自燈明・法燈明の考察

日蓮を切っ掛けとして、仏教やこの世界に対する思索を始めました。

池田大作という人物像についての考察

2021年01月05日 09時25分50秒 | 創価学会の歴史関係
 さて、今回の記事は池田大作という人物像についての考察を少し書いてみたいと思います。私が創価学会の活動から離れた当時、とある先輩が私の事を心配して尋ねて来てくれました。そして近所のファミレスで夜遅くまで語り合いました。
 その先輩も今の組織の有様を見て、呆れかえる事も多々ある中で、とある地元の壮年部の幹部(職員幹部)に文句を行ったところ、役職解任となっていました。男子部時代には私も大変にお世話になった人で、特に創価学会の義理・人情を体現していた様な先輩でした。

 「なぜ創価学会は、こうも変質してしまったのか」

 その事について先輩は「池田先生の御心を皆が忘れてしまった結果、組織が官僚化してしまったから」と語ってましたが、当時から私が思っていたのは、そもそも創価学会の思想的な問題があっての事であり、相当根が深いという事でした。

 その後、私は「池田大作」という人物がどの様な人間像であったのか、まずそこを知りたいと、インターネットを通じて様々な人から話を聞いてきました。

 創価学会では「池田先生にお会いする」と呼んでますが、それは会館や各種会合等で、一瞬の出会いの事を言います。けして直に会った上に、親しく会話をするとか、直接言葉を交わして親交を持つと言う事を指していないのです。私自身、創価班の関係や、男子部組織の上で区男子部長や県幹部をしていましたので、本部幹部会の本会場や、その他の場所で数回ほど「お会い」した経験もありますし、お小遣いとして数千円頂いた事もあったりします。しかし直接会話をした事もなく、その人物像については、幾人かの大幹部を経て伝えられた事しか知らなかったのです。

 「池田先生とは、実際にはどの様な人間なのか」

 私が活動をやめた時、まずこの事を知りたいと思い、人脈を作る中で様々な人とやり取りをしました。これはメールのやり取りや、時間があれば直にお会いしたり、オフ会があれば参加したりと様々な形で行いました。既に鬼籍に入られた友岡雅弥氏も、この当時、その流れの中で会うことが出来ました。

 そして解った事は、本部職員の中では池田氏に「恐怖感」を持っている人も居たと言う事です。これは某全国幹部の家族の方からお聞きしたのですが、「池田先生とはどんな人ですか?」との私の質問に対しては「恐ろしい人」と語り、より具体的な事を聞こうとしたら「危険だし恐ろしいので勘弁して欲しい」と言われたのです。
 池田氏は自分の身内には気が細やかで優しく見えるが、少しでも意に反する行動を取る人には容赦ない人物であると言ってました。だから下手に批判する意見を述べ、それが漏れ出し出所で突き止められると恐ろしいので、それ以上、この話ならしないと突っぱねられました。

 また友岡雅弥氏に聞いた話としては、池田先生は強いカリスマ性を持ち、良くも悪くも「人たらし」の能力はずば抜けており、ゴルバチョフ氏やローザ・パークス女史も、池田先生に魅入られた人だと語ってました。また暗記能力も相当あり、要人との会談前に第一庶務のまとめたメモを一読しただけで、会談の席ではその内容を「自身の言葉」で語ってしまうと言うのです。その能力は素晴らしいものだったと聞きました。

 あと他には「中身が空っぽな人」という人物評も聞きました。それは自身の意見というのが無く、常に側近に付いた人物により、その意見はコロコロと変わるとも言っていました。

 他にも元職員であった人などからも話を聞いたりしましたが、そこで語られたのは末端組織で語られる様な人物ではなく、極めて俗人的な人物評だったのです。この事から私は、かの石原慎太郎氏が語った池田大作評の「偉大なる俗物」というのが一番適切な表現であると思いましたし、小説・人間革命にある山本伸一というのは、やはり架空の人物像であったと理解したのです。

 因みに小説・人間革命が篠原善太郎氏の代筆である事は、こういった事を知った後に聞きました。これは人間革命の中で紹介された人物のご家族の人から聞いた話ですが、その人も学会本部から呼び出しを受けて、そこに行くと篠原氏がいて、様々な当時の状況についてヒヤリングされ、その後、人間革命にその身内のエピソードが掲載されたと言っていました。

 「ああ、やっぱりそうだったんだ」

 その代筆の話を聞いた時に、私はあまり驚かなかったのも、先の話を事前に聞いていたからでした。

宗門問題
 こんな池田氏の実像について、信濃町の執行部の中ではどの様に思われていたのでしょうか。これについては、第一次宗門問題当時の様子から推察出来ます。

 第一次宗門問題当時、池田氏は「五十二年路線」や「御本尊謹刻(摸刻)問題」で追い詰められていました。一方宗門でも正信会運動が吹き荒れる中で、この池田氏の言動により日達師も立場も危うくなっていました。この宗門問題を解決する方法として、当時、池田氏は宗門に対して一連の事を謝罪するという事で収める事となり、会長職を勇退するまで追い詰められました。
 この会長職を勇退するに至った経緯は、過去の大白蓮華別冊「日顕退座要求書」の中で語られている様に、当時の信濃町幹部から謝罪する事を申し渡されたのです。「私はこの事は絶対に忘れない」。これが当時の池田氏の言葉でした。

 つまるところ第一次宗門問題の本質とは、「創価学会内のクーデター」ではなかったのか、私はその様に理解しています。

 その後、会長職を勇退した池田氏は信濃町本部にも居場所がなくなり、行きついたのは神奈川文化会館でした。そこで池田氏は会員を背景につけ「正義」という揮毫をしたため、復権のために反転攻勢に出たのでしょう。結果、池田氏は見事に信濃町本部に復権し、クーデターを企図した幹部は池田氏の軍門に下らざるを得なかった。そういう事ではないしょうか。

 その後池田氏は、自身の復権の源となった会員との結びつきを、より強固にすべく、文化祭運動と本部幹部会同時中継を開始しました。しかし信濃町幹部も強かであり、この池田氏に面従腹背の姿勢を見せながら、時を伺っていたのかもしれません。

 復権した池田氏のピーク。それは戸田会長の三十三回忌の大法要であったと私は思っています。

 「大法要、仇を討てとの響きあり、君らの使命と瞬時もわするな」

 これは当時、池田氏が詠んだ和歌ですが、ここで「仇を討て」というのも、表面上は宗門に対しての様に見えますが、実際には信濃町にくすぶるクーデター実行犯に対しての言葉の様にも思えます。

 この戸田会長の法要の後に、第二次宗門問題へと突入しますが、この当時に私は創価班の広宣部へと入る事になりました。当時の先輩から第二次宗門問題の目的について「宗門に体現される権威主義は、実は創価学会の中に巣くう姿でもある。対宗門という姿勢を取りながら、実のところは創価学会の中に巣くう悪との闘いなんだ」と教えらましたが、当時の私には今一つ理解できない話でした。

 そして宗門問題では、対宗門に対しては一定の勝利の姿を示す事が出来ましたが、結果として「仇を討つ」という目的は達する事が出来ずに終わった事が、近年の創価学会の状況を見ると理解できます。

 ここまでが、私の考察した宗門問題と学会の内部抗争の構図です。あくまでも私個人としての考察であり、これが事実とは言いません。しかし長年に渡り見てきた結果として、私はこの様に感じた次第です。

◆指導者としての資質
 さて、では池田氏の「指導者としての資質」はどうだったのでしょうか。私が思うに池田氏は後継者の育成には失敗していると思うのです。

 第二代の戸田会長は、その門下には様々な人物がいて、結果として急速膨張する巨大な宗教組織をまとめ上げてきたと思います。秋谷元会長、森田元理事長、そのほか多くの戸田門下がいました。しかし池田門下はどうでしょうか。

 山崎正友氏も「極悪人」と言われていますが、池田門下の一人です。また原田会長にしても谷川主任副会長にしてもそうです。正木元理事長に至っては、創価大学閥の筆頭幹部でしたが、今ではどこに消えたのかさえ分かりません。

 よく今のアンチ創価学会の人の中で、信濃町執行部を「悪の権化」の様に指弾し責め抜く人達がいますが、少なくとも現執行部の筆頭である原田会長や谷川主任副会長、八尋主任副会長を身近に置いて「薫陶」したのは、池田氏という事実をどの様に捉えているのでしょうか。

 池田氏をまるで本仏が如く仰ぎ、恋慕する人達の多くは「お会いした」といっても瞬間の出会いだけであり、その池田氏の実像は、小説・人間革命の中にある「山本伸一」の姿と信じ切った人達です。実際に池田氏の実像を身近に見て、直接薫陶を受けていたのは信濃町の幹部連中であり、それが今の創価学会を支えているのです。この事実をどの様にかんがえるのでしょうか。

 私は「希代の人たらし」であり「カリスマ性」を備えた「空っぽな俗人」である池田氏は、後継者の育成を出来る器が無かったと考えているのです。そもそも同じ戸田門下生の仲間内からクーデターを起こされ、失権してしまうような人物であり、指導者としての資質には欠けていたのではないでしょうか。

 ここまで書き連ねてきましたが、思うに池田大作という人物は、中国共産党の毛沢東に似ているのかもしれません。

 毛沢東は、自身が失権したのち、紅衛兵という若い世代の前衛的な共産党員を利用して、当時の共産党幹部を大粛清しました。これは「文化大革命」という事で知られていますが、結果として中国という国家を疲弊させ破壊してしまったのです。

 創価学会の中の池田氏もこれに近い事をしていたのではないでしょうか。そして結果として「日蓮正宗創価学会」という組織を破壊してしまい、結果、残ったのが新興宗教の様な「池田創価学会」であり、それが今の自公政権を支えています。

 ここまでは私の考察した内容です。これがけして真実だとは言いませんが、少なくとも「日蓮正宗創価学会」よりも、悲惨な組織になってしまった事は否めないと思います。

 中国共産党は、いまだに毛沢東のカリスマ性を利用して国内を統治しています。同様に創価学会も池田大作のカリスマ性を利用して、今後も組織統制をしていくと思うのですが、どうも人材不足の感は否めません。

 恐らくこのまま行けば、団塊の世代が居なくなるころには、名前のみあって、実質上の組織は空虚な団体になっている事だろうと、私は思っているのです。



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仏とは生命なのか➂

2020年10月04日 09時03分09秒 | 創価学会の歴史関係
 ここまで読んできて、戸田会長の「生命の本質論」について、どうも特筆すべき内容があるというものでは無いというのが、率直な私の感想です。ネットの中ではこの戸田会長の論文が如何にも素晴らしい内容であるという話もありましたが、今の私がこの論文から何か新たに得たという事はありません。

 ただ昭和30年代においては、この論文も先進的な内容であったという事なのかもしれません。しかし時代が経過する中、この内容については陳腐化してしまったという事ではないでしょうか。

 今回の部分は「生命の連続・法報応の三身常住」という箇所について読み返してみます。



◆生命の連続
 ここで戸田会長は生命は連続であり、死後の世界や輪廻転生について言及しています。戸田会長は「死」について法華経如来寿量品にある「方便現涅槃」という言葉を取り上げ、「死」という事については、方便(仮)として涅槃(死)という姿を示すという事を述べています。

寿量品の自我偈(じがげ)には「方便現涅槃」とあり、死はひとつの方便であると説かれている。たとえてみれば、眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的からみれば、たんなる方便である。人間が活動するという面からみるならば、眠る必要はないのであるが、眠らないと疲労は取れないし、また、はつらつたる働きもできないのである。
 そのように、人も、老人になったり、病気になって、局部が破壊したりした場合において、どうしても死という方便によって若さを取り返す以外にない。

 果たして「死」というのはどういった事なのか。医学的に言えば「生に不可逆な状態」という事と言われていますが、これを戸田会長は「生を継続できなくなった場合には、仮に死という事を経て生を継続する」という観点で語られています。
 これは確かに視点としてありえる事と思います。ではここまでして継続される「生」の目的とは何か、そこにどんな意義があるのか、そういう事についての言及はこの論文についてはありません。

 生命の本質論という割には、そういった根本的な事について論究していないという事に、私はどうも片手落ちの様な気がしてならないのです。

 またここの部分では、死後の生命については「冥伏」という言葉で簡単な説明に留めています。

この死後の大生命に溶け込んだ姿は、経文に目をさらし、仏法の極意を胸に蔵するならば、しぜんに会得(えとく)するであろう。この死後の生命が、なにかの縁にふれて、われわれの目にうつる生命活動となって現れてくる。ちょうど、目をさましたときに、きのうの心の活動状態を、きょうもまた、そのあとを追って活動するように、新しい生命は過去の生命の業因(ごういん)をそのままうけて、この世の果報として生きつづけなければならない。

 この論文の他の部分では経典や御書を頻繁に引用していましたが、この部分に関しては「経文に目をさらし、仏法の極意を胸に蔵するならば、しぜんに会得(えとく)するであろう。」という言葉に留められているのです。
 またこの後につづく「法報応の三身常住」という事でも、同じく経典や御書を一切引用する事なく、生命は過去から現在、そして未来へと常住するという事をただただ述べています。

 これついては戸田会長の限界というよりも、日蓮の教説の限界によるものではないかと、私は思います。

 日蓮の御書の中には仏教でいう「四有(衆生の輪廻転生する過程)」のうちで、「本有」について様々な事が論じられています。しかし「死有」と「中有」については、ほとんど語られている箇所はありません。これは恐らく日蓮の一生の化導というのは「本有(いま生きている過程)」に重点を置いていた事であり、「死有~中有~生有」という過程については、従来の仏教で説かれている事を踏襲して考えていた程度の事だったと思うのです。

 ちなみに日蓮正宗では賢樹院日寛師の「臨終用心抄」というのがありますが、これは日寛師の著作では無いと言われていますし、その中身も身延の学僧や禅宗の学僧の論を多用していますが、日蓮正宗としての教学的な論及はなされていません。こういう事から考えてみても、日蓮教学の中には「死有~中有」という事への論究は、あまり為されていなかった事が解ります。

 しかし、だからと言って日蓮が「死有~中有」を軽視していたという事ではなく、死有も中有も、本有の生き方で決定されるものだと考えていたのでしょう。

「わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき」
(種種御振舞御書)

 そして戸田会長は結論として以下の様に述べています。

生命が過去の傾向をおびて世に出現したとすれば、その傾向に対応して宇宙より物質を集めて肉体を形成する。ゆえに過去世の連続とみなす以外にないのである。このように、現在生存するわれらは死という条件によって大宇宙の生命へと溶け込み、空の状態において業を感じつつ変化して、なんらかの機縁によって、また生命体として発現する。このように、死しては生まれ生まれては死に、永遠に連続するのが生命の本質である。

 つまり生命の本質とは、過去から未来に渡り、娑婆世界の業因業果によって輪廻転生を繰り返すものであると言うのが、戸田会長が「生命の本質」としての結論という事なのかと思います。

 しかしこれでは、基本的には釈尊在世の婆羅門の教えと何ら変わる事が無いように思いますが、その点はどうなのでしょうか。この戸田会長の論文では「宇宙」や「大宇宙」という言葉を多用していますが、その思考が近年において創価学会の活動家が語る「宇宙即我」「我則宇宙」という様な、こちらも婆羅門の「梵我一如」の様な言葉に聞こえてしまうのですが、そういう思考の源泉になってしまったのかもしれません。

 大乗仏教では、こういった業因業果による三世の生命観を否定していると私は思います。「久遠実成の釈尊」という教理は、それを的確に表しているものと私は考えています。人生において様々な苦悩があったとしても、その人の心の本質に「久遠実成の釈尊」が存在するのであれば、そういった苦悩も実は「願兼於業」という事で、ある意味、その人自身が願って持ち生まれてきた業であるという考え方も出来るのです。

 これは飽くまでも私自身が法華経の内容を拝読する中で、理解した事なのですが、戸田会長の「生命の本質論」では、そういった内容とは異なる事が書かれています。しかしこれでは「仏とは生命なんだ」という、当初、戸田会長が主張していた事と相反する様に思えてしまうのは、果たして私だけなのでしょうか。

 「仏とは生命だ。しかしその生命は業因業果の中で輪廻転生する」

 そういう事に聞こえてしまいます。

 何のために私達は生まれて来て、そこにどの様な意義を持つのか。その上に立って仏教の四有のそれぞれにどの様な動きや働きをするのか、そしてその本質は、とういう様な大事な事について、どうも歯抜け的な感想を私はこの戸田会長の論文に対して持ってしまうのです。


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仏とは生命なのか②

2020年10月03日 16時52分11秒 | 創価学会の歴史関係
 戸田会長の「生命の本質論」について続けます。
 この論では三世の生命の後、永遠の生命という事でその長さについて論究しています。




◆永遠の生命
 ここでは如来寿量品の冒頭分を戸田会長は取り上げています。

人間の生命は三世にわたるというが、その長さはいかん。これこそ、また、仏法の根幹であるゆえに、いま下の経文を引用する。

 妙法蓮華経如来寿量品にいわく

「然るに善男子、我実に成仏してより已来(このかた)、無量無辺百千万億那由佗劫(なゆたこう)なり。譬(たと)えば、五百千万億那由佗阿僧ぎの三千大千世界を、仮使(たとい)人有(あ)って、沫(まつ)して微塵(みじん)と為して、東方五百千万億那由佗阿僧ぎの国を過ぎて、乃(すなわ)ち一塵を下し、是の如く東に行きて是の微塵を尽くさんが如き、諸の善男子、意(こころ)に於て云何(いかん)。是の諸の世界は、思惟(しゆい)し校計(きょうけい)して、其の数を知ることを得べしや不(いな)や。弥勒菩薩等、倶(とも)に仏にもうして言(もう)さく。世尊、是の諸の世界は、無量無辺にして、算数(さんじゅ)の知る所に非ず。亦心力(しんりき)の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏(ひゃくしぶつ)、無漏智(むろち)を以ても、思惟(しゆい)してその限数(げんじゅ)を知ること能わじ。我等阿惟超越致地(あゆいおつちぢ)に住すれども、是の事の中に於いては、亦達せざる所なり。世尊、是(かく)の如き諸(もろもろ)の世界無量無辺なり。爾(そ)の時に仏、大菩薩衆に告げたまわく、諸(もろもろ)の善男子、今当(まさ)に分明(ふんみょう)に、汝等に宣語すべし。是の諸の世界の、若しは微塵を著(お)き、及び著(お)かざる者を、尽(ことごと)く以て塵(ちり)と為(な)して、一塵を一劫とせん。我成仏してより已来(このかた)、復(また)此れに過ぎたること百千万億那由佗阿僧ぎ劫なり。是れより来(このかた)、我常に此の娑婆世界に在(あ)って説法教化す」

 この五百塵点劫について戸田会長は「自分の生命は現世だけのものではなく、また、悟りも現世だけのものでなくて、永久の昔からの存在であると喝破しているのである。」と述べています。

 しかしこの様な五百塵点劫という、想像すらできない時間をなぜ久遠実成という事で述べたのか、これは実は「永遠」とかいう様な時間的なスパンを示したものでは無いという話があります。それはインドにおける表現方法であり、その時間的な枠では無い事を示す為に、わざと想像も出来ない長遠な時間を示す手法がインドにはあり、五百塵点劫とはその表現に基づいたものだと言うのです。

 ここから私は「人は元来から仏である」という考え方を持ちました。

 この五百塵点劫について、如来寿量品には以下の様な事が説かれています。

「弥勒菩薩等倶に仏に白して言さく、世尊、是の諸の世界は無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏、無漏智を以ても思惟して其の限数を知ること能わじ。我等阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては亦達せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。」

 これは釈尊が五百塵点劫を述べた後、弟子達に対して「この世界の数を思惟して計れるだろうか」という質問に対して、弥勒菩薩が代表して答えたもので、ここで弥勒菩薩は答えます「世界の数は無量無辺であり、数学的に理解する事が出来ません。また全ての学者(声聞・縁覚)が漏れのない智慧を持っても思惟する事が出来ませんし、私達の境涯でも理解しえない事です」と。

 つまり端的に言えば、五百塵点劫という時間は、数学的には表現できないし、その枠には収まらない話だと述べているのです。

 その様な「五百塵点劫」という表現を、敢えて数学的に論じ、それをも「期限のある時間」として仮定して、その五百塵点劫も昨日の様な更に遥かな昔に成仏したとしているのが「久遠元初」という考え方であり、賢樹院日寛師の説く日蓮本仏論なのです。そこでは日蓮はその久遠元初に成道した本仏だとしています。

 ちなみに戸田会長もこの生命論においては、三世諸仏総勘文教相廃立という御書を引用して、この日蓮本仏論について展開をしています。

「釈迦如来・五百塵点劫(じんてんごう)の当初・凡夫にて御坐(おわ)せし時我が身は地水火風空なりと知(しろ)しめして即座に悟を開き給いき。後に化他(けた)の為に世世(せせ)・番番(ばんばん)に出世・成道(じょうどう)し在在(ざいざい)・処処(しょしょ)に八相作仏(そうさぶつ)云云」

 ここでは「釈迦如来が五百塵点劫の当初」という文言がありますが、素で読み取れば、五百塵点劫の久遠の昔、釈尊が悟りを開いた時を「当初」と表現している様に読み取れますが、何故かこれを「五百塵点劫の当初(そのかみ)」と読み替えて、「久遠元初」という、五百塵点劫よりさらに昔の事だという読み替えが為されています。

 戸田会長の言う「生命は永遠」という事の背景には、やはり賢樹院日寛師の教学が脈打っており、その上から論じられているのが、こういった部分からも判るのです。

 戸田会長は語ります。

生命とは宇宙とともに存在し、宇宙より先でもなければ、あとから偶発的に、あるいは、なにびとかによってつくられて生じたものでもない。宇宙自体がすでに生命そのものであり、地球だけの専有物とみることも誤りである。われわれは広大無辺の大聖人のご慈悲に浴し、直達正観・事行の一念三千の大御本尊に帰依したてまつって「妙」なる生命の実体把握(はあく)を励んでいるのにほかならない。

 確かにこの宇宙には命は普遍的に存在するでしょう。時間的な制約はそこにはありません。キリスト教に於いては過去、この世界には人類しか智慧はもたず、動植物については「神からの恩寵」の様に神から人類に与えられたモノだという思想がありました。しかし近年では他の惑星にも命は存在し、宇宙にある数多な星系には知的生命も存在すると言う考え方にシフトしています。この宇宙は命に溢れているというのは、恐らく間違いない事でしょう。

 しかしその満ち溢れた命の「生命の実体把握」について、賢樹院日寛師の教学の枠では、逆に歪な事になりはしないか、私はその様に思ったりもするのです。

(続く)

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仏とは生命なのか①

2020年10月01日 22時18分16秒 | 創価学会の歴史関係
 創価学会の第二代戸田城聖会長は、自身の獄中の悟達として「仏とは生命なんだ」と言う事で、大白蓮華創刊号で「生命論」を書いたと言います。確かに既成仏教では生命論という言葉で仏というものを論じた事はなく、そういう意味では当時の中では俊逸な観点による論文であったと思います。

 私自身、若い頃には「なるほどなあ〜」と感心して拝読した思い出はありますが、それから三十年ほど経過して、教義的な事、またその他、世の中にある様々な論説を学んできましたので、そこから再度、この戸田会長の書いた「生命論」というものを見直してみたいと思いました。




 大白蓮華に掲載された文は、正式には「生命の本質論」という題名です。初めに断って置きますが、私がここでこの論について解釈しても、それはあくまでも私個人の勝手な解釈です。これについて、この私の解釈が絶対的に正しいとか、ここが違うから戸田会長の論は間違えているという様な、所謂、創価学会に古来からある破折論文の様なものではありません。私の考えと、戸田会長の考え方は、時代も異なれば人生の来し方も異なりますので、当然解釈も異なるものであり、そこはご理解頂きたいと思います。

◆生命について
 創価学会ではよく「生命」と言いますが、それでは生命とは何を指すのでしょうか。「生命」とは科学用語だから、仏とは生命だという事は仏法を歪(いびつ)にするという意見もあります。しかしそういう事であれば、仏教議論を仏教用語でしか説明してはいけないと言う事にもなり、結果として教義の展開をスポイルしてしまうでしょう。大事な事は言葉の指す意味であり、その言葉の分類ではありません。

 法華経方便品第二にある「十如是」では「諸法実相」という事が述べられています。諸法とは諸々の現象を指し、実相とはその現象を起こす実体を言います。そこでは「如是性・如是相・如是体」が示されていました。如是性とは性格や性質とも言われており、これは仏の三身論で言う処の法身にあたります。如是相とは外目や肉体を指し、三身論では応身。そして如是体とは性質と外目が合わさり、実際の働きとして見えるもので、三身では報身となります。

 恐らく戸田会長の言う「生命」というのは、この三身論で示されるものを指しているのであり、それが実相の本体を指し示すのではないかと思います。そしてこの三身論で示される事を「生命」と呼び、その本質について論じたのが、この「生命の本質論」なのではないでしょうか。

◆三世に渡る生命
 この論文で戸田会長はまず「三世の生命」という事について述べています。この三世の生命観を示すのに、ここでは法華経の化城喩品と如来寿量品の2つを取り上げ、そこで釈尊の弟子達が釈尊より過去に教化を受け、その結果として未来の成仏を約束された事を示して語っています。この事から戸田会長は「およそ釈尊一代の仏教は、生命の前世、現世および来世のいわゆる三世の生命を大前提として説かれているのである。」と述べています。しかしこの言葉は正確ではなく、釈尊一代の仏教ではなく、こういった三世に渡る事を説いているのは大乗仏教であり、原始仏教ではここでいう様な三世の生命観というのは存在しません。その事から正確には大乗仏教の前提として、という事になります。

 またその後に「さらに日蓮大聖人にあっても、三世の生命観の上に立っていることはいうまでもない。ただ釈尊よりも大聖人は生命の存在を、より深く、より本源的に考えられているのである。」と述べて、開目抄や撰時抄の一説を引用していますが、それによって日蓮が大乗仏教より何が「より深く、より本源的に」という事については論じていません。

 また続いて「かかる類文(るいもん)はあまりにも繁多(はんた)であり、三世の生命なしには仏法はとうてい考えられないのである。これこそ生命の実相であり、聖者の悟りの第一歩である。」とありますが、実はこの三世(過去
現在・未来)に渡り生命が存続するという事は、仏法に限らず既に釈尊在世の婆羅門教でも論じられていた事は日蓮も示しています。

「其の見の深きこと巧みなるさま儒家にはにるべくもなし、或は過去二生三生乃至七生八万劫を照見し又兼て未来八万劫をしる、其の所説の法門の極理或は因中有果或は因中無果或は因中亦有果亦無果等云云、此れ外道の極理なり
(開目抄上)

 ここで日蓮は婆羅門教でも既に過去世から未来世まで既に論じており、しかもそこに因果の法則について語られている事を述べているのです。

 戸田会長は「およそ科学は、因果を無視して成り立つであろうか。宇宙のあらゆる現象は、かならず原因と結果が存在する。」と述べ、「また、その間の関連いかん。同じ人間にも、生まれつきのバカと利口、美人と不美人、病身と健康体等の差があり、いくら努力しても貧乏である者もおれば、また、貪欲や嫉妬に悩む者、悩まされる者などを、科学や社会制度では、どうすることもできないであろう。かかる現実の差別には、かならず、その原因があるはずであり、その原因の根本的な探究なしに、解決されるわけがないのである。」と、その三世の因果律について滔々と述べていますが、この観点のままでは仏法の三世の生命観と言っても、所詮は釈尊在世の婆羅門の教えと何ら変わらない事を述べているのに過ぎないと思うのです。

◆三世の生命について考えるべき事
 三世の生命については、戸田会長の時代から現代においても科学的に証明されている事ではありません。ただ近年になり欧米を中心に「NDE(臨死体験学)」という事の研究が進む中で、臨死体験者や前世を語る人達の証言などから朧気に語られている事です。

 戸田会長は婆羅門の教えの延長のまま、生命は三世に渡り続き、そこには因果の法則があると語っています。過去から未来に渡り、三世の生命は存在し、その人生は今の人生ではなく、過去の業因(行い)の結果として今の人生があると述べ、そのサイクルは未来永劫続くと述べています。日蓮も確かに以下の様に御書の中で述べている部分もあります。

「心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、不軽品に云く「其の罪畢已」等云云、不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪身に有るゆへに瓦石をかほるとみへたり」
(開目抄)

 ただこの様な業因業果論の内容を、三世の生命という話の上に乗せた事で、結果としてその婆羅門の教え(現在、それはヒンズー教に引き継がれています)によって、現代でもインドでは「カースト制度」という、宗教を下地とした差別を生み出しているという現実を考えなければならないでしょう。

 確かに大乗仏教に於いては、過去から未来に渡る生命の輪廻転生を説いています。しかしこの因果律については本来、大乗仏教では否定する立場をとっていると私は考えています。その一番の根拠となるのは「久遠実成の釈尊」という事であり、ここでは人は本源的に仏であるという事を明かしています。そして本源的に仏である人間が、実は人生において苦を感受する事もあるというのであって、過去の業因に縛られているから人生に苦を受けるという事では無い、と言っているのではないでしょうか。だから日蓮も門下の四条金吾に以下の言葉を語ったのでしょう。

「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや」
(四条金吾殿御返事)

 戸田会長の教学基礎は、どこまで言っても大石寺の賢樹院日寛師の教学です。その上で語っているのが「生命の本質論」であり、けして目新しい内容では無いというのが、私の率直な感想です。
 確かに大石寺の信仰から始まり、体験偏重で進んで来たのは解ります。しかし戦後に法華経講義を行い、創価学会を再立ち上げしたとありますが、法華経を読むのであれば、もう少し掘り下げられても良かったのではないでしょうか。

 この事については、続けます。

(続く)
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公明党の政界進出の本質

2020年07月15日 11時07分32秒 | 創価学会の歴史関係
 梅雨も終盤だと言われていますが、毎日が曇天では洗濯物が乾かせず、着る服がなくなってしまい、大変に困っています。そういえば気象庁のホームページで気象衛星ひまわりの画像を見る事が出来るのですが、水蒸気の流れが中国大陸南部から日本に断続的に流れ込んでいるのが解ります。

 九州・中国・中部方面で、集中豪雨の災害が起きていますが、早く梅雨が終わって欲しいものです。でも恐らく梅雨が終わったら「酷暑」が始まるのでしょう。酷暑となれば、今度は熱中症だ黄化学スモッグだと騒ぎになるかもしれません。
 そう考えてみると、日本という国も昔に比べたら、過ごしずらくなっている感じもします。

 さて、ここ最近、新型コロナウィルスの感染拡大の傾向が見え始め、世間で話題に上っています。「第二波襲来か」「これは東京問題だ」など、様々な意見が噴出していますが、どのみち日本国内で感染拡大が、再度起き始めていると考えて間違いない事でしょう。
 そんな中、赤羽国土交通大臣は、「Gotoトラベルキャンペーン」を前倒しで実施する事を決定しました。新型コロナウィルスの感染拡大を抑えるには、今回のパンデミック当初から「人の動きを抑える事」と言われていましたが、日本政府は感染拡大の兆候が見える中、人が日本国内を旅行で活発に動く事を後押しする政策を出した訳です。



 訳わかりません。
 でも恐らく旅行業界からの強い要望もあり、政府として景気対策の一環として決定したと思いますが、どうせお金をかけるのであれば、この時期、まずは医療機関や医療従事者に対してであり、何故この時期に旅行業界なのか、まったく判りません。これは前にあった新型コロナウィルス対策の「お魚券」とか「牛肉券」と同じ類の愚かさです。

 まだパンデミックは世界的にも収まっていませんので、そんな過去の日常を取り戻すような行動を取る時期では無いと思います。

 さて、この決定の主管官庁は国土交通省であり、そこの主管大臣は言わずとしれた、赤羽国土交通大臣。この人は公明党出身の大臣ですね。公明党と言えば「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」なんてキャッチコピーを出していますが、本当にそんな政党なんでしょうか。今回のキャンペーンの前倒し実施を決定なんて、一体この人はどこを見て政治をしているのか、公明党はトチ狂っているのか、大いに疑問です。

 この公明党の熱烈な支持者は言わずと知れた創価学会の活動家です。
 本来なら公明党の支持者たる創価学会の活動家が、こういったリスクある行動を日本が行う事に対して異議を唱えるべきとも思いますが、それは期待できません。以前の安保法制の時にも、自分達、創価学会が過去に主張していた内容とまるで違う法案であったにも関わらず「現実的な路線だ」とか「公明党は頑張っている」という事で議論が終わるばかりか、一部の活動家などは自民党本部に賛成の署名なんかを提出していました。

 要は政治や政策に、彼ら支持者たる創価学会の活動家が、如何に興味を持っていないのか如実に示す事でした。何故、その様な事なのか。それは創価学会と公明党の過去の歴史を見て行けば解る事なのです。

◆創価学会の政界進出
 創価学会が何故、政治に関与したのか、それは戸田会長が1954年11月に組織内に文化部を設置、政界進出に備えた事から始まりました。この時、戸田会長は「王仏冥合論」という観点を提起し、この政界進出は国立戒壇を建立するためであり、「三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布」を推進する為だと語りました。
 講演の中で戸田会長は、文化部のメンバーが選挙に立候補する事に触れて、次の様に述べました。

「これらの人々の中から衆議院議員や、参議院議員が出て、この人達から国立戒壇の誓願が出され、国会で可決され、天皇陛下もまたこの御本尊の有難さを知ってこそ始めて広宣流布が出来るのであります」

 この事は当時の機関紙である「大白蓮華」63号においても、以下の様に戸田会長は記しています。

「我らが政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」

 この国立戒という考え方は、昭和初期に国柱会の田中智学が提唱したものであり、それを当時の日蓮正宗は主張していて、創価学会の戸田会長も主張していた事なのです。そして創価学会が政治に進出したという事の根本には、この宗教的な目的があったという事なのです。

 いま創価学会の活動家に「何故、公明党を支援するのか?」と質問すると、「同じ信仰している人達が政治の世界で活躍する事を応援するため」と言いますが、その根っこを辿るとこの様な思想があったという事を、まずは理解する必要があります。

 要は初めから政治活動をするという事が目的ではなく、自分達の信仰の目的達成のための政治活動であり、信仰活動の一環として政治に首を突っ込んだという事なのです。

◆公明党の結党
 宗教団体として政界進出を行った戸田会長ですが、この目的もあってか政党結成に関しては以下の様に述べていました。

「文化部員の中で一人が社会党員であり、一人は自由党であり、一人は民主党であり、中には共産党がいても一向に差支えないのであります。それは政治のための政治ではなく、広宣流布のための政治だからです」
(聖教新聞1955年4月3日掲載)

 つまり目的は国立戒壇の建立であって、政治に関しては既成の政党政治の中で行われればよいという視点を示したのでしょう。

 1960年5月、創価学会の三代会長に就任した池田会長は、当初、この戸田会長の政治に関する立場を堅持する姿勢を見せていましたが、創価学会の組織を急速に膨張させると共に、衆議院に進出、公明党という政党を創設し、この政治的な姿勢についても変化をさせました。

「自分の指導のもとで公明党を創設したけれども、本当は私は衆議院には出したくなかった。それは戸田会長が『衆議院には出さないほうがよいと思う』と言っていました。しかし、当時の議員たちが『衆参両院なければ本当の政治はできない』といいはじめた。だから、これも時代の流れ、社会と人心の動きというものと思い、時代に即応してゆく事が正しい事と判断したものです」
(田原総一郎『戦後50年の生き証人』に聞く④から抜粋)

◆考察
 簡単ですが、以上が創価学会が政界進出するまでの歴史的な流れとなります。まあ戸田会長は信仰目的達成の為だけで、政治を目的とせず政界進出し、池田会長は「時代の流れ、社会の人心の動き」という事で、結果として公明党という政党を創設し、現在に至っています。

 そういえば池田会長は日顕退座要求書の中で「時流とは何か!」と、時流に任せた発言をした幹部を叱咤したシーンもありましたが、自分自身が「時流」で公明党を創設し、衆議院にも進出していたわけです。

 本来であれば、創価学会が擁立した議員が「衆参両院に出なければ政治は出来ない」という事を言った時点で、公明党を解党し、それぞれの議員が各既成政党へと別れて行けばよかったのではないでしょうか。

 何故ならば、彼らが戸田会長により国政へ出された事は「国立戒壇建立と広宣流布」が目的であり、そもそもの戸田会長もその様に名言していた訳です。もし彼らが本当に政治をしたいというのであれば、それぞれの政治的理念に近い政党に入る事が、一番良い選択だった思うのです。

 また戸田会長が主張した「国立戒壇」という事については、共産党から1970年に国会において「国立戒壇論は『国から特権を受け』る事になり憲法20条に違反する思想といわなければならない」と指摘されてしまい、当時の創価学会で慌てて政教分離の原則とか、公明党議員は創価学会の役職を外すとか、最終的には当時の宗門かもら院達で「国立戒壇」という名称使用を封じさせました。

 そもそも自分達の政治活動の根本的な目的が変更された時点で、創価学会としては明確に政治活動から撤退すべきであったと思うのです。

 にも関わらず、創価学会としては未だ公明党を支援し続け、今や政権与党に組み入れられ、創価学会は自民党から見ても大票田の一つとしての組織になっています。

 そればかりではありません。

 こういった淵源を持つ、創価学会の支援活動というのは、民主主義の根幹である「一人ひとりが政治について関心を持つ」という事を打ち崩し、多くの創価学会の会員に対して「選挙活動=信仰活動」として刷り込み、結果として民主主義の精神を壊しています。これは創価学会の活動家ほど政治に疎いという現実を見れば解る事です。
 また「F(フレンド票)活動」で活動家に集票活動あおる事で、創価学会の活動家達は無遠慮に取り組み、その姿勢が結果として国民の中に選挙への「胡散臭さ」を増加させ、一部の国民に対して政治離れを加速させてしまった疑いもあります。

 果たしてこのような政党や宗教団体が、日本の政治に今後も関与する事が、どれだけ日本の国益を損ねてしまうのか、その辺りについて思いを馳せてしまうのは、果たして私だけなのでしょうか。

 此の事を、日本に住む多くの人達に、考えてほしい事なのです。


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