自燈明・法燈明の考察

日本は必ず復活する、、か

 今日は連続で記事を書きます。

 皆さんは「日本のいちばん長い日」という映画はご存知でしょうか。これは太平洋戦争の末期、日本がポツダム宣言を受諾するまでのノンフィクション書籍を映画化したもので、1967年に映画化されましたが、その後、2015年にも映画化されました。内容は鈴木貫太郎内閣がポツダム宣言の受諾を進めるまでの出来事と、陸軍青年将校による宮城事件(クーデター)について、かなり緻密に描かれたものです。

 この映画(2015年版)の中で、阿南陸軍大臣に扮する役所広司が、ポツダム宣言を受諾するに際して「日本は必ず復活する」という台詞がありました。

 正直、太平洋戦争とは日本帝国政府や軍部のお粗末な対応もあって、敗戦という事になってしまいましたが、この戦争を遂行した多くの人達にとっては「日本を守る」「日本の未来を守り抜く」という想いがあった事は間違いの無い事でしょう。神風特攻隊の話にしても、けして賛美される内容ではありませんが、彼らにしても、日本の未来がより良い未来に成る事を信じて命を散華した事もあると思います。(全員が全員とは言いませんが・・・)

 しかし、ここ近年の日本の状況はどうなのでしょうか。

 自民党の政治資金裏金問題も然りですが、今の日本の政治家の中には残念な事に「国士」と呼べる人物はいません。また何回かこのブログにも書きましたが、日本が過去にアメリカと戦争をしたという歴史的事実すら知らない大学生までいる始末です。多くの人達は「己の利益」のみを考え、「公共」という意識もかなり薄れてきている様に感じます。そもそも日本という「国」の重要性すら論ずることも出来ない社会になっているのではありませんか?

 だからと言って、私は何も戦前が良いという事は言いません。今の世の中で、戦前を語るのに浪花節的な懐古主義で語られる事が多くあります。しかし戦前の日本であっても様々な問題がありました。貧困にあえ地方や農村では、自分の娘を売って生きながらえる農家や、人権などという事が無い丁稚奉公という事もありました。私の亡父は山形の山奥育ちでしたが、家が炭焼きで何とか生活を維持していたそうですが、そんな中で亡父は地主のもとに小学校を卒業したら、低賃金で奉公に出された事を聞いて育ちました。

 しかしそれでも、地域社会の文化やしきたり、また日本という国に誇りを持ち、自主独立という事を真面目に考えていた人達も多くいました。歴史小説家の司馬遼太郎氏も「庶民の歴史を悲劇だけで見る事は出来ない」と言っていますが、戦前の日本には、多くの庶民哀歌だけではなく、日本独自の強みや誇りというものは確かに存在しました。大家族制度、「和の精神」を基にした地域の繫がりの強さ等々。これらの事は百田尚樹氏の小説にも描かれています。

 しかしこういった、いわば「日本の国としての文化」については、太平洋戦争後のGHQの統治によって、多くは奪われてしまったのではないでしょうか。以前に福沢諭吉は「一心独立して一国独立す」という名言を残しましたが、戦後の日本ではこの「一心独立して」という精神的な部分を、根こそぎ抜き取られてしまった様に思うのです。

 それが現実の国の姿として現れてきたのが、戦後七十年を過ぎた頃、2015年前後であった様に思えるのです。(これは勝手な私見ですが)

 最近、岸田総理は憲法改正を急ぐという事を言っていますが、今の日本は本当に「独立国家」足りえるのか。政治家の中で「国家」を理解している人がどれだけいるのか。そんな状況で本当に「日本人」の為の憲法改正が出来るのか。そもそもそんなレベルの政治家しか日本人社会は輩出できないレベルに陥っているのではないでしょうか。

 近年では「クルド難民」が代表的な出来事になりますが、日本は少子化が急速に進む中で移民政策に舵を取るべきという意見も多くあります。そこでは日本社会に外国人の浸食が徐々に大きくなりつつあるように感じます。これは経済的な事についてもですが、国土的な事についてもです。恐らくこのまま進めば、早晩、日本という国は名前こそ残っていても、いわゆる民族としての文化や歴史を持った国としては残らないと感じています。

 こういった国家の様々な問題の淵源を深く洞察していくと、その要因はやはり太平洋戦争に敗戦した事によると思うのです。要は戦後の日本は、アメリカを中心としたGHQに占領され、サンフランシスコ条約によって形式的には独立国家に復帰した事になってはいますが、未だアメリカの頸城から抜け出ていない敗戦国なのではないかと。

 今の日本は政治的にも経済的にも、また文化の動きでさえもアメリカの意向が、深く社会に浸透して動かされている様に感じています。しかしそういった現実を、多くの国民は感じてもいません。

 果たしてこれで「日本は必ず復活する」事が出来るのでしょうか。

 ネットを中心として、いわゆる国内の「右翼層」も、こういった危惧を持っていて、様々な意見を述べていますが、最近の私はそれも「時既に遅し」という感を拭い去れないのです。

 ただし一方でこういった考えが頭をよぎる事があります。

 ここまで書いた内容は、よく言われる「民族主義」「国家主義」というものに近しい考え方です。ただし人類社会の悲劇と言える戦争の原因として、この「民族主義」「国家主義」は体よく利用されてきました。だからこういった思想を排除する事で、人類社会の中で少しでも平和に寄与できるのでは無いかと。しかしそれは民族の「独立」を失う事を意味し、その先では占領する側の許容範囲の中でのみ、被占領側の民族や文化の独自性は許容される事になるのです。国家の独立を亡くすという事はそういう事であり、だから世界各地では未だ独立運動が盛んに勃発しているのでしょう。先に挙げた「クルド人」にしても、国家無き大民族と言われています。だから日本の一部に自分達のコロニーを建設したいと考えているのではありませんか?

 今の日本はアメリカの許容する範囲内において、独立国としてふるまう事を許されています。これは紛れもない現実です。政府のホームページで「日米合同委員会」を検索してみれば、わかる人にはわかります。

 ただこの問題は、けしてブログの1記事で語り尽くせる内容ではありません。日本に住む日本人は、もっとこういった事を真剣に一人ひとりが考えるべき時期に来ているのではないかと思えてならないのですが、皆さんは如何考えますか?


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コメント一覧

jitou_houtou
perfectwinさん
コメントありがとうございます。
確かに仰る様に、今の人類は大きなパラダイムシフトに襲われている状況なので、従来の価値観を変えなければ生き残れないと感じています。しかしそれを感じている人がいったいどれだけいるんでしょうね。。。
perfectwin
決して政治的なことだけではなく、これまでの価値観を捨ててまったく新しい価値観を持たないと、復活するどころかますますダメになっていくと私は思っています。
もはやその事の良し悪しではなく、生き残るためにはどうしても必要なことだと思います。
変化を拒否するものは必ず滅びますからね。
もっとも、このままだと、日本だけじゃなく、人類そのものが滅びてしまうかもしれませんが(-_-;)
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