戦争時に皇后の夢に出てきたという話は、歴史家の虚飾や、不遇を囲った旧土佐藩の人間による作り話の可能性があるそうです。

ただ、伝えられる龍馬像をすべて虚飾として否定することはできないとあります。
虚は虚として、実は実として見ない限り、龍馬の見ていたものは見えないそうです。

そのために、伝説が崩れる場合もあり、新たな一面が見つかる場合もある。筆者はそれでも最終的な龍馬像に接したかったと言っています。

<坂本龍馬>
本当は「龍馬」ですね。司馬さんは「竜馬」としています。これはフィクション色が強いから字を変えたと何かで読んだことがあります。

しかし、不思議な男ですね。一介の浪人なのに、松平春嶽に会ったり、薩長の巨頭の西郷や桂と対等に渡り合ったり。郷士の身分で、土佐の後藤や板垣にも臆することがなかったわけですから。

本当に器が大きいというか、人間的魅力にあふれています。そんな竜馬も33歳で亡くなるんですね。それも、明確な理由もあまり見出せない理由で暗殺されるわけですから。歴史の皮肉というべきでしょうか。

最後に、この龍馬の名言はいいですね。彼の生き方そのものですね。

「世の人は我を何とも言わば言へ 我が為すことは我のみぞ知る」

歴史小説の読み方5

2008-01-06 00:52:43 | そのほか
最終章の吉川英治の章です。

オレは「上杉謙信」しか読んだことありません。

ここでは「宮本武蔵」「新・平家物語」「神州天馬侠」などが紹介されています。
「神州~」は忍者の果心居士らが出るらしいので、読もうかなと思っている作品です。

<内容>
日本の歴史小説を作ったのは、吉川英治さんだと書かれています。それこそ「宮本武蔵」は当時の大ベストセラーだったそうです。現在はそれほど熱狂的に読まれていないようですが、海外ではいまだにものすごい人気のようです。

会田さんは小さい頃「神州」などを熱狂的に読んだそうですが「宮本武蔵」あたりはダメだったそうです。これは歴史学者の梅原猛さんも言っていますが、説教くさいところがあるからだそうです。

これは苦労人・吉川さんが国民作家となったのと関係があるそうです。つまり「努力すればオレのようになれる」という若い人たちへの激励の意味もこめられていたそうです。

これ、ちょっと分かるな~。

オレも、ちょっとたたき上げのところがあるので、若いやつらにがんばってほしくて何か言うと、それが若い人にはうるさく感じてしまうんですよね。親切心なんだけど。

ただ「新・平家物語」は、ちょっと晩年で説教臭もなくなり、しかも非常に大きな意味のある作品になっていると書かれています。興味にある方は、読んでみてください。

オレ的に面白かったのは、吉川さんの初期は全くフィクション的な作品を書いているということ。「神州~」などもそうだし、武蔵もそうらしいです。

オレは司馬さんの「梟の城」に対して「歴史を勉強しろ」と言った印象が強いので、意外な感じがします。

これなぞは、国民作家・吉川さんが、脅威の新人・司馬さんの才能にジェラシーを感じたということなのでしょうか。

そう考えると、海音寺さんの姿勢というのはどういうことなんでしょうか。海音寺さんは司馬さんのデビュー作「梟の城」を直木賞に選びましたし(海音寺さんが強行に主張しなければ取れなかったはず)、司馬さんの本当のデビュー作「ペルシャの幻術師」を「読売なんとか賞」(失念!)にも選んでいます。そして、その後は司馬さんに激励(激賞?)の手紙も送っています。

面白いことに、天才・司馬さんは海音寺さんがいなければ世に出ることがなかったのかもしれませんね。

これは「コブラ」の寺沢武一と手塚治虫の関係に似ています。

そう考えると、海音寺さんは「いいものはいい」という無私の人だったと思います。普通、人間は新しい才能をねたむものだと思いますが。

だからでしょうか、当時フジテレビの海音寺さんの娘さんが、海音寺さんのことを伏せて、ドラマ化の話を持っていったことがあったそうです。断られるのを覚悟で行ったそうですが、司馬さんはすぐに海音寺さんの娘さんだと気づき、快諾したそうです。何とも、心温まる話ですね。

ま、脱線しまくりですが、いつか「宮本武蔵」は絶対読みたいですね。面白いことに、歴史好きのオヤジの本棚に吉川英治さんの本はなかったんですよね。

だから、なんとなく読まずに来ましたが、人生長い(と思うの)で、いろんな人の本を読んで生きたいと思います。