池波さんの忍者ものをすべて読んだので総評します。
もちろん、オレの個人的な意見です。反論、異論いっぱいあると思いますが、ご勘弁ください。
<もともと>
…は、司馬さんの忍者ものが好きで、池波さんの忍者ものを読み始めました。だから、どうしても違和感が出てしまいました。
過去、それで挫折しています。ですので、今回一気に読んだのは固定観念なしに…(つまり、司馬忍者ものを一切頭から消して)読みました。
(池波さんには非常に失礼なことをしたと思います。ま、逆に池波忍者の延長で、司馬忍者を読んだ人もいるんじゃないでしょうか)
断っておきますが、司馬さんの忍者ものが正しいわけではありません。司馬さんの話は司馬色が強い、やはりオリジナリティーが強い話であるわけです。
<感想>
何度も書いてきましたが、もちろんオレ個人の意見ですが、
やはり主人公の忍者(主人公以外も)が当たり前のように甲賀を裏切ることに非常に違和感を覚えます。
そりゃー、中には伊賀や甲賀を裏切る忍者はいたでしょう。
ただ、池波さんの忍者は、ほとんど裏切る。それを「忍者とて、熱い血は流れてる。本当(昔の)の忍びはその血に従うのが常だ」などと、裏切りを肯定するコメントをよく忍びに語らせます。
オレは、このコメントもダメでした。なぜなら、裏切るスパイなんて2流だし、(二流のスパイの話なんて読みたくない→「じゃ、読むなよ!」と言われそうですが)
裏切るスパイをたくさん輩出するなら、スパイ機関として成り立たないと思います。
しかも読んでる読者(オレだけ…)に、話の筋そっちのけで「今回は裏切らないでくれ…」と思わせたらダメだと思うんですよね。
あと、もう一つ気になったのは「偶然」の多さ。
とにかく、偶然が多い。
一つは主人公が窮地に陥る場面。これはどの話でも必ずある場面です。司馬忍者は①何なく敵の忍びを破る②敵の忍びの襲撃をかわすが、重傷を負う。という二つのパターンが主です。
池波さんは「必ず、誰かが偶然助ける」の一つです。読んでて、主人公が敵に囲まれると「あ~、また誰かが偶然助けるんだろうな」と思って読んでました。中には、そうでないものもありました。しかし、それは偶然地震が起きた、というのものでした。
もう一つは、偶然敵と出会う、こと。こんな広い世の中、偶然出会わないでしょ。たとえば、相手を探索して網をかけて、出くわすなら分かりますが。とにかく、偶然出会うことが多すぎる。
池波さんは、忍者もので気を使ったのはリアリティと言っていますが、ある意味リアリティがないところがオレはダメでした。もちろん、オレの個人的な意見ですけど。
さらに、何度も語っていますが、登場人物や設定が話しによって違うところですね。
これは、忍者ものに限ったことではありませんけど、読んで混乱しました。
池波さんの忍者小説が司馬さんと違って、テレビドラマや映画になってないのも分かる気がします。池波さんの真骨頂は「鬼平」や「剣客」「梅安」のような作風にある気がします。
ただ、何度も言いますが、これはオレの個人的な意見であって、皆さんは自分で読んで確かめてほしいですね。オレとは逆の意見の人の方が多いかもしれませんし。