昨日法話に登場の90歳を超えて乳癌手術をした婆様だが、自身の葬式前に「住職よ、夫は50年前に他界したろ。あの世に逝った時、わしは夫の若い時の顔を知ってるから、見逃す事はないが、夫は『こんな皺くちゃ婆さんなど知らんぞ』と言わんかいな」「大丈夫。婆様の結婚当初の写真を棺の中に入れといてやる」と。
【追伸】
この婆様には数多に法話のネタを貰った。ある時などは、夜中の2時ごろに電話が掛かってきて「おい、起きとるか」と。「今、起こされたわい」「じゃ、起きとるな。今、わしの家が火事になった夢を見た。もし本当に火事になったら、まず、何を持って逃げたらよかか」と。「体1つでよか。拙僧が焼く前に、焼かれちゃあかんで」「おうよ。で、通帳はどうや。全財産が入っとる。通帳は銀行に行ったら、また再発行をしてくれる」「ほんまか」「嘘言うてどないすんねん。それよりくさ、そんだけ欲があれば婆様、まだ死なんな」「いつ死んでもいいんじゃがな、わしは」と。この婆様とはよく会話を交わした。その中でも、パターン化された会話は「婆様、90超えとるのに、元気がいいな」と声を掛けると「元気がいいから、この歳まで生きとんじゃ。くだらんこと言うな」「長生きの秘訣を教えてよ」「細かい事を考えん事や。わしは何が嫌いって、口ばっか先に立って、動かん人間や。文句言い、講釈言いは、動かんと相場が決まっとる。建設的な意見のない文句、講釈は、雑音でしかないわい」と。拙僧、元気が欲しい時には、この婆様の家へ、気合を入れてもらいに。もう、今は、この世におらんが。一休宗純さんが「今死んだ。どこにも行かん。ここにおる。尋ねはするなよ、物は言わんぞ」と。これだけで十分支えだね。見てくれていると思えば、それだけで安心して動ける。