陶板です。
かって加古川市の画廊で、350点以上の数を並べた、SMの大きさだけの「サムホール展」を画廊一杯に並べて貰ったことがありました。
その時には、あらゆる素材の作品で350点を作り上げたのでした。
私の性分なのでしょうね。その時にあるだけの作品を一気に並べる癖は。
と言うより私自身の整理のつかない厄介な特性(良く言えば)が、どんな展覧会を開いて頂いても治らないのです。 焦点が絞れなくて、自分のすべてを見て頂きたくなるような「企画」になってしまいます。 調整が出来るでしょうか?
そんな課題を持ちながら昨夜は、ご苦労さん会を開催して頂きました。 ずっと以前に出かけたきりの「三玄」さんの料理は、確か上流の料理です。 座敷もシンプルで主役の客が落ち着きます。 6人だけのご馳走の会の席で、その陶板を並べて見ました。
「皿」にでも使えそうですので、食器にでもと提案も加えて1枚ずつ持ち帰って頂きました。
右から2番目のものは、会が始まる直前になって入れ替えてしまったものです。
陶板と多分同じ時期のタブローです。
なんとなく似通っています。
50号の大きさに成ると、「寓話」をたくさん盛り込むことが出来ます。
引退ののちのペースがなかなか掴めませんね。 参加の皆さんに感謝のみです。
「淋しがり屋のあなたには、この環境を乗り切るのは大変ですね」との言葉が身に沁みます。
「ストレス」が解放された「いま」が降りかかってきます。 福岡伸一が「アロスタシス」と言う状況を解説していました。今発売の「アエラ」で。 その文では、こんな状況の場合は「ストレス」とは言わないのがこの頃の定説になりつつあるというのです。 つまり、「ストレス」は今、行き詰っている事象に直接壁を感じた結果起きるのですが、「ストレス」を覚える事象は瞬時に起きる精神負担に対応できなくて出るのだけれど、「アロスタシス」は、その事象が「内的要因」となって、さらに身体が反応する長期に亘って積み上げられる作用のことだというのです。 つまり、 直面した「切羽づまった事象」時から何とか抜けようとした時の次の「プレッシャー」から出る現象だというのです。 だからしばらく時間が必要だなとは私の解釈です。 そのうち流れが自然に出て来るでしょう。 未理解のまま、それでもヒントを貰った福岡さんにも感謝です。 うまく乗り切れるように自重します。
奇しくもご一緒した人たちの「淋しがり屋やからな・・」とは、的確な指摘です。