続・今日も跳び蹴り

声出して行こうぜ!

マイセルフ

2007-05-08 | 思うこと
基本的に裁縫も自分でやるほう。
ま、ボタン縫い付ける程度ですけど。

中学の頃は、部活で靴下の先がすぐ破れてしまうので、自分で何度も縫って使っていた。
ちなみに練習用は『ナフコ』で5組1000円とかそんなヤツで、試合用は「クロコダイル」「マクレガー」「トロイ」とかだった。
決して「アシックス」や「ミズノ」は穿いていなかった。
当時は、それが精一杯のオシャレだった。

ま、それはそーと。

その他にも、雑巾も縫ったし、皮の定期入れを自分でバラして縫い直してカスタムしたり。
ソフトボールのグローブも革紐買ってきて自分で修繕したり。
釣りの仕掛けはもちろん、オモリとかも自分で作っていた。

最近、ガキの頃にやれていたことがやれなくなった。
つーか、やらなくなったと言うべきか・・・。

普段、仕事着はユニクロの開襟やポロシャツばかりだが、何だか裾の長さが気に食わない。
ミシン買って、自分で洋裁でもやってみっかなー。

‘07 GW 憶え書き

2007-05-08 | ほぼ毎日J子
・4/28(SAT)
6時頃に目が覚め、そのまま糸島半島へドライブに。
途中、西浦に住む友人の店舗兼工房兼自宅に顔を出すも、既に仕事に出かけていた。
一旦帰宅後、昼前から大宰府の『スポデポ』へ車を走らせる。
帽子などを購入したが、帰りの車内で、その帽子が『kissmark』のものだと気付き、チョット落ち込む。
その後、住吉の家具屋へ向かっていると、筑紫通りで自転車に乗った『牛小屋』の大将を発見。
後を追いかけクラクションを鳴らしてビビらしてみる。
暫く話して「今夜、顔出すけん」と言って別れる。
で、肝心の家具屋は見つからず。
結局、道に迷ってしまいそのまま帰宅。
車を置いて、今度は自転車で『マリノア』へ。
『モンベル』で“愛宕浜から漕ぎ出そう会”の名誉顧問こっすい~と初対面。
take4らと同じ型のカヤックが、型落ちで40,000円ほど安くなっていたので薦められたが、「邪魔やし、年に2・3回しか乗んないから」って理由で丁重に断る。
『マリノア』を後にし、藤崎のアンティークショップを覗いた後、約束どおり『牛小屋』へ。
大将やお客さんとアレコレ話しながら、心地よい酔いに包まれて過ごす。


・4/29(SUN)
今日もアレコレ買い物へ。
暇を持て余しているエグを昼飯で釣り上げ、あちこち連れ回す。
家具屋を数軒回るも、私好みのソファはなかなか見当たらない。
結局『ナフコ』で本棚を購入し、一旦帰宅。
バスで天神へ移動し、数年ぶりに『イムズ』で買い物なんかしてみる。
『ベイブルック』の隣の店で、巷で噂のカルトバッグを購入。
喉が渇いたので、中央公園でビールでもと思ったが、そのまま博多駅までプラプラと歩いて行く。
『ヨドバシカメラ』でCD/DVDコンポやデジカメをチェック。
で、ガード下の『益正』で明るいうちから飲み始める。
数十分後、古賀市から駆けつけた吉田くんも合流し、宴は一気にヒートアップ。
『益正』を出た後、テンション上がりきったままの状態でJRに飛び乗り、勢い余って小倉のカッツンちへと雪崩れ込む。
「東京ラブストーリー」を鑑賞しつつ、延々と飲み続ける。


・4/30(MON)
7時前に目が覚める。(カッツンちで
そのまま早朝から酒を飲み始め、昼前には酔拳炸裂。
昼寝から目覚めた後、高速バスで夕方前に帰福。
『正直屋』でラーメンを食べて帰宅後、泥のように寝むる。


・5/1(TUE)
普通に出社。
しかし、自堕落な生活を改めるべく、今日から早朝ジョギング開始。
沖縄マラソンの悔しさもまだ忘れちゃいない。
今冬に向け、早くも始動ってな感じなのです。


・5/2(WED)
今日も普通に出社。
早朝ジョグのせいか昼過ぎにはボクおねむ状態。
何とか睡魔との闘いを制覇し、定時退社。
退社後は『五徹』で独り酒。


・5/3(THU)
寄生虫じゃなくって、帰省中の西岡んちに数人集まり焼き鳥宴会。
愛犬ゴンタ(♂)が何故か私に発情し、私に飛びつき腰を振りまくる。
犬までも虜にしてしまう男ってことで。(何が?
後半記憶ナシ。いつもこう。


・5/4(FRI)
家の掃除をするつもりだったが、ほぼ丸一日、二日酔いで身動き取れず。


・5/5(SAT)
朝から家の掃除に没頭。
ロフトにソファを上げていたら、バランスを崩して階段から転げ落ちそうになり涙目に。
夜は『みわちゃん』で独り酒。
帰宅後、いつものメンバーがウチに集まりプチ宴会。
みんなが帰った後、気が付けばソファで寝ていた。


・5/6(SUN)
午前中は眼科へ。
午後から愛宕浜でカヤック野郎ども(take4、K2郎、カナヤン、マニ)と合流。
しかし、様子が変だ。
どうやらK2郎艇が沈したらしい。
便乗していたマニが必死に泳いで岸へ戻る姿が、ことのほか面白い。
十数分後、K2郎艇は体勢を建て直し、一行は能古島へ。
私はK2郎嫁、娘、息子と4人で愛宕浜で留守番をすることに。
しかし、暫くして雨が降り出す。
「どーせ止むやろ」と思っていたが、とんだ読み違い。
雨は勢いを増し、撤収のタイミングを完全に逃してしまう。
寒さに耐え、途方に暮れながら東屋で雨宿りしていると一行が帰還。
てっきり、フェリーで帰ってくるかと思いきや、なかなか大したもんだ。
カナヤンと『正直屋』でラーメン食って帰宅。
悪寒が走るので、風呂に入ってとっとと就寝。


明日天気になあれ。


特別な待遇を受ける価値のある生徒

2007-05-08 | 思うこと
チョット乗り遅れた感はあるが“特待生”について考えてみた。

一部マスコミは「子供は被害者だ」的なキレイごとをぬかしているが、私に言わせれば立派な共犯。
ガキとはいえ、ちゃんと義務教育を受けた人間が、何も分からない訳がない。

こう見えて、私は高校進学時にバレーボールの特待生の誘いを受けたことがある。
中学3年、そろそろ進路を決めなくちゃいけないって時期に、県下でも有名な私立高校のバレー部の監督さんと、その高校から県内のマンモス私立大学に進学したOBがウチに挨拶に来た。
そして、数十分、母親と一緒に監督さんとOBの話を聞いた。

なるほど。
「ウチに来れば授業料免除やし、将来的に大学進学の道も用意しています」ってことらしい。
中3のガキでもコレが何を意味するか分からないはずがない。

ウチの家庭の事情を考えると授業料免除は願ってもない話。
高額な授業料は、喉から手どころか、両腕が出るほどのお金だ。

しかし、二つ返事とはいかない。
中学最後の県大会を目前に腰を痛めてしまい、私は既に高校でバレーをすること自体を諦めていた。
実際、高校へ進学した時、サッカー部への入部届けも書いたし。
結果的には、強制的にバレー部に入部させられることになったのだけど・・・・。

ま、それはそーと。

行きたい半面、正直なところ不安な気持ちが先行していた。

腰痛が再発したら・・・
怪我でもしたら・・・
部活を退部したら・・・

何よりも、今の時点でこの先のレールが敷かれた気がしたのがイヤだった。
目の前に座っているOBがそのレールの行く先だと思った。
ましてや、大学へ行く気も全くなかった。
とにかく就職。そして自立。
それが最優先。
結果、勧誘に来た監督さんに「丸坊主だから」って理由で断って、公立の工業高校へ進学した。
授業料は交通遺児の奨学金制度を利用した。

後で聞いた話だが、“将を射んと欲すれば、先ず馬を射よ”とばかりに中学のバレーの顧問の先生のとこにも、数校から私のことで「ウチに欲しい」と相談を受けたらしい。
しかし、顧問の先生は、勧誘に来た高校の人に対して何かを求めることも、私に何かを勧めることも全くなかった。

現在、プロや大学で活躍している選手や第一線を退いた人でも、かつて華やかな舞台で活躍した人の殆んどが私学出身の特待生ではないだろうか。

高校経営はビジネスなのだ。
何だか今回の騒ぎで高野連含め全員バカだってことが露呈した気がする。
みんな思慮浅いし、覚悟が足りないのだ。
責任をドコに求めるのではなく、そういうことで成り立っている世の中が悪いのだ。

いっそのこと、何もかも認めちゃえばいいのにね。