印象に残っている出来事を時系列に沿って書いている。
2000年4月下旬・・・
就職斡旋会社に登録したので、あとは就職先を紹介されるのを待つだけとなった。
但し紹介されるまで数日から数ヶ月と幅があり気長に待つ必要がある。
この時はタイ語学校にも行っていなかったので日中ブラブラして夜飲みに出かけるという生活だった。
こんな生活を送っていたら堕落するのは目に見えているし、金も続かない。
何かしなければということで鍼・指圧の出張をすることにした。
することにした・・・・と、この時思いついたわけではなく
現地採用で会社で働きながら終業後に副業でやろうということを来タイする時から考えていた。
出張施術は日本で資格を取った直後の21歳から本業の病院勤務の傍ら行ってきたことだ。
日本では新聞の地域版に3行広告を掲載していた。
3行広告でも結構反響があり本業の収入を上回る月もあった。
同じことをバンコクでもやろうというわけだ。
就職斡旋会社での面接以降、治療院開業に半分以上は心が傾いていたので、
日本の鍼・指圧の需要がどの程度あるのか計る意味でもこれはやらなければと思った。
この出張施術がダメなら治療院開業してもやっていくことは困難だろう。
日本でやった時と同じく広告を掲載しようと思った時に真っ先に頭に浮かんだのはバンコク週報だった。
早速バンコク週報にアポを取りオフィスに向かった。
オフィスで出迎えてくれたのはH氏だった。H氏は同世代で感じの良い話しやすい方という印象だ。
広告は一番小さなマスで1500Bとのことだ・・・1200Bだったかな?
バンコク週報はその名の通り週刊なのだが、毎週載せるのは金銭的な問題もあったので2週に一度掲載してもらうことにした。
翌週発行の新聞に掲載されるとのことなので、あとは待つのみだ・・・・
さて、どうなるか・・・・・・・
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