2019/03/11 月曜日 中学時代はバレー部
活発な人間になれるように?
中学校に入るとどんな部活に入ればいいのか?。
父親がアドバイスで。”バレー部”に
入ればいいと!。その一言で決めた。
引っ込み思案で人前では喋れない自分がいた。
部活では真夏の太陽の下で”回転レシーブ”
などの練習をした。試合の時に役に立つ?。
サーブを打つ順番がくるとせめて1点でも
自分のサーブで取れれば好。と。割と
欲のない人間。小学校の時代には
父親にやはり勧められて”美術”?図工部?。
スケッチを少しの間だけ習った。でも
お友達の影響に左右されてか?いつの間にか
さぼって教室の外に立たされた事も。
真面目な人間であっても時にはそんな
無意味な時間を過ごした事もあった!。
でも父親は美術を学んでいたものと?
思っていたかも?。絵が下手だったから。
あるときの夏休みの課題で”絵”を1点は
提出しなくてはならなかった。父親は
絵が得意だった。そこで少しだけは
果物の描き方を教えてもらい
描いてもらった。
私が描くのよりもとても上手で・・。
手伝って貰って提出したものの
やはり、自分の心を恥じていた。
やはり字も下手だったけれども
姉や弟のように硬筆を学ぶ意欲も
無かった。珠算も私だけは
勉強しには行きたくなかった!。
算数がどうも苦手。音楽の時間も
先生のお話を聞いていても
申し訳ないくらい”あくび”が出て
大きな口を開けない様に苦労しながら
あくびをした記憶があった。
楽しかったのは体育の時間であった。
いつも一緒に行動する大切な友人。
二人でいつも交換日記をしていた。
もちろんテストの成績も。彼女は
小柄な可愛い子。私も背が高くは
無かった!。だから前から1 と2番目
だった。女性の優しい体育の先生に
いつも。お手本?として”やってみて”
と言われては素直に先生に教えられた
事を実行したり。日記でお互いの
想いを綴ったりして素晴らしい時間を
過ごせた記憶がある。でも3年生に
なった時にはクラスが分かれて・。
卒業してから時々会う事になった。
中学3年ではなんとなく面白くない
時期があり。大切な友人も誰かを
悪意があるないにかかわらず
無視する事があった!。でも卒業
後は。そんなことがあった事は
過去の事。お互いにお手紙を
出し合う友に戻った!。お互いの
進む道は違っていても相手を
思いやる心は残っていた。
交換日記をしていた。
親友は皆と違う地域に住んでいた。
とても性格も良いし素敵だった
彼女の事は何時までも
忘れない!。あるときに
遊びに行った時には
お母様が”親子丼”を作って
持ってきて下さった。とても
心がこもっていて美味しかった!。
母は言った!違う地域の子たちと
遊んではいけない様な事を。でも
私は母のいう事は間違っている!。
と。心に留めて。何時までも
お友達でいようと決心していた。
また機会があったら帰省した時に
会いたいと思っている。
美しい心のある人なのに・
人間は誰も平等に生きる
権利を持っている。のだから
あの人と付き合ってはいけない?
などと差別する事は
人間として恥じる事。
人を羨ましいと思う事も・
できるだけしない生き方が
いいと感じる。
枇杷483