この前の土曜日から私は夏季休暇に入りました。しかし今年の日本社会は新型コロナウィルスの感染拡大が、再度勢いを増しているので、どこかに出掛けるとか、そんな事は出来ないです。
例年だと、例えば知人家族とキャンプ&バーベキューのお誘いがあったり、また家族で何処かに行ったりとしていましたが、今の状況でそんな事は出来ません。幾ら今の政府が「GOTOトラベル」をやろうが、自分自身の判断として、今はそんな事をするタイミングではないと考えているのです。
新型コロナウィルスのパンデミックもそうですが、これからの時代、付和雷同で行動を起こす時代ではなく、自分自身の頭で考えて、一つ一つ判断して行動する時代になっていると私は考えています。
さて今日のお題です。
池田会長が最後に姿を見せたのは2010年。今から十年近く前の事です。最近になって池田イズムが先鋭化した活動家が多いのも、この長期に渡る池田氏の隠遁が関係していると、私は考えています。
池田氏の安否はどうなのか。その事について創価学会の中では話題になる事はありません。この段階に至っても常に「お元気な池田先生」という事で、活動家幹部は語っています。ただし私の旧知の友人の活動家等は「そんな事言っても実際はどうなんだろう」「師匠の実情を知ることが出来ないのは、弟子として不甲斐なさを感じると共に、本部は何故教えないのか」「俺たちを信用していないのか」と訝しがってます。
私が個人的に知っている人達に依ると、池田会長は既に脳梗塞を五回発症し、以前(数年前)に学園の卒業式に、生声による祝電が入ったそうですが、長男の博正氏が「通訳」する事で、意味が判別出来るという状況だったようで、つまり会話もままならない状態であったと言うのです。
果たしていま、彼の人が生きているのか、それさえも疑わしく思えてしまいます。
創価学会の中では、先にも紹介した様に、「お元気な池田先生」を信じて、創創価学会本部の発信する様々な池田会長の情報を信じ、その発信された情報を「池田先生のご指導」と信じて、組織の指導のもとで活動に励んでいます。
しかしネットを通じて見える姿は、幾つかの姿に分かれています。
ある人は池田会長は壮健で居ますが、信濃町の本部に幽閉されているかの様に発言を封じられてしまい、いまの創価学会は信濃町執行部の意のままに操られていると信じている人。だから創価学会を執行部から奪還しなければならないとする人達。
またある人は、池田会長は既に体調を崩していて、表舞台に出れる状況ではなく、いまの創価学会は信濃町執行部はそれを良いことに、池田会長の名前を使って好き放題している。だから後を継ぐ自分達がその師匠の真意を体して、社会の中で活動をしていこうとする人達。
そしてこの両者に共通する事として、例えば「れいわ新選組」の活動によって、その池田会長の想いを社会の中で打ち立てて行こうという人も多くいます。
その他にも、様々な「池田門下」というのが派生しており、まるで分派組織の様な体裁となってしまっています。
今の創価学会の周辺の主流というのは、「アンチ」にしろ「罵詈活」にしろ、この池田イズム(池田哲学信奉者)という人達を中心になりたっており、初代の牧口会長や二代の戸田会長。またそもそも宗祖と呼んでいた日蓮に戻る人とか、そこを依り辺にする人達というのは、実に少数派となっています。
波田地氏の言う「八重の相対」というものは、こういった池田会長に心酔する人達の中にあるものを、教学体系の様に表現した言葉なのかもしれません。
さてこんな事を書く私はというと、別に池田イズムを信奉している立場ではありません。これには恐らく男子部で活動を始めた時に教わった「池田会長像」というのが少なからず影響があると思います。
私が学会活動を始めた時には、僧俗和合路線であり、宗門の日顕師、学会の池田会長という2つのトップを教えられて来ました。ある時、先輩に次の質問をしました。
「天に太陽が2つ無いと同じく、師匠というのも1人であるはずなのでは?」
すると先輩は次の様に語りました。
「いいか斉藤、信心の師匠は日顕上人で、人生の師匠は池田先生なんだ」
この回答に当時の私は納得した訳ではないのですが、そんな事なのか程度の心境だったのです。
そして平成三年に勃発した第二次宗門問題。そこでは今まで「信心の師匠」と呼んでいた日顕師を徹底して扱き下ろし、芸者写真だ奥さんのホホホ豪遊買いだ、しまいにゃ寺族や閨閥主義だと、ある意味で完膚無きまで徹底して、この「信心の師匠」という事を破壊しました。
因みに私が第二次宗門問題勃発時に思ったのは、池田会長だって間違いはあるだろう。宗門も同様だし創価学会も同様だ、という事でした。
しかしその後、創価班広宣部の活動を通じて学会の中で教わったのは、理は創価学会にあるという事でした。ただそうは言っても前にこのブログで紹介した様に、宗門問題の本質は、創価学会問題であるという事、そしてこの先、信濃町本部からおかしな輩は出てくると想定もしていました。
だからある意味で、今の創価学会のオカシな事は想定内だったのです。ただ想定外なのは、同じ広宣部にいて、青年部時代に共に語らった仲間の多くが、今のオカシナ創価学会を現場で動かす幹部であり、誰もが疑問に思わずに選挙だ新聞啓蒙だと走り回っている事です。
「青年部時代は理想、壮年部になれば現実の組織を動かす責任がある」
恐らくそんな言葉で納得しているのでしょう。でも果たしてそれで良いのか。
しかしこう言った現実容認の為の言葉も、実は池田イズムを背景にしていて、その指導性とは、池田会長が過去に述べた「組織を守り、組織に尽くしぬく」という言葉に象徴されています。
あと私が創価学会組織の異常さを感じたとき、その要因には組織文化や思想性に問題があると感じてもいました。そしてその思想性とは池田イズムを含んで捉えてもいました。だから幹部悪を糾弾するとか、信濃町執行部を批判するというのは、解決策とも思いませんでしたし、根っこに思想性があるならば、そこをしっかりと自分自身で確認したいとも思ったのです。
そもそも「過去の正しい創価学会の姿に戻す」なんて考えもしませんでした。
池田会長は私の人生に多大な影響を与えはしましたが、私の人生の全てではありません。私の人生は時々にめぐり逢い、共に働き語らった多くの人達の影響を受けてきましたし、その中には創価学会の人間も居たと言うに過ぎないのです。
「私は池田門下の、本門の弟子である」
こんな拘りを持つと、人生で大事な事を見落とす可能性もあると、私は思います。幾らおかねがあろうと、地位や名誉があろうとも、万人平等に人生の時間は有限なのです。だから、池田イズムに人生を振り回されないように、しっかりと地に足つけた思想性を、自分の中に構築する必要があるのではないでしょうか。