自燈明・法燈明の考察

日蓮を切っ掛けとして、仏教やこの世界に対する思索を始めました。

正法について考えた事⑧

2020年08月30日 22時36分35秒 | 日蓮仏法再考
 今日も一日、酷暑の日でした。
 昼間なんて外出する気にすらならない陽気で、エアコンつけた部屋の中で寝てまして、気が付いたら夕方になっていたという状況です。何かとってももったいない一日を過ごしてしまったという気がしていて、少し後悔しています。

 さて、「正法」という事で、つらつらここまで考えてきましたが、思うに「正しい教え」とか「正しい宗教」なんていうのは幻想にすぎないというのが、今の段階の私の答えとなっています。



 確かに日蓮という鎌倉時代の僧は、当時の社会に大いなる矛盾を感じていただろうし、その中で権力者側に阿り、本来の姿を忘れ去った仏教界には、強い危機感と共に憤りを感じていたのでしょう。鎌倉時代は今とは比較にならないほど脆弱な社会のインフラでしたし、少し天災がおきただけで、多くの人達が被災し、街中には死体が溢れ、人々の嘆き悲しむ姿は辻々にあった時代です。

 その世の中をどうにかしたい。

 仏教僧の立場からそういう事を感じ、時の幕府に「立正安国論」を上呈し、結果として生涯、権力者側やそれと結託した仏教界から苦しめられたというのが、日蓮の生涯だったと思います。

 その様な生涯を送った日蓮なので、その弟子達も権力側とは常に対峙する立場であったろうし、「正を立て国を安んじる」という生涯の日蓮を見た弟子達は、常に闘争し、自分達の正しさを証明せんと必死であった事は容易に想像できます。弟子達の中には、その事に疲弊し、日蓮の下を去った人も少なく無いでしょう。

 しかし果たして、「正しい法を確立する」という事と「社会を安寧にする」というのが、直結した論理であったのか。

 私も若い時には、創価学会でその様に教えられ、そうだと単純に信じていましたが、今になって思うとそんな単純な事では無い事が、漸く理解出来てきました。

 仏教の歴史を少し紐解けば、釈迦滅後すぐに仏教教団が「部派仏教」という事で分派したという事実があり、「教え」とか「経典」なんてあったとしても、その解釈をめぐって人間はいくつもの派閥に分かれる事が理解できます。これは教義という問題以前に、人間の理解力や解釈の仕方というのは、百人いれば百通りのものが出来てしまうという事を現すのです。

 またこういった分派というのは、何も教条的・教学的な問題だけではなく、人と人との相性の問題で折り合わず、教義という理屈をもって分派したものもあるかもしれません。

 日蓮という僧は徹底して「理証・文証」を重視していました。御書と言われる遺文には、多くの経典や釈論の文言が引用されていて、理論体系としても申し分ないほどの構築をしていたと思います。しかしその日蓮の門下の中でさえ、五一相対という事で分裂し、日蓮正統を自任する日興師の門下であっても本六と新六の間の不協和音すら起きていました。

 教学的な論理ではありません。人の世の常として「正しさ」を求めると、そこに必ず分派が起きて、闘争が起きるものと理解すべきでしょう。

 そもそも「経文の一句」でさえ、同じ経文であったとしても様々な解釈が起きてしまいますからね。文字という媒体自体、どれだけ不完全なものであるのかは、このブログでも前の記事で幾つか書いてきました。

 日蓮門下が大好きな言葉で「折伏」というのがありますが、これは絶対的な正義の論理の下に、相手の理論を端折り、屈服させるという意味があります。僧侶の間でやるのは良いですが、こんな事を広くやれば、それこそ人は闘争心むき出しにした小競り合いが頻発するというものです。

 日蓮が時の権力者と闘争し、同じ仏教界の僧侶に折伏をかけてたという姿勢があったが故に、日蓮門下には「独特な」人達が多くいたのではないでしょうか。

 それは戦前にアナーキストと呼ばれ、二二六事件の皇道派青年将校の理論的指導者であった北一輝。元身延派の僧侶で還俗し、国柱会を設立し「八紘一宇」という言葉を語った田中智学。世界最終戦争論を提唱した軍人の石原莞爾。創価学会の牧口会長は国柱会にも接近した事がありますし、日本皇道立教会にも参加していた事は近年になり知られる事にもなりました。
 そしてその牧口会長の下でスポンサー的な役割をした、戸田城聖。そして戸田城聖の作り上げた創価学会を引き受けた池田大作。
 大石寺の信徒団体で、カルト教団として今の問題を起し続ける顕正会。などなど。

 簡単に上げるだけでも、これだけの事がありますよね。

 思うに「正しい法」というのは「幻想」だと理解すべきでしょう。

 もし問われるとするならば、「正しい法」ではなく「正しい生き方」の方が重要だと思いますが、どうでしょうか。

 「では正しい生き方とは何か!言ってみろ!」

 なんて言葉もありそうですが、そんなのは各自が自分の人生の中で思索を重ねて生きて行く中、一人ひとりが見つけるしかないでしょう。何故なら生きる環境、そして為すべき事、それらは一人ひとり異なる事なのです。ただそれを見つける際のヒントとなる一つの思想が仏教であり、場合によっては日蓮が残した思想なのかもしれません。

 私が創価学会の活動から身を引いて十年以上思索して、この様な考えて今は生きています。

 人生には大事な事が沢山あります。
 「正しい法」とか「その法を護持している自分達の組織」なんてものに振り回されているほど、時間的な余裕は人生には存在しません。「人生五十年~いまは八十年かもしれませんが~下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」ですからね。

以上

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正法について考えた事⑦

2020年08月28日 10時13分43秒 | 日蓮仏法再考
 さて先の記事では、日蓮が開目抄では法華経が正法なのは一念三千が明かされているからであると述べていた事を紹介、その一念三千の事について少し書かせてもらいました。
 ここで書いているのは、今の段階で私が思索して「こうなのかな」という内容を書いていますので、あくまでも私見です。私見ですが、仏教を自分の生きる糧とするのであれば、思索する事はとても重要だと、私は考えています。

 創価学会では日蓮の文字曼荼羅を「一念三千の当体」という事を言っています。つまり正法の当体が日蓮の文字曼荼羅だと言うのです。

 正法を信じるという創価学会、そしてその信仰の中軸にはこの日蓮の文字曼荼羅(御本尊)を置いています。牧口・戸田会長の時代から平成の中頃まで、創価学会では賢樹院日寛師の教えに基づき、大石寺にある大本尊を「根源の本尊」として信じ、各家庭にある本尊は「義理の本尊」としてきました。
 しかし2014年の会則改正に伴い、教義改正が為されて、この大石寺の大本尊を「受持の対象としない」旨を宣言、会員の本尊観をひっくり返す様な改正を行ったのです。
 この教義改正では、日蓮直筆の本尊はすべて「事の本尊」であるとし、そこから言えば大本尊も事の本尊という事では変わりないのですが、日寛師がいう様な「事中の事の本尊」であり「根源」という捉え方を止め、全て平たく「事の本尊」にしたと言っても良いでしょう。

 創価学会の中で、御本尊(文字曼荼羅)はどういったものなのか、幹部に聞くと微妙なところで答えがばらばらになります。これは創価学会の中で文字曼荼羅の位置づけを明確に教えていないからなのです。創価学会ではよく次の日蓮の言葉を引用して文字曼荼羅を語ります。

 「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(経王殿御返事)

 要は「日蓮大聖人の魂が、この御本尊様なのだ」という事でしょう。

 でも「一念三千の当体が御本尊」という言葉を言いながら、では日蓮の十界文字曼荼羅がどの様に一念三千とリンクしているのかについて、明確に答えれる人は創価学会にはいません。
 まあ多くの学会員にとっては、御本尊とは「功徳聚」と考えていますが、これは日寛師の観心本尊抄文段にある次の言葉によっています。

「故に暫(しばら)くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり。」

 つまりどんな祈りでも叶うし、罪障も消えるし、福運も付くというありがたい御本尊様という事なのでしょう。それではまるで「有難い御札」なのですが、そんな理解をしています。そしてこれは創価学会だけではなく、日蓮正宗関係者は、みなこの認識であると思います。

 創価学会では「功徳」という事を「御利益」として教えています。だからどの様な個人的な願望も、この御本尊に祈れば全てが叶うと勘違いをしています。日蓮が語っていた「祈り」とは、基本的には「法華経の行者の祈り」であり、ご利益を求める祈りとは違います。そもそも功徳聚はご利益とは別モノなのですが、先の日寛師の文言によって、このあたりを大いに誤解しているのではありませんかね。

 日蓮の文字曼荼羅は、法華経の虚空会の姿を曼荼羅として顕したものです。この事について、日蓮は日女御前御返事という御書の中で、次の様に語っています。

「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊なり」

 過去の龍樹菩薩や天親菩薩、また天台大師や妙楽大師も顕さなかった大曼荼羅(文字曼荼羅)を日蓮は末法のはじめに「法華経弘通のはたじるし」として顕したとここで言っています。そしてこの本尊は日蓮が勝手に作り出したものではなく、多宝塔中の釈尊や分身仏の姿を描き顕したものであると述べています。多宝塔が出現したのは虚空会なので、この事から文字曼荼羅とは虚空会の儀式の姿だと言うのが理解できます。

「されば首題の五字は中央にかかり四大天王は宝塔の四方に坐し釈迦多宝本化の四菩薩肩を並べ普賢文殊等舎利弗目連等坐を屈し日天月天第六天の魔王竜王阿修羅其の外不動愛染は南北の二方に陣を取り悪逆の達多愚癡の竜女一座をはり三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神十羅刹女等加之日本国の守護神たる天照太神八幡大菩薩天神七代地神五代の神神総じて大小の神祇等体の神つらなる其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、此等の仏菩薩大聖等総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず」

 ここでは御題目を中心として釈迦多宝の二仏並座と地涌菩薩の上首の四菩薩をはじめ、様々な菩薩や二乗、そして諸天善神や魔や悪鬼などが、この曼荼羅に書き顕されているだけでなく、日本の神々ももれなくこの曼荼羅に書き顕されている事を述べています。しかし日蓮の顕した文字曼荼羅の何れを見ても、けして全てを文字として書き表していない事は判ります。つまり意義としてそういう文字曼荼羅であるという事なのでしょう。

「此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」

 これら全ての仏菩薩や二乗、諸天善神や悪鬼魔物、またここで「住し給い」とありますが、それはこの文字曼荼羅を拝する一人ひとりも全て含めて、この文字曼荼羅の題目に照らされる事で「本有の尊形(本来あるべき尊い形」になると言うのです。

 ここで日蓮は「本有の尊形」と言いますが、それを示したのが一念三千という教理だと私は考えています。
 前の記事に「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし」という日蓮の言葉を紹介しましたが、これが一念三千の指し示した要点であり、それを具体的に日蓮が「本有の尊形」としてシンボル化(はたじるし)としたのが、日蓮の文字曼荼羅ではないでしょうか。

 人生には様々な出来事があります。それは良きにつけ、悪しきにつけ様々な事があります。しかし一念三千から見れば、これらの出来事にはそれぞれに「本有の尊形」とも言うべき事がある。もしくはそういった出来事を無意味な事ではなく、全てを意味ある事にする事ができるという事になります。

 この文字曼荼羅により、それ拝した人が少しでもその事を理解して欲しい。そう言った意味合いがあるのではないでしょうか。

 確かに日蓮が文字曼荼羅について、その他の事を書いている箇所もあります。しかしそれは相手(対告衆)によって、投げかけている目的があり、あえて比喩を交えている事もあるでしょう。私は日蓮の文字曼荼羅については、最近ではこの様に考えているのです。

 単に信徒を祈祷師の様にしたり、ご利益を求めるためのツールとしたりして、それにより自教団や自宗派に縛り付ける為のものではありません。

(続く)


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正法について考えた事⑥

2020年08月27日 21時55分09秒 | 日蓮仏法再考
 創価学会では選挙戦を「立正安国論に沿った闘い」とか「四俵の静謐のための闘い」と言い、日蓮の言う「正法を立て国を安んじる」ための活動だと主張し、多くの活動家はその事を信じ切っているからこそ、選挙となれば能動的に捨て票を集め、公明党の議席確保に必死となるのです。そこには公明党議員の資質とか、公明党の掲げる政策なんて実の処、関係ありません。

 日蓮の遺文では「正法」とは法華経と言っていて、御題目を唱え弘める事でこの世界は安寧になると述べています。しかし最近の創価学会では日蓮仏法ではなく「池田哲学」が現代における「正法」と考えている様です。しかし実際に今の活動家に「では正しい法とは何か?」と質問をすれば、恐らくその回答は千差万別なものが返ってくると思いますが、どうでしょうか。

 これは創価学会というのが「組織活動」を「信仰そのもの」として教えている為に、「何のために活動するのか」という、その「何のため」とい思想的軸について、あまり問わないという組織文化によると思います。



 まあこのあたりは別の機会に書かせてもらうとして、今回は「一念三千」という事について、少し考えた事を書かせてもらいます。

 ◆一念三千の構成
 前の記事でも紹介しましたが、日蓮は開目抄の中で法華経の肝心は「一念三千」と述べています。では一念三千とはどういった内容なのか、以前にも幾度かこのブログで触れましたが、再度ここで復習してみます。

 一念三千の具体的な事は「如来滅後五後百歳始観心本尊抄」で説明されています。

「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」

 ここでは心は十界(地獄界から仏界)を具えていると言います。そしてそれぞれの界毎に十界を具えていると言います。これを十界互俱と言います。ここで十界にそれぞれ十界が備わるので百法界となるとも言います。

 この百法界の一つ一つに三十種の世間があると言います。これは五陰世間(色・受・想・行・識)という有情単体の世間、そして衆生世間という有情が集合した世間(社会)、国土世間という衆生の生きる土地や環境。この三つを三世間と呼び、それぞれの世間には十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)という実相を備えていると言うのです。これを三十種の世間と呼んでいます。

 この事から人の瞬間の心には三千の世間が備わっているとして、一念三千と呼んでいるのです。

 ・十界互俱
 ここで十界互俱とは、人の心の動き(感情や想いなど)は、単純な十種類に分類されるという事ではなく、瞬間の感情や想いが相互に関係しあって、心の働きがあるという事を表現したものだと言われています。
 一つ例を示すと、泥棒する人(餓鬼)であっても、それは家族を養う為(菩薩)為であったり、人を救うため(菩薩)に、悩み苦しむ(地獄)という様な事を互俱として表現しているのです。

 ・三十種の世間
 これは瞬間の心の働きが、個人の姿や行動に現れますが(五陰世間)、それは社会との相互影響の事であり(衆生世間)、そして住む場所や周囲の環境とも相互影響がある(国土世間)と言う事を示しています。

 しかしこの「一念三千」の法門とは天台大師の教えの中では、明確に文献として述べられていないという事を日蓮は観心本尊抄の中で述べています。

「問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し」

 ではこの「一念三千」とは、どこに明かされているのか。日蓮はその事について次の様に述べています。

「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり」

 つまり観心を行う段階に至って、(一念)三千の考え方を手ほどきとして教えている。これは究極の極説なのである。だからこの事を摩訶止観の序には「説己心中所行法門(己心の中で説く所の行ずる法門)」と言われていると言うのです。

 つまり最重要な法門であり、観心行を行う際の指南として教えられるのが一念三千という事で、中国の天台宗は「禅宗」と呼ばれ、修行者は観心の為に瞑想をひたすら行っていたと言われていますが、自らの心を観じる際のヒントとして教えられた事であったというのです。

 ◆正法と一念三千について
 日蓮は法華経が正法と言いましたが、法華経が正法であった理由とは、そこに一念三千という肝心な教理が明かされていたからと言います。

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」

 法華経とはそのまま読めば壮大な物語です。そして寿量品では久遠実成という物語が説かれていますが、その久遠実成の物語の奥底に一念三千という教理は存在していました。だから日蓮は「文の底にしづめたり」と述べているのでしょう。龍樹菩薩や天親菩薩と言った過去の論師たちは、この事に気づいていましたが表立って語らず、天台大師のみがそれを取り出して、心の中に抱いていたと言います。確かに摩訶止観等、天台宗の主要な論釈には明確に語らず、観心行のヒントとして教え伝承していたというのは、「これをいだけり」と言う表現に合致していると思います。

 では一念三千とはどの様な事を示す教えなのか。
 それに関するヒントは日蓮の開目抄の中にあると私は思うのです。

「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて真の十界互具百界千如一念三千なるべし」

 ここで日蓮は、本門で久遠実成を述べる事で「この娑婆世界で修行して成仏した」という成仏観を否定する事となり、法華経以前の成仏観(四教の果)を否定する事は、それまでの仏道修行観(四教の因)も否定される事になると言い、これにより法華経以前の衆生と仏の関係等も打ち破ったと述べています。

 そして打ち立てたのが「本門の十界の因果(一念三千)」だというのです。

 大乗仏教全般では、衆生は長期に渡り仏の下で修行を重ね、その積み重ねにより悟りを開き成仏すると述べていますが、この一念三千の教えからすれば、人々の様々な心の働きとは、ここでは「無始の仏界」と言いますが、人々が元来、心の奥底にある仏界の働きによるものであり、人々の過去からの心の働き(無始の九界)についても、全てこの仏界の働きによるものであるという事になると言うのです。

 つまるとこと、例えば四苦八苦と言われる様々な苦悩にあっても、それらは一念三千からすればすべて仏界の働きによるものであり、私達はこの仏界の働きとは不可分な存在である、そういう事を指向していると言うのです。

 ここは少しややこしい話になりますが、よくよく吟味する必要があります。

 ちょっと長くなりましたので、この話は次回にも続けます。

(続く)

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正法について考えた事⑤

2020年08月26日 17時37分58秒 | 日蓮仏法再考
 さて「正法」について少し考えてみます。
 日蓮の「立正安国論」とは「正を立て国を安んじる論」という事ですが、それでは「正を立て」とはどういった事なのでしょうか。

 日本に仏教が伝来したのは、奈良時代に百済(今の朝鮮)から伝わって来たと言います。この伝来の歴史についても、別に書いてみたいと思いますが、日本に伝来した仏教はその後、「鎮護国家の仏教」として日本に根付きました。

 私は井上靖氏の「天平の甍」という小説を以前に読みましたが、これは中国の仏教僧、鑑真和尚の日本に招聘に活躍する青年僧達の話でした。当時の仏教とは大陸(中国)から伝来した最新の思想であり文化でした。そして日本で僧侶とは朝廷から許可された「官僧」であり、それ以外に勝手に得度(出家)するのは「私得僧」と言われ、今で言えば犯罪者に近い立場であったと言います。

 何故「官僧」であったかと言えば、当時の日本の仏教とは朝廷を中心とした「国家」を護る為の教えであり、僧侶とはその執行官でもあったのです。だから律令制度の中で、官僧は人々に対して弘教は禁止をされていました。
 また当時は「民衆」という概念はそもそもありません。民衆という言葉すら当時無く、あっても「民草」という程度であったと思われます。

 インドで始まった仏教は、釈迦が人々の苦悩を救いたいという事で始まったのに、日本に伝来するとそういった教えになっていたのですから、変な話です。

 この日本の仏教が変化し始めたのは鎌倉時代。仏教は人々の中に浸透すると共に、様々な宗派が勃興した時期が、この鎌倉時代でした。この時に興た宗派を鎌倉仏教とも呼びます。

 この鎌倉仏教の先駆けはやはり「法然房源空」であったと、私は理解しています。日蓮宗系では「念仏無間」として忌み嫌い、法然房を悪鬼の様に謗りますが、この法然房がそれまでの「国家鎮護の仏教」というものを、初めて人々の中に「救いの教え」として展開したと私は思っています。法然房が弘めたのは念仏であり、仏教の教義的には様々な問題を孕んでいたと思いますし、その事については日蓮も自著の様々な処で指摘をしています。



 この法然房は幼少の頃に、目の前で父親を殺害されました。しかしその父親の遺言により、当時は当たり前の様にあった「敵討ち」をその父親から封じられ、元々利発な少年だった事もあり、出家し比叡山延暦寺で修学しました。そして比叡山では秀才として認められたのですが、法然房は自らが求めた答えがここでは得られなかった事から、比叡山延暦寺から黒谷に移り叡空を師として修行します。

 思うに幼少の頃に目の前で実父を殺害されたという事もあり、法然房はかなり内省的な人物ではなかったのではないか、私は勝手に想像しています。そして内省的な人物を納得させるだけのものを、当時の比叡山延暦寺は与えられなかったという事なのではないでしょうか。

 その後、念仏宗を開き「専修念仏」を説きましたが、これは人々や貴族の間に瞬く間に広がっていきました。法然房は官僧でした。官僧は法律では人々の間に仏教を弘めてはならないとなっていたのですが、この法然房の念仏宗がその形骸化した姿を変え、鎌倉仏教の始まりとなったと言っても良いでしょう。

 日蓮は「立正安国論」の中で、念仏宗について次の様に語っています。

「而るを法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び付属を抛つて東方の如来を閣き唯四巻三部の教典を専にして空しく一代五時の妙典を抛つ是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る、故に仏閣零落して瓦松の煙老い僧房荒廃して庭草の露深し」

 ここでは法然房の残した選択集の教えによって、人々は念仏宗を尊び、そのほかの仏や経典は捨て去るだけではなく、阿弥陀仏には供養しても、それ以外の仏には供養する想いも無くなり、国内の仏教各寺院は衰退したと言うのです。
 しかし考えてみれば、念仏宗が拡大したのは人々の求めに合致した事を法然房が説いたという事であり、他の宗派が衰退したというのは、その当時の既成仏教は、そもそも人々の想いすら理解せず、形骸化し権威主義が蔓延っていたからではないでしょうか。それを考えると、仏教界が衰退した姿を顕す切っ掛けとして法然房の念仏の教えだったというだけでしょう。

 また日蓮は立正安国論で、法然房の選択集を責めますが、その中で客人が「華洛より柳営に至るまで釈門に枢�u在り仏家に棟梁在り、然るに未だ勘状を進らせず上奏に及ばず汝賎身を以て輙く莠言を吐く」と質問、これはそんな法然房の教えが悪かったと言うが、京都から鎌倉までの間に多くの僧侶がいるが、何ら責める人が無いではないかという事の質問を提起して、次の様に語っています。

「其の上去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経勅宣御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ其の門弟隆観聖光成覚薩生等は遠国に配流せらる」

 ここでは延暦寺や興福寺といった大寺院から「浄土宗は仏教を乱す悪しき輩だ」と朝廷に直訴したという歴史的な事実を取り上げて、それにより当時の仏教界も憂いていた様に言いますが、これについて「仏教を乱す」と延暦寺や興福寺が訴えたのは単なる言いがかりであり、この当時の念仏宗には平重衡や、一の谷の合戦で平敦盛を討った熊谷直美が念仏宗に帰依するなど、背景には異常なまでの勢力拡大をした法然房の念仏宗への「妬み」もあった様です。

 この当時の延暦寺では「僧兵」などを抱え、事あるたびに朝廷などに強訴を繰り返し、すでに日本の根本道場であった比叡山延暦寺などは腐敗の極みに達していたのです。1183年には天台座主である明雲が木曽義仲に打ち取られる事件も起きていましたが、それは象徴的な事件であったとも言われています。

 この様な歴史的な背景を少しでも知ると、法然房が弘めた念仏宗によって、当時の仏教界が廃れ凋落したのではなく、既に腐敗の極みの中にあった延暦寺を中心とした当時の仏教界の中で、その人々を魅了した教えを説いたのが法然房であり、時代にも合致した事から燎原の火の様に広がり、結果として仏教の凋落を後押ししたに過ぎないという事でしょう。

 そしてこの法然房の行動を先駆けとして、人々の中にそれまでにあった「鎮護国家の仏教」ではなく、「人々の救済」を説く仏教運動が始まったと、私は理解しています。そして日蓮はこの鎌倉仏教の中で活躍した僧侶の一人なのです。

 日蓮は法華経を中心とした教義を中心に据え、小難しい形式的な儀式とかなしに「お題目」を唱える事で人々は救われると述べました。そして法華経を中心に据える事こそが、日本の仏教界を正す事にも通じ、それによって世の中も安寧になると立正安国論で主張したのです。
 またそこでは仏教を破壊するのは僧侶であり、その仏教の破壊を後押しするのが、そういった僧侶に唆された為政者である事を主張しました。そしてその結果、国が乱れるのであり、これを正さなければならない。これを正すためには僧侶を教学的に糺し、そして為政者も僧侶の本質的な事を見極めるべきであるという主張をしました。

 いま、日蓮の門下を自称してる創価学会や日蓮正宗などは「正法」とか「広宣流布」なんて簡単に述べますが、こういった当時の歴史を振り返れば、日蓮が述べた主張とは、単なる自宗派の拡大等という浅薄な事では無いと思わないのでしょうか。

 少しは当時の歴史的な背景を俯瞰して、考えてほしいものと思います。

(続く)
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新型コロナウィルス(COVID-19)の今後

2020年08月26日 10時58分16秒 | 思う事
 今日も暑いですね。
 これが最近、近所でのあいさつの枕詞になっています。今朝の報道番組では9月もこの陽気が続くとありました。この8月は子供も夏休みがあり、私もテレワークが続いている事から電気代もかなり上がっていましたが、エアコンなしでは生活できない状況なので、致し方ない事なのでしょう。

 はやく涼しくなって欲しい。わがままですが、そんな事を思っています。

 さて、新型コロナウィルスの感染ですが、政府の方では7月でピークが過ぎたと言います。でも私の周囲で言えば、子供の通う学校でコロナ感染者が発生していたり、職場でも別フロアで感染者が出たと言う話や、関連会社でも感染者が出たという話を最近になり耳にしています。



 そういう事から考えると、けしてピークを過ぎたという感じがしないのですが、実態はどうなのでしょうか。

 厚生労働省のHPによれば、8/24現在までに国内感染者が63,121名で、死者数は1,196名です。単純に計算すると、ざっくり国民の0.05%ほどの感染者で、死者数は感染者数からすると1.8%となります。

 季節性インフルエンザを見ると、2019年には約1,000万人が感染し、約3,000名は死亡していますし、関連死で見れば約10,000人は亡くなっていたともいわれています。

 これだけを見ると、季節性インフルエンザの方が強烈な感じにも見えますので、新型コロナウィルスの感染症は季節性インフルエンザほど恐れる程でも無いように見受けられますし、その様な意見も最近になり多く見られる様です。

 しかし一方で志村けんさんや岡江久美子さんのケースの様に重症化して死亡するケースが見受けられたり、実際に新型コロナウィルス感染の後遺症として血管障害や様々な後遺症の話もあったりします。ネットの中でも「COVID-19は大した事ない」とたかを括っていたけれども、感染後に後遺症に悩んでいたり、肉親が感染後にダウンヒル状態で短期間に重症化して親族が亡くなってしまったという話もあるので、やはり油断ならない感染症の様に思えてなりません。

 重症化するのは基礎疾患のある高齢者だという話もありますが、日本社会では未だ、この判断にも至っておらず、現在の状況になっているのでしょう。

 しかしこの新型コロナウィルスというのは、なかなか厄介な感染症ですね。エアゾル感染しますし、人との面会等で、油断したら直ぐに感染拡大する様にも見受けられます。だからこのウィルスは社会の活動を抑え込むバイアスが強く出る傾向がありますし、結果として経済活動を抑制する傾向が強くなってしまいます。

 一方で今の人類社会は経済活動が基本となっていて、人々の多くは社会の中で仕事をして収入を得ない限り、この社会の中で生きていけない構造になっています。そしてウィルスの感染拡大を防止する動きは、この経済活動を抑制しますので、人が今の社会で生きる上で大きな矛盾を露呈してしまいます。

 感染拡大は怖い、でも経済的に困窮するのも困る。
 経済的に元に戻ろうとすれば、感染拡大を引き起こす可能性が高くなるし、感染拡大を防止するのであれば、経済的な困窮を引き起こす。

 言ってしまえば「にっちもさっちも行かない状況」を生み出してしまうわけです。

 そうなるとどうしたら良いのでしょう。

 経済的に生き残りをかけるのであれば、感染拡大と多少の人数の重症化や後遺症は「よくある事」と目を瞑って、社会の動きを本来あるべき姿へと戻していくのか。一人や二人、いやいや数百人程度の重症者が発生して僅かとは言え死者が出ても、経済を守るために「マキャベリズム的思考」により経済活動を戻す事にするのか。

 それとも経済的な事はさておき、極力感染拡大を防止する為に、今まで通り、場合によっては今まで以上に、社会的な人の動きを制限していくのか。倒産や失業者が出て、場合によっては、その貧困のために自殺者がこの先出たとしても、その方向で進むのか。こちらも「マキャベリズム的思考」が必要になると思います。政府により行う社会保障も限界がありますからね。

 ここでは物事を極めて単純化して考えてみましたが、実際には付随する事や様々な事があるので、簡単に割り切る事もできない状況なんですけどね。でも何れを選択したとしても、このままでいけば社会的弱者は生きていけない状況に追い込まれてしまう可能性が大きくあると思うのです。

 この新型コロナウィルス(COVID-19)というのは、もしかしたら今の人類社会の在り方そのものにも、大きな示唆を与えているのかもしれません。

 秋口から冬にかけて、今懸念されているのが、新型コロナウィルスの際活発化と共に、季節性インフルエンザの流行が始まる事です。私達社会は、今後どの様に判断して対応するのか、迫られている様にも感じます。


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