加東市の中心街で代々「写真館」を営んでいる彼は、何代目に成るか分からない。
彼だって70代に成っているのです。 「 小生のブログ収録を3年分ほど製本して見ると1200ページほどに成って仕舞った」 3分冊を、丹念に見ながら、その制作多作・多岐活動ぶりに感心してくれる。 当然自分の活動期の想い出とともに…。 彼が「見て貰おうかな?と言って、引っ張り出してきた四つ切り大のパネルは、「人物を配した空間づくり」は、空間に空気をたっぷり蓄えた、他の写真家と明らかに世界が異なる。
堀内初太郎・岩宮武二・アラーキーなども何度も一緒だったようでもある。 そういえば、かってアラーキーは、この北播の地を何度も訪れているだけではなく、小野市在住の美崎さん等のところへは、いまでもやって来るのだと言います。 思い出せなかったハナヤ官兵衛さんの名前。そういえば、画家の貝原六一・日本画の大橋良三先生などと、西脇の「朝暘館」で数人で縁戚を持ったこともありましたね。 小生は、特別その頃は若かった記憶があります。と言うのも、誰もがすでに故人に成られているのですから…。 僭越ですが、アラーキーさんとは、「サムホール展」の審査をやらせて頂いて、「お好み焼き」を頬張りながら、2日間ご一緒したことがありました。 彼は「生活そのものが、ポーズで成り立っている」とさえ思うほど磊落な人の良さに感銘すら受けたのです。
隣町の加東市には、私の若い頃のサラリーマンの頃の事業所の出先があって、中尾さんとは、しきりに出会っていたことがありましたね。
「花屋敷」場所を変えて珈琲を飲みながら、中、想い出話や、現在の北播地方の文化・芸術の沈滞ぶり?に、「既に、私たちが、取り残されているのよ」と私が言うと、そうか
もしれないなと顔を曇らせたのです。 でも、彼は、加東市美術教会の事務局長を今でも努めているのです。
さて、ほんのちょっと描き込んだDon Quixoteは、そのたびに表情を変えていっているようです。
じがぞうのような「どんきほーて」であったり、 ちょっとしゃれた側面のある四囲の様子が垣間見えたり。 画面の右の4半分は、一寸お気に入りの表情に成ってきました。
午前中は、どれみこども園を経営されている「真言宗・仲正院」の書院で、ご夫妻と、私事についてお話してきたばかりでした。 矢張り、寺院の室内は、どの部屋に入っても、
日常と異なる「空気が漂っています」。 こんな空間でじっくり、瞑想にでも直垂れと、ふと思うほど・・・・。
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