気の向くままに junne

不本意な時代の流れに迎合せず、
都合に合わせて阿らない生き方を善しとし
その様な人生を追及しています

(‘76)5月22日 (土) 私をおいて先に…

2023年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム
さて、うなされ続けた一夜明けての朝。二日酔いの為洋子は起きられず、朝食をとる事さえもおぼつかないまま昼近く迄布団の中で時を過ごす。石垣へ帰る船に乗れなくなり、次の出航日(26日)迄このまま連泊する事となった。と云うのも石垣⇔与那国は4日に1便の就航だからだ。
「私をおいて先に帰っていいのよ…」
とは言うけれど、もう既に船は沖の遥か彼方。『今更何を言ってるの、見知らぬ土地に一人置き去りには出来ないでしょ!』とは思ったけれど、本気ではなかった。だから、飛行機と云う手段を知っていたけど口にはしなかった。

何とか洋子が起き上がれる様になった昼下がりの事、散歩を兼ねて「名物」と言われている「与那国パン」を買い求めに出てそれを昼食とした。特別美味しいというわけではなかったし、どうしてそれが「名物」と言われているのか二人には解らなかった。もっとも誰から聞いた話しかも覚えてはいないが…。
ともかく意外と早く元気になった洋子を見てやれやれ…と思いながら、26日迄の予定を立てて手近な所から足を運ぶ事にした。


クブラバリ
久部良バリ。暗い人頭税時代を物語る跡。幅凡そ1〜2m、深さ2m以上。食糧難の頃、この割れ目を妊婦に無理矢理跳ばさせた。当然跳び越える事などは出来ず子供は、或いは母子共に…。つまりは間引きの為の場所だった所。

どなん
渡難…と書く。ここは外海であり昔の船では渡航が困難であった為、その様に呼ばれていた。なお、この与那国島と石垣島は正しくは八重山町に含まれてはいない。八重山とは竹富島・小浜島・西表島・黒島・新城島の上地・下地・波照間島・鳩間島の八つの島影が重なって見えた事から八重山(群島)と呼ばれる様になった。
与那国島と波照間島は其々日本の最西端と最南端であるけれど、波照間の場合は《人が居住している島の》最南端の意です。それからこの二島に共通しているのは、琉球王朝時代、共に八丈島や佐渡などと同様に《流刑》の島であったという事。が、当然元々の島民の方が多かったのは言わずもがなです。
それから『竹富町役場』は石垣島に在り石垣市に間借りしている形態で、同様の役場は日本では他に一箇所だけらしいです。
歴史って奥が深いものですね。




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