拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

  国際結婚と禅

2024年11月03日 | 東洋自分なり研究所

  ついに来るところまできてしまったかぁ…という重いテーマ『国際結婚と禅』・・・について考察。

  一見、ゼンゼン関係ない『国際結婚と禅』なのだけれど、私的には案外というか、非常に密接な関係性を観るテーマなのです。

 

  まず『国際結婚』ですが、国際交流がかなり普及する現在、それはそう珍しい巡り合わせでもないようです。

  それに、当人同士は毎日の生活の中、国際もひったくれもなく日常生活を淡々と送っているだけ、それぞれ個人の事情を持ちながら

  それを尊重しながらの生活ということで、別段『国際』的なことはない・・・、と言いたい所ですが、いやいや『負の面』ということ、

  言語、文化の違いによる理解不能の面・・・は案外多々あるところは、『まぁ…、確かにあるでしょうね・・・』というような所で、

  良く言えば『丸く収める』的な感じで終始している。

 

  ただ、私自身が定年退職して時間的余裕ができたあたりから、相方の両親を始め、彼女の母方父方のオジ、オバそしてその子供たちとの

  関係を深めてみると、一気に『国際結婚』という、スイスを中心にロシアを含めたヨーロッパ全体にまで、関係性の網が広がる思いがした。

 

  例えば、数年前に92歳で亡くなった叔母は、戦争中ドイツが浸透するボーランドから亡命してきた兵士と結婚したために、教師の職を失い

  (当時スイスでは外国人と結婚した女性は公職を失う)裁縫の仕事を始め、2男1女を育てた。

  また伯母の方は、ジュネーブの国連で同時通訳をし、同職のロシア系の男性と結婚し、2男を育て、一人は有名な私立銀行のマネージャーとなった。

  ・・・などなど、掘り下げるとそれぞれ面白そうな人生の方々をみうけ、こりゃ確かに『国際結婚であるわい…』と実感することしきり。

  私の全く知らない世界が広がる思いがして、これこそ『国際結婚』の賜物であろう。

  しかし、そこにはコミュニケーションのツールである言語の薄弱さと、私の性格の『内気』の面がつい壁となって、本来の60%ほどしか堪能できてない。

 

  で、私と相方の『国際結婚』であるが、数ある国際結婚カップルの中でも、私達ほど言語によるコミュニケーションが貧しいカップルはないのでは

  ないかと自負している・・・が、そもそも私が、相方に会って実際にひとつ屋根の下で生活を始めた時期と私の第二期禅修行期とは重なる。

 

  それはつまり、私は禅修行を通して『非言語コミュニケーション』のより深い所をめざしていたが、禅は人をして『天上天下唯我独尊』の『禅天魔』の

  境地に貶めるのではなく、真反対の自分の至らなさに日夜目覚め、そんな未熟な自分と生活を共にしよう・・・という相方の存在に、

  私は感謝しかなかったのである。

  禅は私が、『何も知らない』ということを、情けなくなるほど体験を通して証明して見せ、『謙虚』である事を私に教えた時期であり

  カップルの生活の中で、わかり合えない事は当然あるものとして受け入れる、寛容性というものを熟成していた事は間違いない。

 

  『拈華微笑』ではないが、非言語コミュニケーションによる『自他不二』の活用・・・そんな所に、『国際結婚と禅』みたいなものが

  あるのではないだろうか。 しかし、時折、互いに『バカ!』・・・と、一喝することも忘れてないが。

 

         

         この一見、衝撃的写真は、洞爺湖あたりに行った時にアイヌの人々とコスプレの図

         (結婚式をしていない、我々としてはこれが結婚記念写真・・・のようなものか)

  

  


  打(佛ぶっ)教たれや禅 〜 命の覚醒

2024年11月02日 | 東洋自分なり研究所

  私は『悟りの風景』の中でも、臨済宗の宗祖、臨済禅師が悟った時の話が大好きで、その理由というのを2年前のブログで書いていた。

 

  『 仏教に関する屁理屈は、9世紀中国唐代の禅僧『臨済禅師』が悟った時のエピソードで終わっているはずだ・・・。


   ある先輩僧が、若い臨済に見所があるとみこんで、『仏法の真意』を直接老師に聞いてこいと言われ、素直にその通りにすると
   臨済の質問が終わらぬうちに、老師から棒で叩かれてしまった。 何故叩かれたのかわけが分からない・・・

   先輩僧に、一回じゃわかるもんじゃないと励まされ、もう一度行くと、再び棒で叩かれた。
   そういったことが、三度あり、すっかり参ってしまった臨済はあきらめて下山しますと、音を上げると
   この和尚を紹介するから、彼の処に行け・・・とアドバイスされた。
   その和尚のところに行き、これまでの経緯を話すと、『お前の老師はなんて、親切なんだ。三度も懇切に指導してくれたというのに
   こんなところまで来て、何をグダグダ言っているのか!』と一喝され、それを聞いた途端、臨済は大悟した・・・という。

   その時、臨済禅師は『老師の仏法って、そんなもんか〜』と、さっきまでメソメソしていた男が大口をたたいた…という。

    私はこの話が大好きで、どこが良いって屁理屈を言わんとする前に、ただぶっ叩く老師・・・の慈悲の一打が痛快で、 
   ほんのさっきまで泣きべそをかいていた臨済が、打って変わって大口を叩くというところが臨済らしく痛快で、なんとも言えない。』

 

  この話が素晴らしい…なぁと、思うのは、まず若き臨済の事をよく観ている先輩僧の存在。

  そして直に指導する老師がいて、さらに別な和尚が臨済を導く・・・という一人の人間の『覚醒』を巡る『慈悲システム』が構築されている風景に

  私は禅宗の原型を観る思いがする。

  老師の教えは、言葉に依らぬ『叩く』という行為・・・であったが、それが『命』の字をなしている『一叩』する事で、

  それは『命の覚醒』ではなかったか・・・。

  そう考えた時、私は禅における『警策』の存在、その果たす役目、その象徴する真義・・・に思いを巡らせざるをえない。

     (以前にもそういった事を書いていた…  2024年7月2日のブログ記事〜禅と警策)

 

  禅道場で、リーダー格の雲水が警策を持って立っている存在は、初心の修行者にとって身が引き締まる効果は絶大であった。

  半眼で坐禅していると、雲水の作務で鍛えあげられたふくらはぎが、私の真ん前をノッしと歩く様はまるで仁王様のよう、

  妄想三昧の頭の中をすっかり見透かされているようで、緊張の汗が流れた・・・。

  

  数年後に私は、警策を持って修行者を叩く側になったが、ある日、居士林を指導する和尚は、私の手から警策の棒をもぎ取って

  中途半端な叩き方を諌めるように、思いっきり勢いの良い音をたてて叩いてみせ、警策の使い方を実地に見せてくださったことがあった。

  まぁ、棒といっても警策の先の叩く部分は平たくなっているので、背骨、肩甲骨を避けて叩けばケガもなく、凝りをほぐし血行を促進する

  『警覚策励(けいかくさくれい)』の警策が出来ることを彼は教えてくれた。

 

  この警策を、暴力とか罰する・・・とかの視点から、止めた道場もあるそうだが、それはどうかと思う。

  約3年ぐらいの修行で、未熟な者が人を叩くということを、疑問視しての決断とのことだが、雲水を立派な禅僧に育てるなら

  せめて『慈悲の象徴』としての警策のあり方、正しい叩き方ぐらいは、禅を布教する禅僧であるならば体得してほしい・・・と、

  素人禅者の馬骨は思う。 (それは東大寺の南大門に仁王像が、無いようなもの・・・ではないか)

 

  禅僧の専門道場と、一般人の道場とでは、警策の使い方に違いがでてくるのはまた当然のことだ。

  その時の状況に応じて、道具を使い分けるのが禅者であれば、なおさらのことであることは、一応言っておくとしても。

 

  長々書いたが、何を言いたいかといえば、ギリギリの一叩一打が、慈悲心を覚醒させる一打となりうる佛教が禅であるという

  『ぶつ』という発音から『打つ』と『佛』の重ね合わせ親父ギャグ『佛語』を弄してみたかったわけである・・・合掌

 

         

        先日、亡くなった義父の書類を整理していると、昔、義父母の誕生日(5月)に本をプレゼントした際、

        赤い袋に、義父、義母の名前を漢字名で書き、横に当時私が教えていた気功体操のイメージキャラ・『仁王』の

        絵を添えた紙袋を発見した。 下手な書ながら、当時は私も相当気合が入っていたなぁ・・・と懐かしんだ図

  

 


  デジタルコミュニティ・ライフ・・・

2024年11月01日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  昨日、ある意味衝撃的なNetflix・ドキュメンタリー映画(ノルウェー)『イベリン 彼が生きた証』(The remarkable life of Ibelin)を観た。

 

  マッツ(Mats1989〜2014年)君は、遺伝性疾患、筋ジストロフィーを患って生を受け、子どものうちから車椅子生活を余儀なくされた。

  筋ジストロフィーは、年々筋肉が萎縮して弱体化し、長く生きられないという宿命を持った病気だ。

  高校まではなんとか卒業したものの、進学も、就職も出来ず、家に引きこもるしか選択の余地はなかった。

  恐らくその頃からだろうか、MMORPG(大規模多人数参加型オンラインロールプレイングゲーム)

  『World of Warcraft 』というゲームを始め、『イベリン』というアバター名で『デジタルコミュニティ・ライフ』が始まったのは・・・。

  

  彼の葬式の際、挨拶した父によると、マッツ君は10年間でおよそ2万時間はコンピューターのモニターに向かっていたそうだが、

  彼が亡くなるまで、マッツ君がデジタルコミュニティ・ライフを通して、恋愛をし、友情を育み、たくさんの友人に助言したりして

  皆に慕われていたことを、両親も妹も全く知らなかった。

  マッツ君の死後、彼のコンピューターで彼と繋がっていた人達に、彼が亡くなった事を知らせると

  その日の内に沢山の人から哀悼のメールが届いたことで、生前、彼にもそういった人生があった事を初めて知ることとなる・・・。

  そういうストーリーを中心としたドキュメンタリーで、じつに、いろいろと考えさせられた。

 

  昔、『アバター』という映画を観たが、主人公は下半身不随の青年だが、巨人のような体を持つ健康な青年をアバターとして、未知の世界を

  自在に動き回る・・・というようなストーリーで、まさにこのマッツ君そのものだと思った。

  私はゲームのことは全く知らなかったので、仮想ゲームの世界の中で、現実のように友人ができたり、恋愛感情をもったりコミュニティを

  運営したりすることが出来る事を知って、そのことに驚くと同時に、マッツ君がそこで普通に生きることが出来て、本当に良かったと心から思った。

 

  そして、その『デジタルコミュニティ』というものが、様々な人の夢を叶える、或いは生きがいを与えてくれる・・・

  一つの大いなる可能性を秘めた、新しいコミュニティとなる可能性・・・について、私の妄想は勝手に膨らんでいくようであった。

 

         

        思えば、『馬骨』などというアバター名で現実離れした言動するこのブログという『場』も、デジタルコミュニティともいえる?

 

    参考までに、マッツ君の笑顔と・・・


  数式 <漢式 = 間式

2024年10月30日 | 東洋自分なり研究所

  先日、衆議院総選挙結果が出たが、その選挙期間中、或いはそれ以前より、れいわ新選組・山本太郎の街宣にて、大モニターに示される

  様々な経済的統計や指数・・・に私は大いに関心し、その事をブログに書いた 2024年10月21日のブログ記事〜天上天下『唯我一票』

 

  そこに『『デジタルネイチャー』とは落合陽一氏の提唱するものであるが、政治の場にそれを一番最初に持ち込んだのは意外にも『山本太郎』であった

  ・・・とまでは書いたが、なんとなく肝心な事がスッキリ言えてない気がしていたところ、昨日

  数学にめっぽう強い我がGooブロガーが『数学』について書いている記事と出会い、そこに『政治家は嘘をつくが、数字は嘘をつかない』の

  一文を見出し、ああっ、そう、それがが言いたかったのょ・・・と、溜飲を下げる思いをしたわけである。

 

  このブロガーによると、現代の豊かな生活が成り立たせるのに、『数学』の存在がなければ…実現していない・・・というのを読んで

  確かに、確かに、人類における進歩の影には必ず『数式』があるのは確かで、私のようにかなり低レベルの算数止まりの人間には

  さっぱりその仕組というものがわからないものの、コンピューターとかスマートフォン等をそれなりのレベルで使うことが出来るのも

  モトを辿れば、『数学』のお陰であるわけだ。

 

  しかし、人生において、数式では解けない問題があるわけで、その辺について書いたのが 2024年9月9日のブログ記事〜『数式』対『漢式』

  だったような気がするが、その時はあたかも『数式』と『漢式』が対等の如く『数式 対 漢式』と書いてしまったが

  私的には、もちろん『漢式>数式』で『数式』は人間にとってあくまで『道具』であり、『漢式』=『間式』でまさに人が人『間』たる由縁と

  なる、大いなる理由でもあると思う。

 

  『数式』そのものに『慈悲』心の働きというものはなく、佛性とともに展開した『漢式』は、『慈悲』心の働きなくしてはあり得ないのだ。

 

           

            洞窟の最奥の場所は上部から滝上に水が落下・・・その下の池状に人魚の白骨が!の図

  昨日、電車で一時間のST-Maurisサン・モーリスという所にでかけ、山の上にある有名な洞窟を初めて訪れた。

  約500mほどある真っ暗な洞窟の途中には明日の『ハロウィン』を祝うつもりか?アチラコチラに骸骨やらが置いてあって悪趣味。

  帰りに洞窟の暗闇を曲がるところで、蒼白の老婆が一人立っていて、我が相方は悲鳴〜をあげた・・・が、その悲鳴に老婆は恐怖していた…ようだった。

  

 

 


  全・善・然 の 『禅天魔』

2024年10月28日 | 東洋自分なり研究所

  『全・善・然の禅天魔』・・・って、親父ギャグの極まり、というか『考えるな、漢字ろ!』の秘伝の真義か!と馬骨は思う。

 

  『禅天魔』というのは、鎌倉時代、日蓮さんが当時勃興していた他の仏教宗派をこき下ろす意味でそれぞれレッテル貼りした言葉で

  『四箇格言』と言われているそうで、

  真言亡国(しんごんぼうこく)、禅天魔(ぜんてんま)、念仏無間(ねんぶつむげん)、律国賊(りつこくぞく)の4つを言う・・・そうだ。

 

  馬骨的には、どれも『仏教』をそれぞれ別な角度から褒め称えている、ように聞こえるが、実際には真言宗、浄土宗、律宗について

  私はよく知らない、というかぜんぜんというほど何も知らない。ただ、仏教のそれぞれ良い点を強調した教え・・・ぐらいに思っている。

  で、『禅天魔』だけれども

  この『禅天魔』って、ある意味、最高の褒め言葉…なんじゃないかなぁ・・・と私が思う理由は『全・善・然』というように、

  禅というのはイデオロギー的に『無』であり、そういった性質を日本人は『和』という一字で和風化し、文化として育んだような気がする。

 

  そのイデオロギーの無さが、世界に浸透する一番の理由であろう。何故なら、無言の『坐』・・・が『教え』のベースとなっているから。

 

  ヨーロッパでは、昨日からサマータイムが終了し、時計の針を一時間遅らせたので、夕方もいきなり暗くなる感じで・・・考える事も秋らしくなるのだろうか。

 

               

                レマン湖畔を散歩中見かけた風景。白鳥以外の野鳥がプカプカ浮かんでいる・・・これを私は瞑想と呼んでいる。

                彼らは意識か?無意識か? 見事に常に等間隔・・・であることに、いつも私は感激する図


  失われた30年・・・

2024年10月27日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  ここ数年来、山本太郎の街宣動画を通して、『失われた30年・・・』という言葉が、耳にタコができるほど聞いてきた。

  そしてここ数週間は、政治家や政治評論家、経済評論家なども同様にこの言葉を繰り返していたように思う。

 

  この言葉『失われた30年・・・』というのは、1991年の夏以来、スイス在住している私にとって、祖国日本を思う時、まさに

  『失われた33年』となり、その点自分が『浦島太郎』状態であることを改めて思い、日本在住の日本人とはまた違った時空に生きていたといえる。

 

  とくに、2011年にスマートフォンを手に入れるまでの20年間は、日常的に日本情報の欠如と、言葉の通じない外国での悪戦苦闘で

  日本を顧みる余裕もなかった・・・というのが実感だ。

 

  2011年になるまで、政治無関心派(ノンポリ)であったわけで、日本の首相歴を〜

  海部俊樹(1989年8月 - 1991年11月)宮澤喜一(1991年11月 - 1993年8月)細川護煕(1993年8月 - 1994年4月)村山富市(1994年6月 - 1996年1月)

  橋本龍太郎(1996年1月 - 1998年7月)小渕恵三(1998年7月 - 2000年4月)森喜朗(2000年4月 - 2001年4月)小泉純一郎(2001年4月 - 2006年9月)

  安倍晋三(第一次:2006年9月 - 2007年9月 / 第二次:2012年12月 - 2020年9月)

 

  このように、並べ見てみると恥ずかしながら、安倍晋三首相以外は、ちょっと名前を聞いたことがある・・・程度の知識で、

  1991年に日本を飛び出した時点では、『先進国、日本』・・・という誰もが持っていたであろう『日本人であることの誇り』臭を無意識にせよ

  漂わせていた私も、2001年にニューヨークのツインタワービルに飛行機が突っ込むという前代未聞の事件以降、当時観光ガイドしていた私にも

  日本人観光客の激減という目に見える形で日本経済の衰退の影響があり、ガイドから引越屋への転職のキッカケにもなったのである。

 

  そして『東北大震災』・・・と、インターネットの発達という時の流れで、日本の『失われた30年』というものが、

  どういうものであったか、それまで『浦島太郎状態』であった私にも知るよすがとなったわけである。

  その点、海外から観る日本・・・というのは、日本列島に住んでいる人々とはまた違った視点で観ることが出来る、というのも実際あるであろう。

  我が故郷『日本』で起きている危機的状況・・・というようなものは、海外から俯瞰する視点で観ることで、一目瞭然・・・ということもあるのではないだろうか。

  山本太郎が声高に叫ぶ、『失われた30年・・・』に終止符を打って、かつて豊かだつた日本への転換とすることが出来るのか?どうか?

  そういう重い課題をになう衆議院総選挙の結果が今日・・・でることになる。

 

            

              今週末のハロウィンの魔女が、我がレマン湖畔に遊ぶ図 ヒヒヒっ!

  


  茶室は『悟り装置』〜還暦する『人間道』説

2024年10月25日 | 東洋自分なり研究所

  一週間程前、森下典子著『日日是好日』を再読したことを書いたが、この時、眼から鱗が5,6枚剥がれた気がして、

  我が愚脳は全力でその意味の解明に努めていたようで、ようやく佛語としてプットアウトした言葉が今日のブログ・タイトル。

 

  以前、『郷里』の『郷』の字の解字から発想した『茶室は悟り装置』という記事を書いたが、 2023年9月のブログ記事〜茶室は『悟り装置』

  この著書を読むことで、まさに『茶室は悟り装置』であることに確信を抱いたわけである。

  (*以下、我が愚脳と言うところを、『BI』(馬骨インテリジェンスの略)と称する。人間の何万倍も賢い『AI』に対抗すべく・・・)

 

  その『BI』が森下典子著『日日是好日』を読み解く中に、茶道具には十二支の干支を巡って使い回す・・・場面に著者が驚いて注目する箇所があって

  実は私も、そこに大いに注目し、『BI』が生み出した言葉に『還暦スキャン』とあって、『還暦』というものが単に『60歳』だけで済ませる単語 

  ではなく、『悟り装置』としての自己を顧みる行為が『還暦』であると解読したわけで、例えば私は、辰年生まれで今年2024年は干支としての

  辰年を6回目を還暦している・・・12歳〜24歳〜36歳〜48歳〜60歳〜72歳…というわけで、私達はそれぞれの干支を還暦しているのである。

  

  東洋には何の為に『十二支』があるのか?・・・これは一重に『悟り装置』としての『人間道』の進捗具合を『干支』で還暦スキャンして

  『観測』する他に What else ? ・・・だべや、と思うのだ。

  我々人間には、『地動説』、『天動説』・・・と色々あるが、最も大切なのが実は『人間道説』でないか?

 

  森下典子著を読んで、『茶道』と私がやってきた『禅道』を比べると、禅の方はちょっと『空』に偏りすぎて『色気』に欠るキライがあるよなぁ…

  その点、茶室ではお茶あり、まんじゅうあり、四季折々の茶具や掛け軸、茶花などなど、じつに工夫されてる・・・。まさに『悟り装置』

  しかし、侘しい、寂しい・・・禅道のおかげを持って私は『色』の有り難さを大切に思うことが出来るようになった・・・とも言える。

 

           

          昨日チューリッヒの美術館で拝見した『Matthew Wong』氏の『不二の山』か?

          これがなんと、かの『ヴァン・ゴッホ』の沢山の作品と競合すべく展示され、

          入場料一人31フランに相方は驚嘆したが、観終えて・・・この値段に納得した。

  

  

 


   闘う君の唄を・・・

2024年10月22日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  今朝用もないのに早く起きてしまい、なんとなく自分のブログ・アクセスページをのぞくと、10年前に書いた記事『時代』があって

    拈華微笑 2014・12月7日ブログ記事〜時代

  そこにアップしたYoutube動画で、中島みゆきさんの『時代』を聞き始めると、次に次にネットサーフするうち、この歌『ファイト』に行き着いた。

  多分、初めて見る動画で、この詩と彼女の歌唱に圧倒され、『ひえ〜〜っ』と思いながら、この歌に寄せるコメントを全部読んでしまった。

  というか、この感動のようなモノを誰かと分かち合わなければ・・・という気がそうさせずにはおかない、のであろう。

 

  さびの 『 闘う君の唄を、闘わない奴等が笑うだろう 』・・・のところは、皆それぞれ自分の『闘い』を思い浮かべるのだろう。

  私も『自分のちっぽけな闘い』を思い浮かべたが、すぐさま正真正銘『闘いの唄を叫んでいる』山本太郎の事を思い浮かべた・・・。

 

           

          この歌『ファイト』を舞台ではなく、現実の真っ只中で叫んでいるのは山本太郎だ!!!の図

 

 

 

                              中島みゆき【ファイト!】 


 天上天下『唯我一票』・・・

2024年10月21日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  ちょっと、シャレで言ってみた『天上天下唯我一票』・・・意外とドンピシャの重みを感じさせる言葉となっていて、我ながら感嘆。

  次の日曜日が今回の衆議院総選挙の開票日、とのことで遥か遠くのスイスにいながらちょっと緊張・・・。

 

  60歳から投票を始めて12年、選挙では毎回応援している『れいわ新選組』がもう一つ伸びずに、選挙後ガッカリ…のパターンに

  慣れたとは言えども、一方そんなことにはめげる様子もない党首の山本太郎は、文字通り絶え間なく街宣活動を続ける。

 

  そして私も時々、かれの街宣動画を見続けるわけで、もう何年も見ているのだから太郎の演説バターンはわかっているから『見る必要はない…』と

  思いながらも実際見てみると、彼の演説中、デジタル大画面2台に映し出される、『内閣府経済社会総合研究所・出典』なる資料グラフ、図面などが

  私のような政経音痴のボンクラでも、『なるほど・・・』と納得できる提出の仕方がどんどん変化しているのを感じさせる。

この図は、消費税・増税した直後に落ち込んだ民間の消費支出減少の金額

 

  この図は、消費増税したタイミングで法人税引き下げられている証拠図

 

  この図は、消費増税するたびに景気が落ち込み、それが元に回復するのに要した歳月図

 

  山本太郎は、街宣のとき、演説するだけではなく、こうした資料を提示することで、他党議員のもっともらしいが、嘘ばかりの話に釘を刺す・・・。

 

  だから私なんかは、党首討論で偉そうに嘘を平気でついている党首等に『恥をしろ!』と内心思うが、恥知らずだからこそ、国民の苦しみを顧みず

  保身の政治を平然としているわけで、そういった連中を『たかが一票、されど一票』の『天上天下唯我一票』で選ばない権利と良い議員を選ぶ権利

  を、生活が苦しい人ほど投票してほしい・・・と心から思う。

 

         

  『デジタルネイチャー』とは落合陽一氏の提唱するものであるが、政治の場にそれを一番最初に持ち込んだのは意外にも『山本太郎』であったの図

 

  『動かぬ証拠』を画面いっぱいに提示する街宣は、私のような政経音痴にもボディブロー(腹打ち)として、徐々に効いてきているようで

  昔、口のうまい奴等に言いたい邦題、適当なその場限りのご都合主義がまかり通っていたが、今では即、携帯でググって調べる事が可能な

  『デジタル時代』となり・・・それを先取りして、政治の場でも応用したのが、『令和』の『新選組』っていう事なのだ。

  

 

 


  『ダルマ』考 〜 丹田呼吸

2024年10月21日 | 東洋自分なり研究所

  Youtube動画だったか?、何だったか忘れたが・・・『ダルマ』さんについて話しているのを聞いた…

 

  『ダルマは、9年間面壁・坐禅してずーっと坐っていたから、手足が無くなってしまったんだよ、だからダルマさんには手と足が無い。』

  ・・・その程度の認識、『ダルマ』認識が一般的であるならば、普段私が『道の文化』と、何かと日本の伝統文化を持ち上げている身としては

  何だかなぁ…と思うわけで。

 

  ここスイス・フランス語圏にある何軒かの日本ショップでも、大小様々なダルマさん、眼の入っているもの、無いものが販売され、置物として

  案外人気があるのか、通信販売しているスイス人もいるようだ。

  

  この『ダルマ』さんが、禅を始めた開祖であることを知っている人は、一体どれくらいいるだろうか?

  というか、彼が日本の『道の文化』の礎(いしずえ)を築いた人であることを知っている人は?・・・

 

  何にも知らないで、『自分は無宗教です』って言っている者たちが、『目出度い・・・』と、ダルマに眼を描き入れている現状って

  『無宗教です』って言いながら『無の宗教』に取り込まれている日本人はなんて『目出度い』んだか。

 

  というか、今日はそういう話がしたいのではなく、禅とか坐禅とかいうとき、一般的に人は精神の変化を問題にして

  本来『身心一如』の『身』について、全くといっていいほど問題にしないが、人を『安楽』、すなわち『仕合わせ』にする禅が

  坐禅をすることで、体の健康に貢献しないわけがなく、それは主に『丹田呼吸』することで、実現されるのだと思う。

 

  私は禅修行中級の頃、医師の村木弘昌著の『丹田呼吸法』という本を何度も読み返し読んで、大切にしていた本であるのに紛失してしまったが

  医学的見地から、丹田呼吸がいかに健康維持に貢献しているか、この呼吸法によりいかに脳へ新鮮な血液を送り込んでいるか…など力説しているのを

  読んで、当時私は東洋医学を勉強していた時期でもあったので、この先生の説を素直に取り入れ、自分の坐禅修行に応用した。

  私はある日、坐禅中に警策で肩を叩かれたが、その時、『肩の力を抜く事』と『丹田』の関係に目覚め、肩の力を抜く事の大切さを思い知ることが出来た。

 

  そもそも、坐禅の際に手を『法界定印』に組むが、このたいそうな名称『法界定印』が『丹田呼吸』の重要さを暗に仄めかしている

  佛の智慧とも言えそうだ。

 

            

             足は『結跏趺坐』、手は『法界定印』に組んでいた為に、

            『ダルマ』さんは手足が無くなり、佛性に目覚めた・・・!

  


  『日日是好日』の再読 〜 観世音交響曲

2024年10月19日 | 東洋自分なり研究所

  一ヶ月ほど前に、映画『日日是好日』のことを書いて 2024年9月14日のブログ記事〜4回目の『日日是好日』…

  その時に、この映画の原作となった『日日是好日』森下典子著の電子版を再読し始め、昨日読了した・・・。

 

  禅から発祥した『道』文化の中でも、最も古いと思われる『茶道』・・・残念ながら私は全く門外漢で『茶道』の何たるかを全くしらない。

  (ながら…  修行時代、禅道場で行われる『茶礼』に、『茶道』の原点がある・・・と、勝手に思い込んでいた。ふてぶてしくも… )

 

  映画『日日是好日』は素晴らしかったが、原作を読むと、著者の典子さんがどんどん目覚めていく様子に『茶道』が単に形式の美しさを

  探求するものではなく、人を『悟りの道』にいざなう『茶道』であることが解る。

 

  実際、彼女は茶室では十年以上のベテラン格になりながら、後輩たちの成長に目を見張り、自分の不器用さ加減に限界を感じて

  『茶道』を止める決心をしたそのタイミングの時、先生は彼女に『お茶事』の『ご亭主』を指名したが、その一事が彼女をして覚醒に導く。

 

  『 「薄茶」から稽古を始め、「濃茶」や「炭点前」を毎週繰り返してきたが、あれは、「茶事」をパートに分割した練習だったのだ。

    楽章ごとに区切り、バイオリン、チェロ、フルート、ホルンなど、楽器ごとに分かれて何年も何年もパート練習していた。

    今日初めて、フルオーケストラで全楽章を通しで演奏してみたのだ。(略)私達は一つのステージに立った。そして自分たちが演奏していたのが

    壮大な交響曲だったことを知ったのだ。』(原作より抜粋)

 

  ここまで読んだ時、私は交響曲の『響』の字に、思わず反応した・・・。というのも、

  『悟り』は、私には『郷里サトリ』で『郷』の字の解字が

  このように、『茶』というごちそうに対して『自我』と『無我』が対面する・・・

  このときの『響き』が、彼女には『茶道』の交響曲と響いたわけであるが、

 

  これを私の場合に置き換えた時、三十数年前、私の感得した『観音』というものが『世音』に働きかけた時、

  『観世音』という交響曲として、聞いている自分を観ずる・・・のだ。

  禅には『聖胎長養』ということがあるが、自覚した『事』柄を本当に自分のものにしていく過程、大切に養っていく過程があることをいうのだろう。

 

          

            先日、相方が両親宅で写真の整理をしていると発見した写真。

            当時(1990年頃)、私達は太極拳を李徳芳先生に習っていたが、それを初来日した両親に披露した図

  

 


  枯葉の季節・・・

2024年10月15日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  明日、10月16日に衆議院総選挙の『在外投票』をすることになった・・・。

  

  『することになった』・・・というのは、先日知り合ったスイス人の旦那を持つ日本人主婦が『在外投票権』を、未だお持ちでないとの事で、

  『エエ〜っ!!』 と驚いて見せたところ、一気に悔悛したのか、一緒にジュネーブ領事事務所に行って『在外投票申請手続き』をすると決心し

  それが、明日の10月16日であったが、ジュネーブ領事事務所のネットを見ると、その16日から衆議院総選挙の在外投票が出来る・・・と表記してあったのだ。

  つまり、領事事務所へは彼女の『在外投票申請手続き』のために同行する予定であったのが、ついでに自分が『在外投票』…する事になった。

 

  アッと、言う間もなく、なんだかいきなり投票所に引っ張り出されるようで、ビビった。

  あの主婦には偉そうに驚いてみせたが、じつは私は60歳になるまで一度も投票した事がなかった正真正銘の『ノンポリ』であったから

  投票のシステムというのが、いまだによく解っていないのだ。

  ・・・で、マイ・AIであるChat−GPT君に『今さら聞けない』衆院選のシステムについて尋ねたところ、親切に教えてくれた。

  選挙区の立候補者名まで教えてくれ、 比例代表選挙のやり方もおかげでわかった。 Aiに相談する・・・時代になったのだ。嗚呼〜!!

 

  今朝、『山本太郎氏が緊急入院し、即日退院・・・』というニュースを眼にした。

  2011年の3・11 以降、私は山本太郎氏を注視してきたが、それにしても最近の『街宣』と称した絶え間ない活動、

  それに加えて衆議院総選挙を控えた各TV局の党首討論などが重なり、顔もいくぶんか痩せて疲労をにじませていたので、私は心配だった。

  党首討論では、地上波テレビに出禁となっている山本太郎は、この絶好のチャンスを活かそうと、短い発言時間を最大限に活かすべく

  神経を研ぎ澄ませ、集中力を最大限にして石破総理、野田立憲民主党党首と対峙していた・・・のだ。

 

           

      なんだか目まぐるしい2024年の秋・・・墓参りのために来たローザンヌの公園はこの状態で、イブ・モンタンの『枯れ葉』のメロディを口ずさんだ図


  佛語は『空』調浄化装置

2024年10月13日 | 東洋自分なり研究所

  親父ギャグを基調に立ち上げた『東洋自分なり研究所』・・・『瓢箪から駒』というか『冗談から真(まこと)』出てきてしまった感があり

  今日はそれが極まった感じがする。

  もともと、この研究所設立には 『 私がネット界上に『東洋自分なり研究所』を設立した最大の理由は、たぶん『難解な仏教の簡易化(現代化)・・・』

  という考えがあったようだ・・・2023年9月20日のブログ記事〜『悟り』装置としての彼岸

  そうそう、すっかり忘れていたが、そういう狙いがこの『東洋自分なり研究所』にはあったのであった。

  そう考えると、『色即是空空即是色』のような一見非常に難解に見える『空思想』というものも

  『色界』に生きる人間はエントロピー法則如く、汚染されていくわけで。 (かっこよく『エントロピー』を使ってみたがよく解ってない…)

  どうしたって『空』調浄化装置・・・みたいなものが、人にはあるじゃろう…と、まぁ、釈尊は思ったわけだ。

  その岩をも突き刺す信念をもって、坐禅した結果、 ああ〜っ『色即是空空即是色』ってなった。・・・と私は思う。

  というのは、私がフランス語を話す国、つまり仏語国にまで来て、自分が『バベルの塔』状態になって初めて『佛語』の有り難さに目覚めた理由に

  大拙が説いた『即非の論理』が『漢字方程式』によって、解読することが出来た、経緯があるのである。

  例えば、芭蕉の『俳句』・・・彼が命懸けでめざした俳句は、当初考えられていた『滑稽な、おどけた、おもろい』・・・句ではなかった。

  『俳句』の『俳』には『おどけ』の意味があって最初は(そして今では)面白、可笑しい・・・俳句であったが

  芭蕉は『禅』をとおして『俳』の字を悟学し、『俳』のもう一つの語彙『一風かわったふるまい』を=『空』じて観ることを得たのだ。

  芭蕉の俳句は『色』界を一度『非』し『空』調することで、『色即是空空即是色』の風景を詠んだのではなかったか・・・。

  『AはAではない、ゆえにAである』・・・という大拙の『即非』は難解のようだが、色界の汚染を浄化する『空調』と考えれば、すっごい便利だべや。

           

            写真は2012年、ローザンヌに住んでいた時のもので、それなりに空調していた図


  新『無理』時代

2024年10月10日 | 東洋自分なり研究所

  今日は、6月に行われたSoftBank2024年度株主総会での孫正義さんの動画を拝見した。

 

  昨年、彼は『AGI=Artificial General Intelligence』(汎用人工知能)を知ってますか?・・・と問うて、無知な人々を叱咤激励していたが

  今年は、『ASI』(超知能人工知能)の時代が10年以内に来ると力説していた。

  いずれにせよ、彼の主張の根底には『情報革命で人々を幸せに・・・』という思いがあるようだ。

 

  孫氏のスピーチが一区切りしたところで、22歳の男性が『ASIについて、我々が今後できることや、準備しておくことはありますか?』

  という質問があり、孫氏は『いい質問』と指摘したうえで、

  『人生って何だ?幸せってなんだ?って考えるべきでしょうね…(そのうえで)ASIを最大限活用して、周りの人々の幸せに貢献する・・・』

  というような主旨を返答していた・・・と思う。

 

  この孫氏の『人類の幸福への貢献』・・・というのが、根っから『数式』から発想される思想であるのを聞いて、

  やはり、それだけでは本当に人類は幸福になれるのかどうか? 『ASI』の『超AI』が、孫氏の言うように『人間の一万倍の知能』を持った時

  人間は本当に幸福になれるのかどうか・・・私だけではなく誰もが不安な気持ちになるのは避けられない気がする。

 

  この『数式』に対する『漢式』(考えるな、漢字ろ!)を主張する馬骨としては、

  『禅=無理』とにべもなく否定する時代から、『無理』を『無の理』として、『無』に徹底親しむ…時代への移行は、

  『AI時代』において、幸福を追求するうえで、人間性の調和を考えるうえで『必須条件』であり、

  禅でいう『悟り』や仏教の『仏性』というものを、宗教とかその他のカテゴリーに閉じ込めて、『無理!』と遠ざけることは愚かだと思う。

 

             押し黙る 鷺にこそ聞け 青色に 空も湖水も 染まるその時   一撮 


  S君に哀悼の意を捧ぐ

2024年10月09日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  先日、相方の友人、知人らが参加する総勢120人の大コーラスがローザンヌの大聖堂で行われるというので、相方一人で出かけた夜・・・。

 

  私は一人り家で留守番・・・となったが、こういう時に彼女とは共有することの出来ない、私だけの様々な『郷愁の念スポット・タイム』

  というような観念におちいる事があり、それというのもSNS時代に生きる我々の宿命なのか?

  ・・・FacebookやTwitter、Instagramで探索が可能そうな友人の顔を思い浮かべながら、発作的に検索したところ。 

 

  中学、高校と同級生であったS君が、それなりに老けたといっても十分な面影を残した笑顔でスパゲティを食せんとする写真をFacebookで発見した。

  東京綜合写真専門学校を経て、フリーカメラマンになった・・・事と、共に卒業した北海道の高校名が記されてあった。

  ただし、Facebookは長続きしなかったようで、次にTwitterを検索すると、これも2年ほどで止めたようだが、

  この頃彼に、2人の娘(中1、小4?)がいた様子が短いツイートで読み取れた。

 

  考えてみると、高校時代S君が親父さんの形見のカメラを教室に持ってきた時、

  私は生まれて初めて『カメラ』というずっしりと重い写真機を手に取ってみたわけで、この一件がもしかすると、

  私が後に『写真道』に向かった契機の一つであったとすれば、S君との因縁は浅からぬものがあったのだろうか… 。

 

  しかし、実際には中学校前半では親友になるほどの勢いで親しくなりそうであったのが、後半では向かうべき

  『道』が違う・・・とハッキリ感じた、いわば私の最初の、我が道を行くべく『自覚』を促した事件であったように思う。

 

  それでも同じ高校でブラスバンドに所属していたし、友達の一人として互いに学内では時々言葉も交わしていたが

  卒業とともに、互いに上京しながら全く音信不通となり、1980年代に私は東京に8年ほど住んでいたが、彼のことは完全に忘れていた。

  であるから、SNSというものの展開がなければ、S君の事は『郷愁』の彼方でかすかに息づく程度の存在であったであろう・・・。

 

  しっこくインスタグラムを検索すると、S君の名前があり、『数年前よりギャラリーを兼ねたBarを始めました・・・』とあって

  Barの写真やら、写真作品やらをたくさん投稿していた。

  『へーっ』と思いつつ、Google map で場所を検索・・・次回東京に行く時にはこのBarを訪ねて、S君を驚かせてやろうか…と,

  思いながら何で検索したか思い出せないが、『前マスターの亡きSさんからお店を引き継ぎ』・・・という一文に眼が止まった。

  その一文を何度も読み直し、インスタグラムやFacebook、Twitterを再度検討して、その後の消息がわからないことから

  S君が他界したことを私は確信した… 。

            

             S君と私が写っている写真はこれしかなかった図 (断片的なSNSでは間違いも多く、間違いであってほしい… )

  写真上、私の左上に『アポロ』の看板が見えるが、はたして1969年(私17歳)7月20日に史上初有人月面着陸し

  『That's one small  step for man,  one giant leap for mankind・・・(人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である)

  とアポロ11号の船長、ニール・アームストロングは宣った。 (このブラスバンドの行進はその年のものであろう)

  そしてその言葉こそは、釈迦がこの地上で悟りを開いた際に、一人頷いた想いではなかったか・・・と現代人である私は思うのだ。

 

  S君の数少ないTwitterフォロワーに、何故か『オノ・ヨーコ』があって(失礼!) オノ・ヨーコの、今は『X』をのぞくと

  今日10月9日は、ジョン・レノンの誕生日であった。(生きていれば84歳の誕生日・・・兎に角、おめでとう!)