数日前から、どっかのバカのせいで『沖食堂』の支那うどんを食ってみたくってしょうがない。(笑
タイミングよく、今週末は久しぶりに土日ともに休み。
てことで早速本日、実家へ米をもらいに行くついでに食いに行くことに。
ついでにな、ついでに。
そんなこんなで、休日なのにチョイとばかり早起きをして、1時間ほど朝ジョグした後、洗濯を済ませ、9時過ぎに家を出る。
のんびりと車を走らせていると、旧筑紫野有料道路の元料金所あたりで、意味不明かつ強引な割り込みをしてきた車に瞬間的にカチンときて、5秒ほどクラクションを鳴らし続けたあと、それから3kmほどテールツーノーズ状態。
大人気ないなぁ、俺。ちょっと反省。
10:30頃に『沖食堂』到着。
店の扉を開けた瞬間、心が多少揺らいだが、ここは初志貫徹で支那うどんを注文。
数分後、丼が目の前に。
すかさずスープを一口。
ピリッと辛く、オモロ美味い。
真似できそうで真似できない。何かそんな味。
いつものように、ものの数分で完食。
やっぱいいなぁ。久留米のラーメン屋って。
筑後川の土手を窓全開で車を走らせる。
風が気持ちいい。
実家へ着き、玄関をガラガラーっと開けても誰も出てこない。
無用心やなぁと思いつつ、仏壇のところへ行き、お父さんと婆ちゃんに軽く頭を下げる。
早速、スーパーのビニール袋に米を詰められるだけ詰める。
そして、とっとと帰る。
と、その前に爺さんが入院している病院へと向かう。
病院へ着き、いつもの部屋を目指すが名札がない。
どうやら部屋が替わったらしい。
暫く廊下をウロウロしていたら、見知らぬオバサンが
「中島さんなら、そこの突き当たりったい」
「はぁ」
何故に中島さん?と思いつつもその部屋を覗くとパンチパーマのオヤジが横たわっていた。
えーっと。
ま、いいか。
爺さんの部屋は一番奥の部屋に替わっていた。
扉を開けると、ションベンの匂いが少しした。
カーテンは硬く閉められているが、遮光カーテンではないので室内は十分明るい。
肝心の爺さんはというと、食後なのかスヤスヤと寝ていた。
はだけた浴衣から、しわくちゃでシミまみれで白くて細い脚が見えた。
ベッドサイドには杖とマジックハンド。
マジックハンドは遠くの物を取るのに使っているのだろう。
ま、それを扱えるだけの握力は残っているみたいなので、よしとしよう。
もともと猿顔の爺さんだが、最近は海亀みたいな顔になってきた。
そうやって暫く寝顔を見ていたら、別の感情に支配されそうになった。
ヤバイヤバイと思いつつ、差し入れをテーブルの上に置いて、声も掛けずに部屋を出る。
おじしゃん、また来くるけん。
帰りは佐賀の街中を抜けて三瀬越えで福岡へ帰ることに。
しかし、約半年ほど顔出してないだけなのに道が分かんねー。
有明沿岸道路って何じゃコリャ?
諸富橋を渡ったあたりで『大臣閣』発見。
以前の私なら「連食上等!」ってな感じでブッ込んでいたかもしれないが、今の私はチョット違う。
最近、そういう行為自体が食べ物を粗末にしているような気がしてね。
何かこう、バカバカしくもあり。
そんな時期があってもいいとは思うけど、いつまでもそんなことばっかもしてらんねぇし。
自分に対していい都合ばっか作ってな。
つーか、1日3食で十分やもん。
ま、旅の空ではチョットだけハッチャけますけどね。えぇ。
って、それもいい都合やな。(笑
三瀬峠を越えて『鳥飼商店』でチョット買い物。
野菜数種と漬物、それと久しぶりに看板商品の豆腐も購入。
帰宅後、部屋の掃除を済ませ、ソファで横になる。
天井を見つめながらアレコレ考えていたら、いつの間にか寝ていた。
寝入りばなにションベンの匂いがした気がした。
そんな土曜日。
朝5時に目が覚めたので朝ジョグに行こうかと思い、その前にチョットだけよとTVでニュース見ながら世界のナベアツの「さぁ~ん!」みたいな姿勢でソファで寛いでいたら、いつの間にか寝ていた。
大塚さんと軽部アナの声を遠くに感じつつ、意識が遠くへ行ったり近くへ来たりして、次に目が覚めたのは6:30。窓の外は霧雨。
ジョグる気にもなれず、いそいそと出勤の準備に取り掛かる。
6:50に家を出て、30分ほど歩いて藤崎のバスターミナルへ。
丁度バスが来たので滑り込む。
窓の外の景色や乗客などを観察しつつ、約15分ほどバスに揺られる。
会社に最寄りの2つ手前のバス停で下車し、濠沿いの道を時折、右手に持った笠を手首だけでクルンッと振り回しながら歩く。
のん気なカモが歩道をヨチヨチと歩いていた。
手を出すと首をかしげてコチラを観察していたが、暫くすると興味がなくなったらしく、プイッと横を向いて歩き去っていった。
とっ捕まえてネギをグルグルと巻きつけてやろうかと思った。
裁判所の前の濠では、珍しくウシガエルが鳴いていた。
整備された花壇の紫陽花もそろそろ咲く頃かな。
ちなみに、紫陽花を見ると保育園の手洗い場の裏に咲いていた紫陽花を今でも鮮明に思い出す。
はて?なしか。
赤坂門市場では八百屋のバァちゃんがせかせかと動き回り、隣の惣菜屋さんを覗くと、いつものように店の人がタバコを咥えたまま腰に手を当てた姿勢で揚げ物を揚げていた。
そのまた隣の理容室の前にはいつものように猫が座っていて。
「チッチッチッ」と舌を鳴らして近付くも、これまたいつものように逃げられてしまう。
『サニー』で豆乳、ヨーグルト、コーヒー、3割引になっているオニギリを3つほど買って会社へ。
ポットの水を入れ替えてモップ掛けした後、オニギリを頬張りながらPC画面と対峙する。
さぁ、今日もお仕事しましょかねー。
大塚さんと軽部アナの声を遠くに感じつつ、意識が遠くへ行ったり近くへ来たりして、次に目が覚めたのは6:30。窓の外は霧雨。
ジョグる気にもなれず、いそいそと出勤の準備に取り掛かる。
6:50に家を出て、30分ほど歩いて藤崎のバスターミナルへ。
丁度バスが来たので滑り込む。
窓の外の景色や乗客などを観察しつつ、約15分ほどバスに揺られる。
会社に最寄りの2つ手前のバス停で下車し、濠沿いの道を時折、右手に持った笠を手首だけでクルンッと振り回しながら歩く。
のん気なカモが歩道をヨチヨチと歩いていた。
手を出すと首をかしげてコチラを観察していたが、暫くすると興味がなくなったらしく、プイッと横を向いて歩き去っていった。
とっ捕まえてネギをグルグルと巻きつけてやろうかと思った。
裁判所の前の濠では、珍しくウシガエルが鳴いていた。
整備された花壇の紫陽花もそろそろ咲く頃かな。
ちなみに、紫陽花を見ると保育園の手洗い場の裏に咲いていた紫陽花を今でも鮮明に思い出す。
はて?なしか。
赤坂門市場では八百屋のバァちゃんがせかせかと動き回り、隣の惣菜屋さんを覗くと、いつものように店の人がタバコを咥えたまま腰に手を当てた姿勢で揚げ物を揚げていた。
そのまた隣の理容室の前にはいつものように猫が座っていて。
「チッチッチッ」と舌を鳴らして近付くも、これまたいつものように逃げられてしまう。
『サニー』で豆乳、ヨーグルト、コーヒー、3割引になっているオニギリを3つほど買って会社へ。
ポットの水を入れ替えてモップ掛けした後、オニギリを頬張りながらPC画面と対峙する。
さぁ、今日もお仕事しましょかねー。
自分のblogの記事に対してコメントをもらう。
読む。そして返す。
時には返さない。
辛辣な言葉を返すときもある。
返信する必要がないと私自身が判断した時はスルーするときもある。
コメント欄で一通り何らかのやり取りが終わった後に時間差で書き込まれてもコメントの返しようがないときもある。
乗り遅れたアナタが悪い。
私のところには滅多にっつーか、一度もないが「今度、福岡行くんですけど、魚が美味しくて、座敷があって、駅から近くて、予算は1人5,000円程度でお薦めの店ありませんか?」的な質問をする人がいる。
あのね。そんだけ条件絞ってんなら自分で探せって。何のためのネットじゃ。
何でも他人に訊きやがってよぉ。
ハズレ引きたくないっていう気持ちもあるかも知れんけど、そういう時は敢えて自分の足で探したほうがいいと思う。
ネットだろうがガイド本だろうが、店を探す行為そのものも楽しいと思うし。
「返信がない」と、たまに腹を立てる人もいる。
他人のblogに勝手に書き込んで、そんでもってそんなこと言われてもな。
じゃぁ、テメェでblogやって、そこで好きなだけ書き殴りゃいいやん。
明らかに空気を読み違えたコメントもたまにある。
そんな時は「もっとしっかりしろ!」と言いたくなるが決して言わない。(笑
えーっと。
結局、愚痴とコメント返すのが面倒臭いときの言い訳を書いただけみたいになってもうたな。
あぁ、腰腰。
読む。そして返す。
時には返さない。
辛辣な言葉を返すときもある。
返信する必要がないと私自身が判断した時はスルーするときもある。
コメント欄で一通り何らかのやり取りが終わった後に時間差で書き込まれてもコメントの返しようがないときもある。
乗り遅れたアナタが悪い。
私のところには滅多にっつーか、一度もないが「今度、福岡行くんですけど、魚が美味しくて、座敷があって、駅から近くて、予算は1人5,000円程度でお薦めの店ありませんか?」的な質問をする人がいる。
あのね。そんだけ条件絞ってんなら自分で探せって。何のためのネットじゃ。
何でも他人に訊きやがってよぉ。
ハズレ引きたくないっていう気持ちもあるかも知れんけど、そういう時は敢えて自分の足で探したほうがいいと思う。
ネットだろうがガイド本だろうが、店を探す行為そのものも楽しいと思うし。
「返信がない」と、たまに腹を立てる人もいる。
他人のblogに勝手に書き込んで、そんでもってそんなこと言われてもな。
じゃぁ、テメェでblogやって、そこで好きなだけ書き殴りゃいいやん。
明らかに空気を読み違えたコメントもたまにある。
そんな時は「もっとしっかりしろ!」と言いたくなるが決して言わない。(笑
えーっと。
結局、愚痴とコメント返すのが面倒臭いときの言い訳を書いただけみたいになってもうたな。
あぁ、腰腰。
ずっと前に中学ん時の担任だった先生と会う機会があった。
顔を見るなり「眼が優しくなったやん」と言われた。
俺って、学生ん時に一体どんな眼つきをしていたんだろうって思った。
20年ほど前の自分を漢字一文字で表すなら
「粗」
まさにそんなだったと思う。
粗野、粗雑、粗末、粗相、粗忽、粗略、粗末、粗放、粗暴・・・・etc
全てにおいて粗くて。
何もなっちゃいないのに勘違いばっかして。
気がちっちゃいクセにそれ以上のことをやろうとしていつも空回りして。
今思えば、自分の物差しの大きさが分かってなかったんだろうな。
もしかしたら、その物差し自体さえ持っていなかったのかも。(笑
相手の立場になって物事を考えることが苦手だった。
苦手というか逃げていたというか。
社会に出て、住む世界が広がって、色んな人と知り合って、色んな経験をして。
ときにはとんでもなく痛い目にもあったりしてな。
最近、その経験や人とのつながりが、徐々に紡がれていって、細い糸でしかなったものが太い綱になりつつあるのを感じる。
やっとこの歳になって、色んなことを考えられるようになったかなぁって思う。
もしかしたら、そう思いたいだけかもしれんけど。(笑
来月で39かぁ。
まだまだやねぇ。
顔を見るなり「眼が優しくなったやん」と言われた。
俺って、学生ん時に一体どんな眼つきをしていたんだろうって思った。
20年ほど前の自分を漢字一文字で表すなら
「粗」
まさにそんなだったと思う。
粗野、粗雑、粗末、粗相、粗忽、粗略、粗末、粗放、粗暴・・・・etc
全てにおいて粗くて。
何もなっちゃいないのに勘違いばっかして。
気がちっちゃいクセにそれ以上のことをやろうとしていつも空回りして。
今思えば、自分の物差しの大きさが分かってなかったんだろうな。
もしかしたら、その物差し自体さえ持っていなかったのかも。(笑
相手の立場になって物事を考えることが苦手だった。
苦手というか逃げていたというか。
社会に出て、住む世界が広がって、色んな人と知り合って、色んな経験をして。
ときにはとんでもなく痛い目にもあったりしてな。
最近、その経験や人とのつながりが、徐々に紡がれていって、細い糸でしかなったものが太い綱になりつつあるのを感じる。
やっとこの歳になって、色んなことを考えられるようになったかなぁって思う。
もしかしたら、そう思いたいだけかもしれんけど。(笑
来月で39かぁ。
まだまだやねぇ。
ここ最近、どうしても解けない謎があって。
謎っちゅーか、まぁ、人の心理ちゅーか、心の内っちゅーか、ものの考え方っちゅーか。
かといって、別に否定してるわけではなく。
たんに不思議なだけであって。
何でそういう考えに行き着くのか、その人の立ち位置に立ってみたつもりで考えてみる。
でも答えは出ない。
それでも何とか捻り出した答えは「覚悟が足りねぇんじゃね?」的なフワフワした感じで、答えというより自問に近い感じ。
ま、そいいったことの繰り返しで。
いや、特にボケもオチもねーし。
謎っちゅーか、まぁ、人の心理ちゅーか、心の内っちゅーか、ものの考え方っちゅーか。
かといって、別に否定してるわけではなく。
たんに不思議なだけであって。
何でそういう考えに行き着くのか、その人の立ち位置に立ってみたつもりで考えてみる。
でも答えは出ない。
それでも何とか捻り出した答えは「覚悟が足りねぇんじゃね?」的なフワフワした感じで、答えというより自問に近い感じ。
ま、そいいったことの繰り返しで。
いや、特にボケもオチもねーし。
「何で声を掛けてくれんやったと?」
飲み会の後日とかにたまに訊かれることがある。
私にしてみれば、全くもって愚問です。
まぁ、たんにタイミングが悪かったっつー場合もあるけど、他にも理由がある。
逆に言うと、声を掛けた人に対しては声を掛けるだけの理由がある。
私の場合、基本的に好きだから。その人のことが。
じゃぁ、声を掛けなかった人は嫌いなのかっつーと、そうでもない。
まぁ、そこらへんが微妙なんすけどね。(笑
何で声を掛けられなかったのか?
それを考える必要もあると思う。
理由は絶対あるはず。
自分自身の中に。
もちろん相手の中にも。
相手を責めるだけではなく、ときには自分自身を責めることも必要。
私はそう思う。
飲み会の後日とかにたまに訊かれることがある。
私にしてみれば、全くもって愚問です。
まぁ、たんにタイミングが悪かったっつー場合もあるけど、他にも理由がある。
逆に言うと、声を掛けた人に対しては声を掛けるだけの理由がある。
私の場合、基本的に好きだから。その人のことが。
じゃぁ、声を掛けなかった人は嫌いなのかっつーと、そうでもない。
まぁ、そこらへんが微妙なんすけどね。(笑
何で声を掛けられなかったのか?
それを考える必要もあると思う。
理由は絶対あるはず。
自分自身の中に。
もちろん相手の中にも。
相手を責めるだけではなく、ときには自分自身を責めることも必要。
私はそう思う。