気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘76)5月14日(金) & 20日(木)

2023年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム
5/14(金)   美崎荘・紀行の幕間
午後二時。「第八新栄丸」は三泊の日程を終えて少々疲れ気味の私と洋子を乗せ、石垣島へと向かった。五時三十分。久し振りと感じられる波止場に船は着いた。今夜は竹富へと云う案も既に最後の船便は無く、「明日にしよう」と云う事になった。今夜はもう一度波照間島を散歩しながら、ゆっくりと眠る事にしよう。洋子も多分そうするだろう。二人の八重山紀行は今、その第一歩を踏み出したばかり。明日からは暫く竹富とこの石垣で…。

5/20(木)与那国島  サーターアンダギーと日章旗
午前八時。荒れる外海を、この八重山では比較的大きな鉄の船が、まるで大きな波のうねりを掻き分け泳いでいる…といった様であった。

六時間に渡る航海を終えて、無事与那国に着いたのは午後二時であった。波照間の時と比べると乗船客は圧倒的に多いが、その多くは間違い無く船酔いしていた。洋子も然り。この辺はいわゆる外海で流れも速く波立つ事が多いのだ。しかし私は不思議な事にまともな状態でいた。例により波止場へ迎えに来ていたマイクロバスに乗り、今回は泉屋のオヤジさんに紹介してもらった「なかたけ荘」という民宿に宿をとった。
なかたけ荘、なる程民宿らしい建物で、民家そのものといった香りがしている。しかし部屋に通されて驚いたのは、奥の壁一面に、1.5m〜2mは有るかと思える大きな日の丸の旗が画鋲で止められ飾って(?)あったのである。その驚きは、この八重山・沖縄で…と云う意外性に基づいていた。この冲縄を考えながらその日の丸を見ていたら、何故か急に寒気がして気持ちが悪くなってきた。今夜の日の丸は恐怖である。洋子と話し合いながらも、私の考え過ぎの所産である事は解っていたが、どう思ってみても気持ちの良いものではなかつた。

だからといって悪い事ばかりではない。ここに着いてから程無くして民宿のおばちゃんが出してくれた、琉球菓子の味わいというものが有った。その名をサーターアンダギーという。小麦粉・卵・黒糖・そして牛乳とを練っておいて(恐らくベーキングパウダーの類いも入っているだろう)油で揚げた琉球風ダンゴ型ドーナツとでも言えば、誰にでも想像に易しいと思う。そしてこれがまた本当に美味しいのである。聞くところに由ればこのサーターアンダギーは、琉球の一般庶民に古くから伝わるお菓子であるそうだ。
そのサーターアンダギーを食べお茶を飲んでから、近くの散歩に出掛けた。ここでは波照間で感じたあの奇妙な感じは無かった。やはりあれは私の錯覚であったのだろうか? しかしまた、ここにはここの雰囲気が漂っている。八重山、そして冲縄と一口に言ってきたけれど、島の一つ一つに独自の空気が流れている。それは多分、いや、きっと私などがまだまだ勉強不足のこの冲縄の歴史、とりわけ文化史を紐解かねば理解し難いものなのであろう。まあ、その問題に付いては後日への宿題にしておこう。

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