枇杷

枇杷から今度は温州みかんを
無農薬で育てています。
アゲハ蝶を歓迎しながら
あおむしさんを見守っています。

405 癌を宣告された日から1年過ぎて・・・回想・・・1 &昨年の冬・・回想・・2

2016年10月21日 | 癒しの時間

平成28年 2016/10/21 金曜日

平成29年 2017/12/24 日曜日 雨・・・再投稿

節約志向でのお正月の為のお花達・・・数年前の写真 ↑

 

(平成27年)2015/10/19

昨年の10月19日に我が家の主人は

すい臓がんの末期の宣告を受けた。

 

緩和ケア内科での治療を選択して毎週

通院治療を年末までしていた。

 

脳梗塞の薬も通院して服用しながら。。。

 

いよいよ体がしんどくなり。どうにか

自分の足で歩ける状態の時期・・。

 

1月4日には入院を希望した。もう家には

帰れない事をお互いに感じながらの入院!。

 

 

昨年・・。そして今年の19日・・。

昨年は自宅で小学5年生の孫と将棋を

楽しんでいた。今年の19日は、特に

気にしなくて孫たちと私は外食をした。

 

数日前に四国の高松へお墓参りに行った。

主人の実家にて、会話をしていても・・。

(彼があの日入院をしてから・・・。)

 

(56日後に亡くなって・・お葬式も

49日の法要も終えて。永代供養をして・・。

初盆が過ぎて・・。初彼岸の永代供養・・。

も過ぎた今も。)時々はふと悲しくはなるけれど。

 

まだまだ”彼が亡くなった事の実感が無い!のである”。

 

癒しのウサギ君 

 

日々の生活の中で時々は、いろんな出来事を

思い出しては感謝をしながら。生きてゆく。

 

ただそれだけ・・。時々はお寺に行き、お参りを

する。庭にお花を植えて空から見てもらう。

 

ただそれだけ。仏壇に手を合わせて拝む等々。

ただそれだけ・・。

 

お寺に行きたい時に出掛けて。彼が好きだった

食べ物を少しお供えする。ただそれだけ・・。

 

思い出すと悲しくもなる事・・。それが・・・

彼がもうここには”いない”!という現実!

だから・・・実感がないと錯覚しているだけで

実際は実感をしているのでしよう・・。???。

 

(彼が昨年の暮れにいよいよ入院をすると決めた頃。。

には、食事はあまり食べれない状態でした。)

 

2014/12/31 の写真 ↑ 年越しそばではなく なぜか・・

彼が大好きなステーキのおご馳走を作っていました。

 

かれが・・まさか・・がんで殆ど何にも食べれなく

なるとは?夢にも思わなかった日々でありました。

 

 

枇杷:回想文 1

2017/12/24日 回想 2 再投稿

今朝も仏壇の前でお経を唱えた。

*その後で ふと 彼がまだ少しは元気であった頃に・・。

関市の善光寺へ娘と2歳の孫と4人でお参りに行った!

その時の山登りの様子を日記に書いておいた。

 

*小さな体で孫は自力でドンどん山を登って行った事を・・。

ノートに書いて置いた。その時の孫の様子を詩にした。

 

*読んでいるうちになぜか?涙が出てきた。この涙が

彼の死を思い出させるのでしょうか?

そして・・夜はめずらしく”しとしと”と延々と続く雨の音。

 

秋はなぜか寂しい気分になった事もあったのだけれども・・。

毎日を楽しく過ごせるようにしていた。やはり・・。

 

死というものを体で想い出で涙と共に共感してゆく事が

癒しになるのでしょうか?。

 

入院前もなくなる1週間前にも彼はこのように話していた。

自分は人生を精一杯、生きた!から悔いはない!と。

喋れる時に・・言っていた!。確かにそのとうりだとも感じた!

 

孫のお世話や自分たちの子供たちの事をいつも考えながら

生き方について背中で言葉でさり気なく伝えていた。

 

最近までは悲しい!とは思いたくないから・・。人の命は

生まれた時から決まっている・だからその命=寿命=運命

そのように感じながら日々。お互いにもしも癌などに

侵されても”さりげなく普段と変わらずにいきてゆこう~。と。

 

話す事もあった。だから・・。自分の居場所を最後まで

自分の判断で実行して最後には”緩和病棟で死と静かに向き合って

”意識がだんだん薄れていく前の10時間”ゆっくりと

この現世の場所からご先祖様たちが待っている”あの世”へと・・。

旅立っていかれた事。こんな素晴らしい死に方はできないかも?

 

とも。感じたあの日でありました。最後のさいごまで・・。

夜勤の看護師さんにも。挨拶をして少しの笑顔で手をあげて

今夜もよろしく?というように・・。無言でご挨拶。

 

それがお世話になっていた方がたへの最期の動作。

いままで自分の両親やまた祖父母そして仕事で体験した”死”。

 

死とは生から始まること。終焉を静かにさりげなく・・。

彼のお母様もやはり100歳と1週間の命で静かに

眠るように・・彼の傍で永遠の旅立ちをされたこと・・。

 

いまも時々は微笑んでいる様でもあり・・。また時には

私が淋しく思わないから・・。あきれてやや怒ってもいるような

表情に見える”遺影・・・。自分の心の持ち方により

そのように日々感じている。楽しければいいんだよ!

あるときに株の投資の事を話した。入院中に。。

 

むちゃをしないで・・。楽しめばいい。の優しい言葉が

残された私に対しての最期の言葉になった!

 

いつも自分で彼は”確定申告”をきちんとやっていた。

いわれるままに書類をその入院先に持参して・・。

かれが計算していたのを代筆して。。書類を提出した。

ほっとしたのか??その後2週間以内に律儀なご主人様は

28年の2月28日には旅立って行ってしまった!

 

私の心の中はと言えば恥ずかしい事に・・。なんと。。

できるならば・・3月1日までは生きていて欲しかった!

その1日がどういういみであるのかは??いえないのでは

あるけれども。自分がもしも旅立つ時には月末ではなく・・。

1日に旅立ちたいとも願っている。 願望!!

 

よっちゃん!いままでありがとう!!と。いいながら

明日もあさっても希望を抱いて貴方のできなかった

孫たちの成長を見守って日々を楽しくいきてゆきます!

☆☆より

再投稿 29年12月24日 雨はまだ降り続いています。。。

  

一緒に歩いたあの可児のバラ園・・。

いろんな場所での思い出を回想しながら

また悲しくなったら・・。お手紙を書きますね。

枇杷

 


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404 にんにくをプランターで育ててみようかな?

2016年10月07日 | 日々のできごと

2016/10/07 金曜日

数年前から黒にんにくを作って時々は食べている。

今度は3回目の挑戦で”食用のにんにく”で作る事にした。

種を買う? かわずに、あるもので間に合わせる事に。

 

黒にんにくが今回は保温期間が少し長かったので

思うような味にできなかった。少し苦み?とか

焦げかかった感じであった。そのため。。

暫くは作る気分にはなれなかった。ので・・。

 

残っていた1Kgのにんにくの皮をむいて・・。

3日間放置。その間に植える場所の土を耕す。?。

 

と、いっても適当に・・。まずは苦土石灰を土に

少しパラパラ・・振りかけて・・土と混ぜた。

 

 

翌日には化成肥料を少しパラパラと、土の上に

まいた。それから野菜の培養土の土をかけた。

 

本来ならば土とか肥料は1~2週間前に準備して

土が馴染んでから、種を蒔いたり、球根を植えたり・・。

するのが適切な方法ではあるのですが・・。

 

最近はなんでも適当な方法で行っている。それで

上手く栽培できるのか??。であるのですが。

 

庭の蒔いたオクラもどうにか収穫もできたし。

楽しめた。何にも庭に植えないよりはましかも?。

 

そんな風に気楽に庭の手入れも人生も気楽に

これからは生きてゆく方がいいように思う。

 

さあ、今日こそは、その”ひとかけら!”の

にんにくを植えてみよう。雨が降って土も馴染んだ?。

 

にんにくの先端にそのうち芽がでてくる。にんにくが

まだ元気なうちに植えることにした。庭の手入れの

草抜き。ゴーヤはもうとっくに蔓はない。根っこが

少しあった。山芋の蔓も伸びて少しだけ”むかご”が

ついていた。1昨年も昨年も育てていたけれど。

 

やっぱり家族が病気であったりで、なにかと、

忙しかったから、もう最低限の事しかできなかった。

山芋を掘る元気もなかった。すべてほったらかし??。

 

暫くはそんな時期もあった。それでも。ただ忘れては

いけないのは、お花を植えておくこと。最低限の

”心のゆとり”少しの草、ぼうぼう、も、枇杷の果実の

出来損ないばかりも。環境の変化でどうしょうもない。

 

その見るも哀れな果実の虫食い状態の写真は記念に?

残してある。もう枇杷の木は切り倒そうかなぁ・・。

でも9月の終わり頃には枇杷の木の先端に早々と

花芽が付いていた。さて?どうしたらいいのか迷う日々。

 

もう少し後、数年間は様子をみるかも。切るのは

私の決断しだいであるけれど。一人での庭の管理は

ちょっぴりこたえる。庭のない生活を考えたりも

する。この頃なのである。それにしても”日々草”は

台風にも負けずに倒れながらもお花は美しく咲いて

 

私達にエネルギーを与えてくれている。感謝である。

 

 

昨日は、永代供養のお寺に行ってきた。モミジ饅頭を

お供えした。早、7か月は過ぎている。彼が病気に

なってからは、灯がだんだん消えてゆくような感じ

であった。食事もあまり食べれなかった!

もう・・。身体も自由に動けなくなり・・。

食べれなくなったら・・。楽しみもないから・・。

 

やっぱり、人間は最後の生き方を普段からどのように

生きてゆきたいのか❓死生観と、いう難しい事も

年と共に考えながら遺言として残してゆく事も。

大切であるように感じる。

 

最近のいろんな事件などを聞いたりすると、

そんな風に思ったりもする。話題も時々はでてくる。

 

それでも元気な間は日々楽しみながら自分が納得できる

生活を・・。いろんな方々と交流を持ちながら

普段の生活の中で喜びをかみしめながら生きていきたい。

枇杷:404


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403 雨上がり・・・早朝からの散歩を始める・・・生きてゆく支えになる”ブログ”。

2016年10月01日 | 日記1

2016/10/01 土曜日

25年度の ブログ 投稿写真

 

節約志向の正月の花 ”彼の” 初彼岸での供養に・・・

ブログで 彼に感謝の言葉を捧げます。

 

  

 

早朝の散歩をしていると、近くの小学校では

校庭に溜まっている水を取り除く作業を

先生方はされていた。ご苦労様!と思った。

 

そうなんですね。今日は小学校の運動会。

卓球の仲間の子供さんも参加とか。

雨が上がって・・。元気な子供達の

歓声が今日は聞こえてくるのかも。

 

我が家の孫たちの学校は少し離れた場所の

マンモス校?。町の中心だから多いのである。

 

今住んでる地域の子供達のクラスは学年では

2クラスらしい。少なくなっている。

 

反対に高齢者が多い地域になっている。

自分もそのうちに足腰が弱ってくると・・。

これからどうなるのか・・。少しは

不安もあるのである。生き方・・。

生活習慣を改めながら自立できる生活を

これからも維持できるように

心掛けようと努力を!と、自分に伝える。

 

今日からはインターネットを契約していた

名義人が彼の名前から私の名前に変わった。

彼にお世話のなっていた日々を回想しながら・。

 

時々は、ブログの(投稿を初めた頃を思い出し)

再投稿&見直しをする作業を始めている。

 

なにしろ文章が長く書き過ぎていた。

だから少しずつは見直している。

 

もう今は”この世にはいない彼の事”をふと

思い出しながらの投稿です。ので・・

時々は。読みずらい文章もあるかも?。

ですが・・。回想文では文字の色を変えて・・。

 

この作業は想い出の日記として残しておきたい。

そんな思いからあと暫くの間はインターネットを

再契約してでも・・。日々の日課?又は週間の

予定の中に加えて生活の一部としようと思いました。

 

彼の遺言?では”ブログは辞めた方がいいよ!”でした。

でも、ブログを今まで投稿することで・・。

いろんな日々の生活の記録が残されている事。

見直した時に、彼が病気になる前の日々の生活。

 

そして病気になって・・。その後・・死に向かって

歩んでいた、日々のさり気ない日常の生活。

どんな時にも冷静に穏やかに忍耐強く・・。

相手を気遣いながら生きていた彼の行動。

等を、もう暫くブログに残しておきたい。

そのことが”自分の為になる、癒しになる”、

それが日々、の励みになる事。それは

生きている為の支えにもなるように感じる事。

 

この ”入鹿池” には 癌を宣告されてから

暫くの間・・ゆっくりでも歩行ができていた頃。

娘と。お弁当をつくってドライブにきた場所

でした。彼はお墓も骨もいらない!とかいう人でした。

 

なので・・永代供養をお寺でお願いをしました。

少しずつですがこの”永代供養”についても

参考になればと、思い投稿してゆきます。

 

お墓がない!でも納骨堂がある場所の

お寺にお参りには行ける。でもなにか物足りない。

 

そこで”この場所にくると、彼の姿が見える?”

そんな気がして。時にはその場所に行こうとも。

思っています。仏壇はテレビの横に並べれる大きさ。

 

家具調で小さな花が彫られてある。可愛い仏壇に。

その中に将来は自分も祀られてゆく事に。

 

それから・・手元供養のための”オブジェ”。

息子は”ペンダント”を希望した。娘と私は

”ブレスレット”これは手首の周囲よりも短い!

ので・・バッグにいれておく。そして・・。

 

もう一つは仏壇にエッグ型の可愛い”オブジェ”。

サーモンピンクでダイヤが散りばめられた様な・・。

卵の形の入れ物の中に49日の法要が終わって。

納骨される日に(その前日に) 彼の骨を少し砕いて

息子が”お父さん少し頂きますよ!”と、言いながら

それぞれのオブジェの中にその骨の粉をいれました。

 

その時にほんの少しは涙がでました。すい臓がんで

亡くなった彼のその”骨”は・・緩和ケアでの治療・・。

での薬を飲んだだけ。それでも”疲れた?骨でした。

 

生きていると活動もして、栄養も摂れて、健康的な

筋肉や骨格・・。でも脳梗塞で42日の入院生活。

退院してからの通院治療の日々。そのうちに

食事もなぜか少ない量しか食べれない日々。

 

その原因はすい臓の癌が知らない間に体を

蝕んでいたから。ただ痩せるだけ、他には

腰痛などがあり。。脊椎管狭窄症の診断!

 

いろんな病気がごちゃごちゃになって・・。

まさか癌に罹患していたとは!。

 

いろんなことがあったのですが・・。

緩和ケア病棟での2か月間は死を迎える為に

安らかに死にゆくために入院・・・・。

 

であるのだと・・。間違った考え?を持ちながら

でも、生きる為、最後まで人として生きる為の

支えをしてくれる。精神的にも肉体的にも

社会的にも心のケア、病人と家族を支えてくれる。

 

それが”緩和ケアでの病棟”であった!。悔いのない

人生を生きた彼。に今もなお、あらゆることを

教えられながら反省をしながらわたくしは

日々を生きている。感謝を忘れないように・・。

 

 

枇杷:403 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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