海を往くことは常に水平線を観ていることになります。
水際を観ることでもあるのです。
絵を描く時には、遠くの風景を観るときに木、この「水平線」と「水際」が「目の高さ」になるのです。
かって瀬戸内海航路には、客船が神戸港から別府温泉まで、毎日2便が往復していました。
何度も乗船して、その都度1往復毎に50枚位のスケッチが出来上がったものです。
瀬戸内海は、島々が、次から次に形を変えながら現れてきます。
地図を確かめながら、甲板に腰を据えて描き繋いで行くうちに、この「水平線」そのものですら表情が違うことに気付きます。
中国の要人が山陽新幹線から「瀬戸内海」を観て、「日本にも大きな川があるじゃないか?」
と言ったと云いますが、大陸では「河レベル」の瀬戸内海でも、生活の匂う島々が満ちています。
それに「海面」「そら」の、極単調でいて表情を持っている広い空間を描かなければならないのです。
水平線を描き続けながら、いろんな表現が身について行ったようにも思うのです。
「対象」と「私」の間の「空気」「匂い」「見えない雰囲気」を「描いているのですよ」などと気障なことを云っていたことも想い起しています。 今でも同じように考えています。
「見えないものを描ききりたい」とも。
昨日の「花」6号1点を、付録しました。
ガッシュ、コンテ、アクリルなどで。
20分位の即興作品です。